五章:――それでも⑤
王都に近づくと、川沿いに何人もの住人の姿が見えた。彼らはアナベルたちの姿に気づくと、「良かった」と歓声をあげる。
アナベルに「大変だったな」という労わりの言葉と、ジークハルトには「こんな早く救助するなんて、さすがです」と称賛の声を投げかける。王都に到着すると真っ先に駆け寄ってきたのはカイだった。
「姉ちゃん!」
カイは両眼に涙を目いっぱい浮かべて、ジークハルトごとアナベルに抱き着く。
「姉ちゃん、ホントゴメン。助けられなくて。もっと俺が近くにいたらあんなことにならなかったかもしれないのに」
「…………心配してくれたんですか」
「当ったり前じゃん! とにかく、無事で良かったよ!」
もうすでに夕食時は過ぎている。彼の働く食堂は今大忙しのはずだ。
「……お店の方は、いいんですか」
「何言ってんだよ! それどころじゃないだろ!」
「そうです、お会計が」
「だーかーら! それどころじゃないだろ! ベル姉ちゃん、分かってる? 死にかけたんだよ!」
カイは会計を貰うためにアナベルに着いてきたはずだ。
なのに、今カイはそれよりアナベルの方を優先している。彼はアナベルが戻ってきたことを本当に喜んでいるようだった。
――また、涙腺が緩むのを感じる。
アナベルは袖で一度涙を拭うと、少年に笑みを見せた。
「今日は付き添いありがとうございました。また、王都観光が出来そうだったら、お店にお邪魔しますね」
「うん、その時はもっと姉ちゃんの話も聞かせろよな」
カイと別れ、王城へ向かう坂を上っていく。結局、ジークハルトは王城に到着し、替えの靴を手に入れるまでずっとアナベルを背負ったままだった。
見慣れない侍女が「お湯の準備は出来ています」と教えてくれる。彼女に着いて浴室の方へ向かおうとし──アナベルはまだその場に残っていたジークハルトとディートリヒを振り返る。
そして、ジークハルトを睨みつけ、人差し指を突き付けた。
「言っておきますけど、この程度のことで私に恩を着せれたと思ったら大間違いですからね。貴方が私を探しに来なくても、私は朝になったら一人で王都に戻るつもりでしたし、戻れました」
アナベルの言葉に隣のディートリヒが苦笑している。ジークハルトは何でもないように言う。
「あれは私が勝手にやったことだ。君が私に感謝する必要はない」
その言葉にアナベルは地団太を踏みたくなった。それを堪え、本当に言いたかった言葉を口にする。
「…………心配してくれて、ありがとうございました」
やっとのことでそれだけ口にする。ジークハルトは一度瞬きをしてから、視線を落とす。
「本当に、君が私感謝する必要はないんだ。君がこんな目に遭っている責任の一端は私にある」
アナベルは首を傾げたが、ジークハルトに「早く行ったほうがいい」と促され、彼らに背を向けた。
「ベルちゃんベルちゃん」
廊下を進んでいると、何故か先ほど別れたディートリヒが追ってきた。声をかけられたアナベルは足を止める。王子の姿はない。
「……何かご用ですか」
「うん、一つだけ言っておくことがあって」
彼にも先ほどのアナベルの本音は聞かれている。正直、非常に気まずい。彼もアナベルを歓迎してくれていた一人だ。
彼は侍女に聞こえないように、アナベルに顔を近づけ、そっと小声で告げた。
「俺もね、君の言うように自分の利益のために君に優しくしている人間の一人だよ」
アナベルは目を瞠る。まさか、そんなことを本人から言われるとは思っていなかったからだ。彼はどこか自虐的に笑う。
「だから、俺のことは嫌ったままでもいいんだ。けど、ジークと――ヴィクトリアは違うから」
彼は今姿のない侍女の名前を口にする。
「ヴィクトリアもジークに命令されたから君に仕えているっていうのは確かにあるけど、本心から君を助けようと思ってるのは本当のことだから。そのことだけ知っておいてほしくて」
