六章:王子の秘密①
翌日、アナベルはすがすがしい気持ちで目覚めることが出来た。
「はー! よく寝ました! 快眠! 快適です!」
すでに時刻は昼過ぎ。
あの小屋で一晩を明かすことになっていたら、こんな気持ちのいい目覚めは訪れなかっただろう。
部屋にヴィクトリアも、代理の侍女の姿もない。アナベルは久しぶりに一人で身支度を整えていると、部屋がノックされる。扉を開けると、向こうにいたのはヴィクトリアだった。
アナベルは笑顔で挨拶する。
「あ、おはようございます。今日もいい天気ですね!」
「おはようございます、ベル様」
ヴィクトリアは部屋に入ってくると、――目の前で膝をつき、首を垂れた。アナベルは顔を引きつらせる。
「この度の不始末、大変申し訳ございませんでした。どのような処分も受けるつもりで」
「はーい、ストップストップ。ベルちゃんドン引きしてるから、立とうね」
謝罪を制止したのは、後ろから姿を現したディートリヒだ。彼はヴィクトリアを立ち上がらせると、「ごめんね、ベルちゃん」と謝罪した。
「昨日の王都観光、自分のせいで中断になっちゃったのをヴィクトリアは謝りたいんだよ。ほら、ごめんなさいは?」
「申し訳ございませんでした」
ディートリヒに促され、ヴィクトリアは普通の謝罪を口にした。その様子にアナベルも安堵の息を漏らす。
「いえいえ、気にしないでください。何か事情があったんでしょう?」
あの時、何か緊急事態が起きたことはアナベルも理解している。ディートリヒは少し表情を曇らせる。
「うん、だからその件とベルちゃんの事件のことで話があって来たんだ」
「事件?」
事件とはどういう意味だ。アナベルが川に落下した件について話しているのは分かるが――。
「おい」
その時、もう一人の声が響く。アナベルが扉の向こうを覗くと、そこに王子が立っていた。アナベルはぎょっとする。
「何で、あなたまでいるんですか!」
「だから昨日の話をしに来たんだよ。どちらかというと、俺がというよりジークがだね」
アナベルは眉を顰める。
「俺はジークの副官だからね。昨日の当事者でもあるけど、今日はどっちかというと俺の方がオマケだね」
そういえば、ディートリヒは「指揮官の副官」と名乗っていたが、具体的に誰の副官とは言っていなかった。
なるほど。ヴィクトリアだけでなく、ディートリヒもジークハルトの部下だったのか。道理で昨夜も一緒に行動していたわけだ。正直なところ興味がなかったので確認をしなかったが――エーレハイデに来てから、自身が興味を持たないばかりに落とし穴に嵌まっている気がしてならない。
アナベルがそんなことを考えていると、ジークハルトが口を開いた。
「部屋に入れてくれないか」
催促され、渋々、アナベルは「どうぞ」と中に招き入れた。
応接用に設けられているソファにアナベルとディートリヒが腰かける。ヴィクトリアはお茶の準備を始め――なぜか、それをジークハルトも手伝い始める。
「何であなたが手伝ってるんですか!? あなた、王子でしょ!」
「お前は王子をなんだと思ってるんだ」
「この国で三番目に偉い人です! 椅子にふんぞり返って身の回りの事を全部使用人にやってもらう人です!」
「…………偏見が過ぎないか」
ジークハルトは顔をしかめ、ディートリヒは苦笑いを浮かべる。
「ジークは確かに王族にしては気安いほうだからね」
「それで何であなたは手伝ってないんですか? 王子より偉くない人」
「え。まさか、俺に飛び火する?」
「まあ、今のは半分冗談ですけど。……ホント、意味分かんないです」
アナベルは足をブラブラ揺らしながら、二人がお茶の準備を終えるのを待つ。
ふと、アナベルは飲み物が二種類用意されており、ジークハルトとヴィクトリアがそれぞれ別のものを淹れていることに気づく。侍女が用意した紅茶はディートリヒの前と空席に一つ置かれ、王子が用意したハーブティーはアナベルの前に置かれた。ジークハルトは空席に座り、ヴィクトリアはテーブルの横に立つ。
アナベルは状況の理解が追いつかない。目の前のカップと、自身の紅茶を飲んでいる王子を見比べる。
「これはもしかして新しい拷問か何かですか? あるいは毒が入っているとか」
「…………それはどういう意味だ」
「だって、何で私のだけ王子が用意してるんですか! 意味分かんないじゃないですか!」
「ベル様」
アナベルの疑問に答えたのはヴィクトリアだった。
「今まで、ベル様が召し上がられたハーブティーはすべてジークハルト様がご用意くださったものです」
ヴィクトリアの言葉に空いた口が塞がらなかった。
「う、嘘ですよね」
この真面目な侍女は今までアナベルに嘘をつかなかった。ただ、今だけを嘘をついていてほしいと願う。その想いが通じたのか、ヴィクトリアは一度瞬きをしてから「今のは誤りでした」と訂正する。
「ジークハルト様がご用意されたのは最初にお出ししたもの以外の全てです」
「嘘だああああああ!」
アナベルはその場に頭を抱えて蹲った。
ヴィクトリアが「大丈夫ですか」と駆け寄ってくれる。ジークハルトは冷たい視線を、ディートリヒは同情するような視線をアナベルに送る。
「さっきから何が言いたい」
「いや! 私視点で考えてください! 入国初日に無礼千万を働いた王子が実は私のために侍女さんに色々頼んでたり、そもそも私を追い返そうとしたのが私の身を案じてのことだったという時点で衝撃的すぎるのに、その上三食とともに欠かさず飲んでいたハーブティーが王子のお手製と聞かされてみてください! もう、こういうのは昨日の件でもうお腹いっぱいなんです! おかわりとか求めてませんから!」
