六章:王子の秘密②
「……侵入者が他に一人、二人増えたって問題ないんじゃないですか?」
ジークハルトは先ほど、スエーヴィルきっての隠密集団である『牙』が二人いても対処できると言った。それならば、それ以外に数人侵入者が増えても問題ないはずだ。
「王都にはたくさん兵がいるでしょう? さっき言ったように大人数で対処すればいいだけの話ではないんですか?」
「まあ、そうなんだけどね」
そう答えるディートリヒの表情も苦い。
「恐ろしいのは、向こうが何を考えているのかが分からないってことだよ。『牙』だけなら情報収集とも考えられるけども他にも侵入者がいるのであれば、必ず何かしら思惑があるはずだ」
別にも侵入者がいるのであれば、それ以外の思惑があるかもしれない。
そしてそれが何かが彼らには分からない。それを警戒しているのだ。
「一つ、聞いておきたいんだけどさ。……ベルちゃんは相手が魔術師かどうか見たら分かる?」
アナベルは眉をしかめる。少し考えてから答える。
「見ただけじゃ分かりませんよ。確かに、魔術師の中には魔術が扱えるかどうかを見ただけで判断出来る人もいますけど、私には無理です」
魔術の一つにそういったものがある。しかし、習得が難しい魔術なのでアナベルは覚えられなかった。
答えてからアナベルは訊ねられた理由を考える。
「もしかして、その侵入者が例のスエーヴィルが雇った西方の魔術師じゃないかって思ってるんですか?」
ディートリヒは少し間をおいてから頷いた。アナベルは眉をひそめる。
「もし、そうだとしてもそこまで警戒する必要はないと思いますよ。エーレハイデじゃ、普通の魔術師は大した脅威じゃありません」
以前、王太弟とも話したが、通常、戦況を変えるような魔術を扱う魔術師でも、この地では大規模な魔術が扱えない。
精々、昨夜アナベルがしような昏倒魔術などの初歩的な魔術を扱える程度だろう。数人の兵士なら倒せるかもしれないが、それ以上の被害は出せない。エーレハイデ人には魔術耐性があるから猶更だ。それこそ、『牙』と同じように大人数の兵士でかかれば敵ではない。
ここがエーレハイデでなければ、王都に一人敵の魔術師が紛れ込んでいる――というのは、危険度が非常に高い。だが、この国は他の国と条件がまったく違う。そこまで警戒する必要はない。以前、ユストゥスにも話したように命がけで何かをしてくる可能性もなくはないが、正直可能性が存在するというレベルの話だ。魔術師は強い。無理強いをするのはなかなか難しいのだ。
ユストゥスの話には納得したが、アナベル自身は自爆攻撃みたいなことをしてくる可能性は低いと思っている。そういったことは、本当に最終手段だろう。そのことは彼らも分かっているだろうに。
それなのに、なぜかディートリヒは深刻そうな表情をしたままだ。アナベルは首を傾げる。先ほどから目を閉じていたジークハルトが、こちらを見た。
「ベル」
名を呼ばれ、アナベルは思わず背筋を伸ばす。
「私は、昨日君が川に突き落とした犯人は無差別ではなく、君個人を狙っていたと思っている。君が狙われる理由は一つしかない。魔術機関の人間であるということだ。そもそも、この国に今、魔術機関の調査員が来ていることを公にはしていない。君は西方の大国から来た客人だと国民には説明している」
そう言われてみれば、王都に来るまでの間、滞在したいくつかの街でアナベルは客人として歓迎されたが誰も『魔術師』『魔術機関』という言葉は使っていなかった。
魔術機関に援助を求めたことは公にしていないのだろう。そもそも、説明しても魔術に縁遠いエーレハイデの国民たちに理解してもらえるかも分からない。
「だが、城で働く者や兵士の多くは君が魔術師であることを知っている。そこから『牙』に君の素性が漏れた可能性は十分にある。ディートリヒが連れている見慣れない異国の人間を城に滞在中の客人と結びつけることもそう難しくない」
なるほど。それで狙われたというわけか。
「調査員が邪魔だったってことですか?」
「その可能性がある」
確かにアナベルは数日前にエーレハイデに来たばかりだ。
私怨などが存在するわけもないから、個人的に狙われるわけがない。
「スエーヴィルはエーレハイデに魔術師が派遣されることを望んでいない。その邪魔をしようとしたとしてもおかしくない」
「それだったら、私を殺すのは逆効果ですよ」
アナベルは一度逡巡したが、そのまま言葉を続ける。
「上層部は現状、エーレハイデに魔術師を派遣するつもりはありません。なのに、私を殺したら、まず間違いなく魔術機関は本腰を入れて調査を始めますよ。何人もの魔術師が砂漠を越えてこの国に来ることになります」
さすがに東方の国とはいえ、魔術機関から犠牲者が出れば上層部も動かざるを得ないだろう。エーレハイデのためではなく、魔術機関の職員が死んだ原因を突き止めるためだ。少なくとも、真相追究のため、間違いなくフラヴィがこの国に乗り込んでくる。
ジークハルトが冷静に言葉を返す。