ディートリヒはそれだけ言うと、「じゃあね」と元来た道を戻っていった。
◆
ベルに言いたい事だけ伝え、ディートリヒはジークハルトの下へ戻った。
「どうした」
「いや、ちょっと言い忘れたことがあって」
ディートリヒが笑うと、ジークハルトは怪訝そうながらも何も聞かなかった。二人並んで廊下を歩き出す。ディートリヒは隣を歩く従弟の顔をチラリと確認してから、口を開いた。
「ちょっと驚いた」
「ああ、そうだな」
おそらく、ジークハルトが言っているのはアナベルの本音のことだろう。
あれだけ明るく振舞っていた彼女があんな考えを持っているとは知らなかった。少し感情表現が大袈裟なところはあるが、普通の女の子のように見えていたからだ。ただ、その点に関してはディートリヒもあまり偉いことを言えない。人に言えない心の弱みをバレないように笑顔で誤魔化しているのは自身にも言えることだ。
「いや、そうじゃなくて。あそこまでジークがハッキリと女の子に『好き』って言うの、珍しいなって」
必要と思わないことは話さないジークハルトは誤解されることもあるが、基本的に捻くれたところのない真っすぐな人間だ。他人の良いところを見つけるのが上手く、他人を嫌いになることは少ない。普段口に出さないが、先ほどアナベルに言ったのと同様の感情を――正直、大抵の人間に対して抱いているだろう。
(まあ、あの手のことを誰にでも言ってたらとんでもないことになるだろうから、今のままのがちょうどいいんだろうな)
ジークハルトが分け隔てなく好意を口にし始めたら――それこそ彼の妻の座を巡って、国中の娘たちが争いを起こす。ジークハルトも自身が異性に好まれる条件を持っていることを自覚しているから、基本的に女の子に対してどれほど好意を持ってもそれを口にすることはない。
「必要だと思ったからな」
ジークハルトは何事もないように言う。
──必要と感じたら、恥じないもなくああした本音を口に出来るのがすごい。
ディートリヒは笑う。
「ホント、罪づくりな男だよねえ。ベルちゃん、誤解してないといいけど」
「あれはそういうタイプじゃないだろ。それより、先ほどのやり取りは外部に漏らすなと伝達しろ」
兵士たちにどこまで話が聞こえていたかは分からない。ただ、最後のベルの本音は全員が聞いていただろう。
「それはベルちゃんのため?」
彼女の本音を周囲が知れば、問題が起きかねない。そうなれば困るのはベル自身だろう。念のため確認をするが、ジークハルトは答えなかった。
「後は任せた。私は着替えてくる」
代わりにそう告げると、足早に去っていった。
ディートリヒは彼の命令を同行した兵士に伝え――流石に兵士たちも弁えていたらしい。「当然です」と即答された――、ディートリヒはユストゥスの執務室に向かった。王太弟たちにもベルが行方不明になった件は報告されている。彼女が無事見つかったことと、一連のやり取りを報告するためだ。
ディートリヒが扉をノックし、名乗ると扉が開く。中から顔を出したのは茶髪の眼鏡の男性──ベルが謁見の間で会った人物だ。
「ディートリヒ」
「ベルちゃん無事見つかったよ」
ディートリヒはそう報告すると、男は心底安心したような笑みを浮かべた。
「ああ、それは本当に良かった。川に落ちたと聞いた時は本当に心配したんだ」
男は嬉しそうにディートリヒを労う。
「お前もご苦労だったね、ディートリヒ」
「俺は何も出来なかったけどね。全部ジークのおかげだよ」
結局、今日ディートリヒがしていたことは王都を走り回ることだけだった。
密偵を見つけたのはヴィクトリアの、ベルを見つけたのはジークハルトのおかげだ。そもそも、彼女が川に落ちたというのを知らせてくれたのはカイだ。ディートリヒは何も出来ていない。
