六章:王子の秘密③
※章のタイトル変更しました。
部屋を出た王子の後をアナベルが追う。その後ろをついてくるのはディートリヒだ。ヴィクトリアは部屋で待っているようにジークハルトから指示をされていた。
彼が向かったのは温室であった。一度忍び込んでいるため、アナベルがここに来るのは二度目だ。
ジークハルトは胸元から温室の鍵を取り出すと、錠を外す。中に入ると、真っすぐ奥の階段の方へ進んでいった。
「ディートリヒ」
階段を半分下りたところで、王子は後ろのディートリヒを振り返る。副官が「はいはい」と手を振る。
「分かってる。ここで見張っているよ」
「頼む」
二人きりでしたい話なのだろうか。
アナベルは不思議に思ったが、訊ねる前に階段下の扉の鍵も開錠した王子が研究室に入っていってしまった。慌てて後を追う。
「ここは母上の研究室だ。魔術についての蔵書や簡単な魔術具を置いている。私たちも、ここで魔術について学んだ」
王子はそう言い、奥の本棚に向かう。
「扉を閉めてくれ」
言われた通りにアナベルは部屋の扉を閉めると、部屋は薄暗くなる。
――いったい、何をするつもりなのか。
アナベルが王子を振り返ると、王子の手元が光るのが見えた。それはランプや蝋燭の明かりの類ではない。魔術の発動時の、魔術反応だ。
驚く間もなく、王子の前にあった本棚が奥に動いた。本棚の向こうには明るい空間が広がっていた。アナベルは空間の前で佇むジークハルトをポカンと見つめる。
「今のは、開錠魔術ですか?」
魔術の一種に、鍵をかけることが出来るものが存在する。
普通の錠前と違うのは、無理やり壊して入ることが出来ないことだ。専用の鍵がなければその扉を開けることは出来ない。魔術師が何かを秘匿したい場合に使う魔術だ。
ジークハルトが右手に持つのは魔術の文様が描かれたペンダント――魔術具だ。間違いなく、あのペンダントが鍵だろう。
「魔術が使えるんですか!?」
「簡単なものならな」
彼が持っている魔術具には、一般人でも使えるような加工は見られない。間違いなく、彼が使ったのは魔術だ。
アナベルはユーリウスに魔術師の定義は魔術を使えることと語った。あのうさん臭い男はアナベルに詭弁を返したが――ジークハルト自身は本当に魔術師だったのか。ユーリウスがジークハルトを『真の意味でこの国で魔術師に一番近い存在』と言っていたことを思い出す。
「…………あなた、本当に魔術師だったんですね」
王子は一度怪訝そうな表情を浮かべたものの、すぐに無表情に戻す。そして、落ち着いた口調で言い放った。
「違う」
「は?」
「確かに私は簡単な魔術なら扱えるが、魔術師ではない。魔術具と……コレがなければ魔術は扱えないからな」
そうやって、王子は手袋を外し、見せたのは黒い指輪だ。
「何ですか、これ」
生憎、アナベルは宝石の類に詳しくない。王子が見せたものが何なのか、まったく見当もつかない。
「黒鉱石で作ったものだ。特殊な加工がしてあり……大量の魔力が含まれている」
「は!?」
アナベルは思わず、王子の顔を見た。
黒鉱石は知っている。フラヴィに教えてもらった。エーレハイデの地中に埋まる鉱石。これのせいでエーレハイデでは魔術が使えない。王子の説明は全く意味が分からない。
「順を追って説明する。こちらに来い」
アナベルの困惑を理解したのだろう。
ジークハルトはそう言うと、本棚の向こうに消えている。しかし、アナベルは立ち尽くしたまま動けない。しばらくすると王子が戻ってきて、「来い」と動かないアナベルの腕を引いた。
本棚の奥も、研究室のようだった。部屋の中は非常に明るい。天井に魔術灯がつけられているのだ。まさか、こんな場所で魔術灯を見ることになるとは思わなかった。壁の上部分に取り付けられた棚には沢山の本が並び、その下には作業用と思われる台が備え付けられている。部屋の奥には引き出しのついた机と、背もたれのある立派な椅子が置いてあった。
目を引いたのは作業台の上に置いてあるものだ。大量の実験道具と思われる器具とともに、いくつもの黒い鉱石が置かれている。
アナベルはそれに手を伸ばし、目の前に掲げてみる。先ほど見た王子の指輪と非常に似た色と質感だ。これが元々の黒鉱石なのだろうか。
「君はこの国で魔術が使えないのは、――この国の大気に魔力がないのはどうしてだと思う」
王子に問われ、アナベルは黒鉱石を台に戻しながら答える。
「この黒鉱石のせいでしょう。それぐらいは知っています」
「では、なぜ黒鉱石があると大気から魔力が失われる」
