幕間:スエーヴィルの密偵①
一旦、ディートリヒ視点となります。
時刻は昼過ぎに戻る。
ベルの許可を受けて、食堂を飛び出したディートリヒは周囲を見回した。既にヴィクトリアの姿も、男の姿も周囲にない。しかし、右手に転んで荷物をひっくり返している男がいた。
ディートリヒは彼に駆け寄る。
周囲には彼の荷物を拾うのを手伝う数人の姿があった。
「もしかして、誰かとぶつかったの?」
そう訊ねると、「いいや」と荷物を拾っていた別の男が答える。
「男とぶつかりそうになったのを避けようとして転んだんだよ。相手が高く跳びあがって避けてくれたがね。ありゃ、大道芸人かなんかかね?」
「その後を女の子が追いかけていかなかった?」
ディートリヒが訊ねると、別の若い女性が頷く。
「追いかけていったのかは分からないけど、確かに女の子がすごい勢いで走っていたのは見たわよ」
ディートリヒは「ありがとう」と礼を言うと、二人が向かったであろう方向へ走り出す。
何度か二人を見かけた人間に向かった方向を確認しながら、ディートリヒは進んでいく。人に訊ねる分どうしても時間はかかるが他に方法がない。どちらにせよ、ディートリヒの足ではあの二人には追いつけないだろう。確実に追いかける手段を選んだ。
二人が向かったのは王都の外だ。二人の足跡を辿って、西の門までたどり着いたディートリヒは見張りの兵士に声をかける。運の良いことにその隊のリーダーはディートリヒも知っている人物だった。
「あれ、ディートリヒ副官。どうしたんですか?」
「不審な人物が門を出ていくのを見なかったか」
「いえ、特にそういった報告は受けておりません」
それであれば、二人は門ではなく塀を越えて王都を出ていった可能性が高い。
軽業師のように身軽で、自力で塀を越えられる人間は多くない。ディートリヒはヴィクトリアが追っていった人物の目星がついた。
「馬を貸してくれないか。あとは人手も借りたい。緊急事態だ」
ディートリヒの言葉に兵士たちに緊張感が走る。
「ヴィクトリアが不審者を追っていった。――おそらく、スエーヴィルの密偵だ」
ディートリヒの言葉に見張りの一人が「城に伝えてきます」と走り出す。
だが、優先事項はヴィクトリアを見つけることだ。ヴィクトリアの実力はエーレハイデ随一だが、相手がスエーヴィルの密偵となれば実力は五分五分だ。もし向こうに仲間がいれば、人数的に劣勢となる。
ディートリヒは隊列を作り、周囲を捜索する。そのうち、城からの応援が加わり、大人数でヴィクトリアを探すことになった。
彼女を発見したのはそうして捜索を始めて一時間以上経ってのことだ。王都から大分離れた場所で彼女は一人、岩場の影で隠れていた。
「ヴィクトリア」
ヴィクトリアを見つけたという一報を聞いて駆けつけたディートリヒはヴィクトリアの衣服が刃物で切られズタボロになっているのに気づいた。
本人の白い肌にも複数の切り傷がある。左腕には裂かれた布が巻かれ、真っ赤に染まっている。
「申し訳ございません。取り逃がしました」
しかし、本人は至って落ち着いた態度である。
「怪我の具合は」
「問題ありません。軽傷です」
とてもではないが、軽傷には見えない。ディートリヒが手を伸ばすと、ヴィクトリアは首を横に振る。
「短剣に毒が塗ってありました。私は耐性がありますが、触れるのは危険です」
「いや、全然大丈夫じゃないでしょ。それ」
ディートリヒは重い溜息をはいた。
「とにかく、生きてて良かった。あんまり無茶したら駄目だからね」
「分かりました」
ヴィクトリアは頷くが――おそらく、分かっていない。
この手のやり取りはもう何度も繰り返している。しかし、一向に彼女は自分の身を顧みようとはしない。そのことをいくらディートリヒが諭してもきっと彼女は理解しないだろう。この件に関しては一度諦め、ディートリヒはもう一つ確認しておかないといけない事を訊ねる。
「やっぱり、『牙』?」
「はい。『六番』でした。追い詰めましたが、途中で『五番』と合流され、逃げられました」
ヴィクトリアの答えにディートリヒは表情を険しくする。
王都にスエーヴィルの密偵がいたということは、ここ数年静かだったスエーヴィルがとうとう動き出したということに他ならない。
そのとき、また他の兵士達が集まってきた。その中にディートリヒは従弟の姿を見つけ、ぎょっとする。
「ヴィクトリア、無事か」
ジークハルトは馬から下りると、ヴィクトリアの横で膝をつく。
「問題ありません。ただ、『六番』を取り逃しました。『五番』もいました」
「……『牙』か」
その報告にジークハルトの表情に緊迫感が増す。
ディートリヒは周囲を確認する。ここには事情を知らない兵士も多い。周りに聞こえないような小声で「おい、ジーク」とディートリヒは声をかけた。
「何で王都の外まで来てんの。危ないだろうが」
「侵入者は『牙』だろう? なら、私が出てきても何も問題はないはずだ」
ジークハルトの指摘にディートリヒは黙り込む。
彼の主張は間違いではない。『牙』と渡り合える実力者はヴィクトリアを除けばジークハルトか、テオバルトを含めた将軍たちくらいだろう。敵が『牙』だけなのであれば前線にジークハルトが出てくることは問題ない。
しかし、いくら王位を継ぐ立場にないとはいえ、仮にも王子だ。ここまでやって来るのは無防備ではないだろうか。ヴィクトリアといい、ジークハルトといい、どうしてこうもディートリヒの周囲には自分の身を顧みない人間が多いのだろう。胃が痛くなってくる。