苦笑いを見せてから、ディートリヒは執務室に入る。すると、二人のやり取りを聞いていた部屋の主が「そっかそっか」と緊張感のない声をあげた。
「彼女、見つかったんだね。あー、良かった良かった! しかも、ジークハルトのおかげとは、我が弟分ながら大したものだ」
眼鏡の男と同じような反応なのに、なぜだろう。部屋の主の言葉には真剣みが感じられない。軽く聞こえる。
執務机の椅子に腰かけていたのは二十代半ばの黒髪の男だ。
彼はエマニュエルに魔術の知識を教わった一人目の人物であり――ジークハルトとディートリヒにとっては叔父に当たる本物の王太弟、ユストゥスである。
先代の国王ユーリウス――ディートリヒには祖父に当たるが――は一番目の王妃亡き後、分家から新しい王妃を娶った。一番目の王妃が産んだのが現国王エドゥアルトとディートリヒの母クレメンティーネの二人。二番目の王妃が産んだのが王太弟の称号を持つユストゥス・J・エーレハイデだ。
二番目の王妃はエドゥアルト達と同世代で、先代の国王とは親子ほどの年齢差があった。そのため、ユストゥスとジークハルトは叔父と甥という関係性ながら、歳は五つしか違わず、お互いの関係性も叔父と甥というよりは兄と弟に近い。ジークハルトも私事ではユストゥスのことを『兄上』と呼んでいる。
(ホント、可哀想だな。ベルちゃん)
彼女も気づいているかもしれないが、ベルは今までずっとユストゥスの掌で転がされていた。
エマニュエルが捨てた手紙をユストゥスは再利用し、魔術機関まで届けさせた。サラマンダーから接触がなかったため、ユストゥスは今度正攻法で直接魔術機関に魔術師派遣要請を出した。ベルがサラマンダーの養女であり、手紙に書かれていたものを『物』と勘違いしていることを知るとそのことを利用しようとした。「顔と立場を知られると後々動きにくいから」という理由で、ユストゥスは宰相であるディートリヒの父親を替え玉にして謁見させ、本人は警備の兵士の振りをしてベルの様子を観察した。その後、手紙に書いてあったものの正体を隠すように指示し、ベルが自ら情報を欲しがるように誘導した。その後、直接接触もしたらしい。詳細は聞いていないが――本当に可哀想だと思う。
しかし、この件に関してはディートリヒも片棒を担いでいる。自分も加害者側だ。ベルに恨まれてもしかたないと思っている。
ユストゥスはニコニコと笑みを浮かべている。
「じゃあ、ディートリヒ。僕に詳しく報告してくれるかな」
そうして、ディートリヒはジークハルトに口止めされた一連のやり取りを含め、全てをユストゥスに報告した。すべてを聞き終えた王太弟は「へえ」と面白そうな笑う。
「面白そうなことになってきたね。ワクワクするよ」
彼は本当に楽しそうに目を輝かせている。
「ジークハルトにそこまで言わせるとは、彼女もなかなか面倒そうな子だね。うん、期待以上かな。ジークハルトもヴィクトリアを使って自分じゃ接触しないから困ってたんだ。もうジークハルトもあの子のこと放っておけなくなったでしょ。ぜひこのまま仲良くなってほしいところだね、僕としては」
父――メルヒオールは困った表情を浮かべたまま、ユストゥスとディートリヒを見比べている。ディートリヒはユストゥスに静かな口調で言う。
「良かったですね。思惑どおりに物事が進んで」
ユストゥスも、ベルが川に落ちたのは予想外だっただろうが、結果的には彼の望むとおりに物事は進んでいる。
西の砦での最悪な出逢いのせいで、ベルはジークハルトに良い印象を抱いてなかった。それをどうにか仲を取り持つために、二人が接触するよう、距離が縮まるようあれやこれや謀略を巡らした。
「いや、問題はこれからだよ」
しかし、ユストゥスはまだだと言う。
「僕の目的はまだ達成されていない。ぜひとも、彼女には頑張ってもらわないと。――ジークハルトのためにね」