しかし、ジークハルトにはアナベルの気持ちは伝わらなかったらしい。怪訝そうな表情をされるばかりだ。隣のディートリヒは「そうだよね」と何度も頷き、ヴィクトリアは無表情のままだ。
ジークハルトは呆れたように深い溜息をついた。
「私以外の人間がこのハーブティーを淹れると、魔力供給薬としての効能が極端に薄れる。味だってヴィクトリアが淹れたものは苦かったはずだ」
アナベルはゆっくりと顔をあげる。
確かに最初にヴィクトリアが淹れたときより、それ以降に出されたもののほうが魔力が多く含まれていた。味だって全然違った。
「まあ、このハーブティーを今まで飲んでたのはエマニュエル様だけで、いつもご自分で淹れるか、ジークが代わりに淹れてたから全く気付かなかったけどね」
「ヴァネサたちに淹れさせなかった時点で気づいていても良かった」
「まあ、しょうがないんじゃない? 大分昔のことだしね」
ヴィクトリアの手を借り、ソファに座りなおしたアナベルは改めて目の前のカップを手に取る。睨むようにカップを見つめてから、一口飲む。味はいつも飲んでいるものと全く変わらない。険しい表情のままアナベルがハーブティーをすすっていると、「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」とディートリヒが話を切り出した。
「とりあえず、結論から説明すると、ヴィクトリアが追っかけていった男の正体はスエーヴィルの密偵だったんだ」
「スエーヴィルの密偵?」
単刀直入過ぎる説明の入り方にアナベルは思わず聞き返す。ディートリヒは頷く。
「そもそも、スエーヴィルは複数の部族を吸収、統合して出来た国家なんだ。その中に非常に身体能力に優れている部族がいてね。彼らは『牙』と呼ばれている。彼らはスエーヴェルきっての隠密集団だ」
随分と物騒な話になってきた。魔術機関でいう『黒猫』のようなものだろう。出来れば関わり合いになりたくない。
「そんな奴らが王都にいるって、結構ヤバいことなんじゃないですか?」
「ヤバいね。特に奴等が動くときは大体有事のときだけだから、スエーヴィルが何か企んでるってことになる。下手したら近々戦争になるかもね」
――戦争。
平和な西方では普段あまり聞くことのない単語だ。アナベル自身も戦争を体験したことはない。
ひどく緊迫した状況のはずなのに、エーレハイデ人の三人は落ち着いた様子だった。二年前にもスエーヴィルとは争いが起きている。彼らにはとっては取り乱すような状況ではないのかもしれない。
「北方の国境の警備も強化することになった。そのためにテオバルトには今朝から北の砦に向かってもらっている」
なるほど。道理で毎日のように顔を合わせていたテオバルトが姿を現さないわけだ。
「いいんですか? 将軍を北に向かわせて。既に王都に敵の兵が侵入しているんですよね? 王都の守りが手薄になったりしませんか?」
「エーレハイデには全部で七人の将軍がいる。現在、王都周辺に三人、残りの四人が東西南北の国境近くに配置されている。テオバルトが北部に向かっても、指揮には問題ない」
「『牙』は強敵だけど、人数は少ないんだ。密偵として働いているのは二年前から変わっていなければ、全部で九人。そのうち全員がエーレハイデに侵入しているとも思えない」
「二人です」
口を挟んだのはそこまで置物のように立ったまま動かなかったヴィクトリアだ。
「エーレハイデで活動しているのは『五番』と『六番』の二人だけです。それ以外はおりません」
ヴィクトリアの言葉に「ってことらしいよ」とディートリヒは苦笑する。ジークハルトが口を開く。
「『牙』が二人だけなら、現状の王都への警備で十分に対応は可能だ。『牙』は強いが、大人数で囲めば対処できる。それより問題は何故奴等が王都にいたのかというのと」
「彼らがベルちゃんの件と何か関係性があるのかってところだね」
「関係性?」
アナベルにはその二つに関係性を見い出せてない。ディートリヒは頷く。
「カイがベルちゃんは突き落とされたって証言したんだ。ベルちゃん、突き落とした犯人のこと何か覚えてない?」
「はあああああ!?」
思わずアナベルは立ち上がって絶叫した。
「ちょっと待ってください! 私突き落とされたんですか!?」
「ああ、気づいてなかったんだ」
「気づいてるわけないじゃないですか! 理由は分かんないですけど、何かしらの事故で落ちたんだと思ってました!」
確かに押された衝撃はあった、ような気がする。正直記憶はおぼろげだ。まさか、あれが事故ではなく事件だったとは思ってもいなかった。どうにか、アナベルは記憶を辿ろうとする。
「確かに近くを誰かが通った気がしますけど、……正直全然覚えてないです。確か、男の人かなぐらいで……」
「十代――いや、二十代か、それくらい若くなかった?」
「うーん、多分ですけど、そんな若くなかったと思います」
ディートリヒは一度、ジークハルトと視線を合わせる。
「カイも中年の男だったって言ってたよ。『牙』の侵入者は二十代の若い男と、同年代の女性だ。ベルちゃんが突き落とされる時間帯より前に王都を離れているし、状況と証言から判断する限り、彼らではなさそうだね」
「じゃあ、スエーヴィルとは無関係ってことですか?」
「想定は悪い方向にしておくべきだろう。『牙』以外のスエーヴィルの手の者が入り込んでいる可能性を考えた方がいい。そして、その人間はまだ王都に潜んでいる可能性が高い」
ジークハルトの表情は厳しいが、アナベルには腑に落ちない。