その質問にアナベルは答えられなかった。黙り込むアナベルに王子は「座れ」と椅子を指す。
「始まりは……君も知っての通り、母が魔術機関から抜け出したことだ」
アナベルが椅子に座ると、王子は立ったまま話をし始めた。
「魔術機関の追っ手から逃げるため、母上がやって来たのがこの国だ。大気には魔力が限りなく薄く、魔術師が暮らすには不向きな土地だ。追っ手も来ないと考えた。母上が身を寄せたのは国境近くの炭鉱の町だった。そこでは石炭だけでなく、黒鉱石も採れる。母上はそこで、黒鉱石には『魔力を吸収する』特性があることを知ったんだ」
「魔力を吸収する」
だから、エーレハイデの大気には魔力がない。すべて、地中の黒鉱石に吸収されている。――それはとんでもない話ではないだろうか。
「エーレハイデの地下に眠る黒鉱石は数千年以上大気の魔力を吸収し続けてる。本当に莫大な魔力が含まれている。君が先ほど持った黒鉱石の欠片一つで、一般的な魔術師二人分の魔力がある」
「あれで!?」
先ほど持った鉱石は指の半分くらいの大きさでしかなかった。
あれでそれだけの魔力量があるのであれば――魔術の進歩が一歩どころではない、十歩以上早まる。魔術機関が抱える問題はいつだって、一人の魔術師が使える魔力量に限界があることだ。そもそも一般的な魔術師が持ちえる魔力量はたかが知れている。普段の魔術発動の多くは大気の魔力に頼っているのが魔術師の現状だが、その大気の魔力だって扱える量には限界がある。どれくらいの範囲の大気に働きかけられるかは本人の魔力量によって決まるし、そもそも一定範囲内の大気に含まれる魔力量がどれくらいなのかは既に研究結果が出ている。一立方トワーズの大気に含まれている魔力量でさえ、先ほどの黒鉱石の四分の一の魔力量もない。
あれだけ小さな鉱石にそれだけの魔力が含まれているのだ。魔術具の開発に組み込めば、どれだけ大規模な魔術が行使出来るようになるのか――思わず、アナベルは生唾を飲み込む。
「で、では黒鉱石の特性が空気に触れると失われるというのは」
「空気に触れた黒鉱石は今度は逆に魔力を放出するようになる。大気に放出された魔力はまた今度地中の黒鉱石に吸収されていく。残った黒鉱石はただの石になる。黒鉱石は地中に埋まっているからこそ価値がある。黒鉱石自体には宝石のような価値も、石炭のような利用方法もない。炭鉱において、黒鉱石はまさにゴミのような扱いをされていたらしい」
エーレハイデ人に黒鉱石の価値は理解出来ない。その扱いは当然といえば当然だろう。
「母上で独自で黒鉱石の研究を始めた。黒鉱石に含まれる魔力を摂取することが出来れば、一生この国を出ずにすむ。そうすれば、追っ手に見つかる可能性も低くなる。結果、母上は黒鉱石からの魔力放出を止める技術を開発し、黒鉱石を細かく粉砕したものを混ぜた肥料を植物に与えることで、魔術薬の原料を生み出すことに成功した。君が飲んでいる魔力供給薬もそうやって作られた」
では、温室に忍び込んだときに見た、土に混じっていた黒い小さな粒は黒鉱石だったのか。この鉱石のおかげで、エマニュエルは独自の魔力供給手段を手に入れたわけだ。
「母が父に会ったのはその頃だと言っていた。この辺りに関しては――詳しい説明はいらないな。父は母に惚れ、求婚した。王妃になることに母は抵抗もあったが、最終的に父と結婚することを決めた。結果、私が産まれた」
若い娘たちが好みそうな恋物語があったのだろうか。アナベルは全く興味がないので、「それで?」と続きを促す。しかし、王子は難しい表情を浮かべたまま、黙り込んでしまった。
「あの、話の続きは!」
「どう説明するべきかが難しい」
アナベルが催促すると、王子は険しい表情のまま答える。
「すべては母が私を身籠ったのが原因だ」
それはどういう意味だ。
「以前、王族に魔術は効かないと説明したな。エーレハイデの国民も魔術が効きにくいと」
「はい」
「まず、王族に魔術が効かない理由と、エーレハイデ人に魔術耐性がある理由は別物だ」
「……別物?」
「魔術師でなくとも、この世界に生きる動植物は全て、魔力を持っているだろう。だが、エーレハイデに住む人間はそもそも魔力を持たない」
「――そんな馬鹿な!」
アナベルは思わず立ち上がった。
「生き物なら誰だって使えなくても、魔力自体は持ってます! 生命力に紐づいているものですよ! 生きてるのに魔力がないなんてありえないです!」
「だが、事実だ。魔術機関に、魔力計測器があるだろう。本来は魔力量の多さを計るための器具だと思うが……母が同じものを作り、何人かに試したところ全員魔力反応がなかった。お前の知ってる人間なら、テオバルトだな。二十年前、魔力を計測したが、テオバルトからは魔力が計測出来なかった」