「ディートリヒはヴィクトリアを連れて先に城へ戻れ。念のため、周辺の警戒を行う」
そう言って、ジークハルトは周辺の兵士たちに指令を出していく。
おそらく、とっくに『六番』と『五番』は逃げているはずだ。ジークハルトもそのことは理解しているだろう。
「ヴィクトリア、立てる?」
本来であれば手を貸してやりたいところだが、先ほど拒否された以上手を出すのはやめておいた方がいいだろう。
ヴィクトリアはこくりと頷くと、立ち上がった。馬に乗ろうと木に結んでいた手綱を解いていると、彼女は「申し訳ございませんでした」と謝罪を口にした。
「何が?」
「せっかくの観光を台無しにしてしまいました」
少女は僅かに俯く。
「ベル様。楽しみにしていらっしゃいました」
ディートリヒは食堂に置き去りにしてきてしまった調査員のことを考える。
非常に感情豊かな少女は観光を楽しみにしていたそうだ。実際、王都を巡っている彼女はとても楽しそうだった。それがこんな形で中断することになってしまったのだ。ヴィクトリアが申し訳なく思う気持ちも当然だろう。
ただ、おそらくそれはヴィクトリアにも言えることだ。
自己主張をせず、ひたすら与えられた仕事に忠実な彼女は王都に遊びに行くことはほとんどない。ベルの護衛という名目はあったものの、彼女自身も普段下りない王都を巡るのを楽しんでいたはずだ。実際、ベルほどではないが甘いお菓子は美味しそうに食べていたし、大道芸の公演には一番釘付けになっていた。
ディートリヒは安心させるように、笑みを浮かべる。
「後で一緒にベルちゃんに謝ろうね」
ヴィクトリアは一度瞬きをしてから、こくりと頷いた。
◆
ベルと別れてからすでに三時間近く経っている。彼女もいい加減待ちくたびれているだろう。
しかし、ディートリヒはベルと先に合流するか、ヴィクトリアを先に城に送るかどちらにするか考え、後者を選んだ。ベルには本当に申し訳ないが、傷だらけのヴィクトリアの治療が先だと考えたのだ。
城へ到着すると、ヴィクトリアは医務室へ向かっていった。残されたディートリヒはベルを迎える為、王都へ戻ろうとし――鬼の形相のテオバルトに出くわした。
(まずい)
とうとう、ディートリヒは自分の死期が来たことを悟る。
テオバルトはディートリヒに恐ろしい形相のまま近づいてくる。ディートリヒは出来るだけ将軍の機嫌を損ねないために笑みを作る。――もっとも、それが逆効果であることに彼は気づいていない。
「お疲れ様です。テオバルト将軍」
「一体、これはどういうことだ」
地を這うような低い声だ。
幼少期からジークハルトと共に、ディートリヒもテオバルトに剣術を教わっていた。当時は稽古中は厳しいものの、普段は温厚なテオバルトとの仲は良好だった。特にテオバルトは才能がないディートリヒにも熱心に教えてくれ、ちょっとした成長を褒めてくれた。ディートリヒにとってテオバルトは尊敬する師であった。
それが二年前のスエーヴィルとの戦後――色々あった結果、現在はすっかり目の敵にされているのだ。原因はどう考えても彼の娘である。
ディートリヒからすればヴィクトリアは歳の離れた可愛い妹分である。邪な考えは一切ない。しかし、ディートリヒの昔の素行――主に女性関係だが――が悪すぎて、全く信用されていないのだ。
その上、純粋に妹のように慕ってくれているヴィクトリアの様子を見て、『ヴィクトリアはディートリヒにご執心』と周囲が囃し立てるため、それが更にテオバルトとの関係を悪化させている。
ジークハルトの副官として働いているディートリヒがテオバルトと一対一で対面することはほとんどない。そのため、今までは事なきを得ていたのだが、これはもう年貢の納め時かもしれない。可愛い娘を怪我させて戻ってきたのだ。テオバルトに首を取られても言い訳は出来ない。
「今回の件に関しては、本当に俺の不徳の致すところで」
「オレはそういう言い訳を聞きたいんじゃねえよ」
それでも何とか命だけは助けてもらおうと謝罪をしようとしたが、あっけなく切り捨てられてしまった。テオバルトは乱暴に地面を蹴る。
「何で、テメエがヴィーカと二人きりで戻ってきてるんだ」
しかし、テオバルトが怒っている原因はどうやらヴィクトリアの怪我ではないようだ。
そういえば、将軍がディートリヒとヴィクトリアを二人きりにさせたくないと言っていたとベルが話していた。二人きりになったところで何も起こるわけもないのだが、テオバルトは本当に嫌だったらしい。
ディートリヒは慌てて弁明の言葉を口にする。
「それについては本当に不可抗力と言いますか、俺も望んでそうなった訳じゃないんです。本当ですよ」
「……まあ、今は緊急事態だ。今回は不問にしてやる」
心底不服そうながら、一旦テオバルトは怒りを収めてくれた。
どうやら、まだディートリヒは死ななくてすむらしい。ホッとする。
「で、ベルはどうしたんだ。もちろん、無事だよな?」
「危ないので、王都の食堂で待ってもらってます。今から迎えに行ってきます」
「早く行ってやれ。……ベルにはちょっと悪いことになったな」
そう言って、テオバルトは医務室の方へ向かっていく。おそらく、ヴィクトリアの様子を見に行ったのだろう。
テオバルトと別れたディートリヒは坂を下り、昼食を取った食堂まで戻った。