「向こうがそこまで事情を理解していなければ、短絡的に犯行を行ってもおかしくはない」
確かに、外部からはそういった踏み入った事情は分からないだろう。ジークハルトの言う事が正しく聞こえる。
アナベルはカップに手を伸ばす。
「それで短絡的に私を川に突き落としたわけですね」
一口ハーブティーを飲む。温度は少しぬるくなっていた。
王子は視線を床に落とす。
「君が死にかけたのは、君を呼んだ我々の責任だ。本当に申し訳なかった」
王子の口調には自責の念がこもっているように聞こえる。だから、王子は昨夜『アナベルがこんな目に遭っている責任の一端は自身にある』と言ったのだろう。
ふんとアナベルは鼻をならし、カップを置いた。勢いをつけすぎた結果、置いた際にカチャンとソーサーとぶつかり合う音が響く。
「あの程度で私が死ぬと思うなんて、見くびられたものですね!」
「いや、普通、死んでもおかしくないからね」
「しぶとさには自信があるんです! 少なくとも、私を突き飛ばした相手を血祭にあげるまでは殺されても死にませんからね!」
「物騒だね、君」
「いちいちうるさいですね、そこの人!」
アナベルはツッコミを入れてくるディートリヒの頭めがけて近くにあったクッションを投げつける。彼は苦笑しながらそれを受け止めた。
「ベル。もう一度言う」
アナベルの名を呼んだ王子の目は真剣だった。
「魔術機関に帰れ。これ以上この国にいるのは危ない。本当に殺されかねない」
真剣にアナベルの身を案じてだろう言葉に、アナベルは視線を王子から逸らした。
「王太弟殿下は私から進言しよう。今度こそ、必ず説得してみせる」
ジークハルトの言葉には強い意志を感じる。
アナベルは視線を合わせないまま、「よろしくお願いします」と力なく言葉を返した。二人の話はこれで終わりらしい。ディートリヒが「じゃあ、お邪魔して悪かったね」と立ち上がり、ハッとアナベルは思い出した。
「そうです、そうです! 私もお話があったんですよ!」
ディートリヒに続いて立ち上がったジークハルトが「話?」と聞き返してきた。
「私もこんな国さっさとおさらばしたい気持ちでいっぱいなんですけど、そもそもまだこの国に来た目的が果たせていません!」
ジークハルトは怪訝そうな表情を浮かべる。
「目的? 観光が終わっていない、という意味か?」
「そんなわけないじゃないですか! ふざけてるんですか!」
「…………最初にこの国にもてなしと観光をしに来たと言ったのはお前だろう」
ジークハルトの呆れたような声音に気づく。
――そうか。王子は知らないのか。
腕を組んで考える。正直、この話をするのは三度目で飽きてきた。しかし、説明をしなければジークハルトから話を聞くことも出来ない。
二人が再びソファに座るのを待ってから、アナベルは面倒と思いつつも口を開いた。
「昨夜、話題に出たでしょう。私の母親。あれはフラヴィ・シャリエ――サラマンダーのことです」
ジークハルトが目を瞠る。アナベルは自分の髪を遊びながら、話を続ける。
「二年ほど前、貴方の母親、先代シルフィードから手紙が届いたそうです。内容は『自分の死後、遺すことになるものが心配だ。代わりに守ってほしい』。そんな感じのものです。私は母の代わりで、その先代シルフィードが遺したものとやらを捜しに来たんですけど、王太弟殿下に邪魔をされて全然それが何なのか分からずにいたんです。でも」
チラリと王子に視線を投げる。
「昨日会った元侍女の修道女の女性は、それがあなたを指していると」
王子は難しい表情をしたまま、目を閉じている。
「でも、意味が分からないです。あなたはとっても強いんでしょう? 魔術師の護衛も不要なはずです。なのに、先代シルフィードは母様に手紙を書いた。何故、あなたの母親はそんなことをしたんですか」
王子は何も答えない。
本当に長い時間、彼は目を閉じていた。伏せていた目を開け、ゆっくりとこちらを見る。
「君の言うとおり、おそらくその手紙に書いてあったのは私のことで間違いない。母がなぜ手紙を書いたのか。その理由も知っている」
王子は一度視線を彷徨わせる。
「だが、それを君が知る必要はあるのか」
まさか、王子にまで説明を拒否されるとは思っていなかった。修道女の話と違う。アナベルは憤慨した。
「私としては、これ以上君をこの国の事情に巻き込みたくない」
しかし、続く言葉にアナベルは怒るタイミングを逃した。アナベルは眉間に皺を寄せたまま、ジークハルトから視線を逸らす。
「巻き込みたくないって……今更すぎません? もう、十分巻き込まれてます」
今更アナベルも引くに引ける状態ではなくなっている。昨日、カイが『乗りかかった舟』と言っていたのと同じだ。
「毒を食らわば皿までって奴です。最初から最後まで全部説明してください」
ディートリヒが「意味違うと思うなあ」と呟いているのをアナベルは無視して、ジークハルトを見つめる。王子は長い時間、難しい表情をしたままだった。しかし、諦めたように深い溜息をつくと、立ち上がった。
「着いてこい」