脳裏に浮かぶのは将軍の顔だ。彼も普通の人のように見えた。それなのに魔力がないなんて。
「王城で働く者、後は兵士。可能な限り多くの人間に試したが結果はほとんど同じだった。だから、母上はエーレハイデ人は魔力を持たない体質の民族だと結論を出した。この体質ゆえに、エーレハイデ人は一切の魔術が使えない。魔術師でなくとも、西方の人間は一部の魔術具が使えるだろう?」
そういった魔術具は数多くある。ほとんどが暮らしの中で使う生活用の魔術具だ。西方の王侯貴族が好み、需要がある。
勿論、彼らに魔術は扱えない。そのため、事前に魔術師でなくとも、人体の魔力に反応して動作するように作られているのだ。だが、体内に魔力がなければ、当然――。
「エーレハイデ人にはそれさえも使えない。ただ、その代わりに魔術耐性を持っている。他人に魔術を使う際には、他人の体内の魔力に干渉して魔術を発動させるだろう。それが出来ないんだ。他国の血が混じっていたりすると魔力を持っている者もいるが、半々だ。ヴィクトリアの母親はスエーヴィル人だ。彼女の母親には魔力がある。だが、ヴィクトリアには魔力がない。ヴィクトリアには弟がいるが、弟には魔力がある」
分かりやすいのは治癒魔術だろうか。他人の怪我を魔術や魔法薬で治す際には、相手の体内の魔力に働きかけ、治癒能力を向上させる。つまり、魔力がなければ、治癒能力を向上させることが出来ないのだ。攻撃魔術やその他の補助魔術などにも同じことが言えるのだろう。
アナベルは椅子に座りなおし、「信じられない」と呟く。
遺伝に関しては魔術師と同じだろう。片親が魔術師の場合、生まれる子供は約三分の一の確率で魔術師になる。しかし、残りは魔術師の才能がない。遺伝は百パーセントではない。――もっとも、魔術師の場合、両親が魔術師でも生まれた子供が魔術師の素質を持たずに生まれる可能性はある。エーレハイデ人の特性の方が遺伝しやすいのだろう。
「エーレハイデ人の特性に関しては、分からないことが多い。結局、母はその原因までは調べることが出来なかったし、私も未だにその謎を解明出来てはいない。ただ、一つ言えるのは、王族の特異体質を継承していくには、魔力を持たない人間が必要という事だ」
アナベルはふと気づく。先ほどまで淡々と話していた王子の口調が徐々に苦しげなものに変わっていく。
「王族の魔術が効かない体質は、王子にしか引き継がれない」
でも、アナベルは王子の話を止めることが出来ない。彼は、アナベルのために、話したくないことを話してくれている。小難しく感じる話も全て、アナベルが望んだから彼は話している。
「そもそも、その体質は初代国王アダムから受け継がれているものだ。しかし、アダムの血を引いていても、その能力は王女には引き継がれない。その王女が男子を生んでもダメだ。必ず、父から息子でないと継承できない。この能力を引き継ぐため、四代目国王は分家を作った。四代目の王には王女しか生まれなかった。だから、三人の弟たちに王族の分家である三つの家名を与え、直系男子が生まれなかった場合はそこから養子を取るようにした」
「その一つが、さっきの副官さんの家系って訳ですね」
「ああ。ディートリヒも王家の特性を受け継いでる」
だから、廃墟でアナベルの昏倒魔術が効かなかったわけだ。
「王族の特性は魔術耐性ではない。魔術解除が行える」
「…………なんか、もう何でもありですね。エーレハイデは」
もうここまで来たらアナベルも驚かなくなってきた。というより、驚くのに疲れてきた。アナベルは感情のこもってない相槌を打つ。
「王族の体質は、自身に向けられた魔術を解除し、元の魔力に戻すことだ。魔力がその場に残れば再び、魔術に利用されかねない。だから、残った魔力はそのまま吸収することが出来る」
「対魔術師なら最強じゃないですか。最高ですね」
「……そうだな。だから、エーレハイデは王宮魔術師を必要としてこなかった」
「なら」と王子は続けた。
「魔術解除の能力を持つエーレハイデ王族と、魔力を持つ魔術師の女性の間に男子が産まれたらどうなる?」
エーレハイデ王族の直系男子を父に持ち、先代シルフィードを母に持つ王子はそう問いかけてきた。
『ジーク様自身に何か秘密があるのは確かだわ』
そう、アナベルに告げたのは修道女の老婆だった。ようやく、アナベルはここまでの長い話の終着点が見えてきたことに気づいた。




