四章:王都観光④
それからどれだけ時間が過ぎただろう。一時間経っても、二時間経っても二人は戻ってこなかった。
「事情は分かるんだけどさ。申し訳ないんだけど、夜の準備もあるからそろそろ出てってもらってもいいかな」
そう申し訳なさそうに言うのはカイだ。黒髪の少年――どうやら、カイの弟らしい――を捕まえて暇を潰していたのだが、そろそろ限界らしい。
アナベルは溜息をはいた。
「長居してしまってすみません。お会計はおいくらですか」
「全部で四十六銅貨だよ。姉ちゃん、硬貨の種類分かる?」
アナベルは将軍から受け取った巾着を懐から取り出す。まさかこんなことになるとは思っていなかったが、将軍にお小遣いを貰っていて助かった。カイは巾着の銅貨を数えていく。
「うん、足りねえな」
「嘘でしょう!?」
巾着に入っていた銅貨はちょうど三十枚。会計には足りない。
アナベルにはこちらの通貨の貨幣価値が分からない。ただ、先ほどディートリヒはこの店は安いと言っていた。なのに、三人分の昼食代にも満たないなんて。
「ひどい! 好きな物を買っていいってくれたのに、そんなに少ないなんて!」
「いや、姉ちゃんが食べすぎなんだよ。これだけあれば色々買えるって。くれた奴は悪くねえよ」
そう言ってカイはテーブルの上のお皿を見る。全部合わせて十三枚。お茶も同じ数だけお代わりをしている。
これは完全に困った。これでは無銭飲食になってしまう。
カイは「仕方ねえな」と溜息をはいた。
「父ちゃん。ミヒャエルとさっき言ってた買い出し行ってくるよ。そのついでに姉ちゃんを送って、一緒に会計も貰ってくる。いい?」
カイは厨房の奥に声をかける。アナベルは目を瞠る。許可を得たカイはエプロンを外し、黒髪の少年――ミヒャエルにも声をかける。
「よし、じゃあ行こうぜ。どこに送ってけばいい?」
「いいんですか?」
先ほど彼は夜の準備があると言った。これから夜の営業に向けて仕込みなどもあるだろうに。
「足りない食材の買い出しを頼まれてたんだよ。そのついでさ。平気だよ」
ついでにしては些か手間がかかる内容ではある。アナベルは少し悩んだが、少年の申し出を受け入れることにした。
カイたちに連れられて、アナベルは王都の道を歩いていく。
「何だ、姉ちゃん王城に泊まってんの? すげー!」
「しー! しー! あんまり大きな声出さないでください!」
周囲には人の姿も多くある。王城に滞在している客人ということは必要以上に明かさない方がいいだろう。悪い人間に狙われる可能性もある。
ミヒャエルは困ったような表情を浮かべる。
「お姉さんも声大きいと思います」
「悪ぃ悪ぃ」
カイは申し訳なさそうに笑った。
「王城か。それじゃあ、中までは入れねえな。門の前まで送ればいいか?」
「ええ、もちろんです。本当にありがとうございます」
城門には見張りの兵士がいる。兵士がアナベルの顔を覚えているかは分からないが、将軍でも呼んでもらえれば中に入れるだろう。その時にお金も払ってもらおう。
「それにしても姉ちゃん何してる人なの? 王城に泊まれるってなかなかないぜ」
カイの質問にアナベルは考える。
周囲を見ると人影が疎らになっていた。聞かれる心配はなさそうだ。
「ふふふふ、聞いて驚かないでくださいね。何を隠そう私は魔術師なんです!」
アナベルは胸を張って、満面の笑みで告げた。
驚きの声が返ってきてもおかしくない――そう思っていたのに、カイの反応は微妙なものだった。
「…………マジュツシ?」
「ほら、兄さん。童話にも出てくるじゃない」
ミヒャエルの方はピンときているようだが、説明に持ち出したのは何故か物語だ。
そういえば忘れていたが、東方では魔術師に関する常識が違う。大道芸人と同じような認識だったことを今更思い出した。
せっかく、見栄を張ろうと思ったのに――アナベルが落胆していると、カイが思い出したように声をあげた。
「ああ、魔術師か! 思い出した思い出した! あれだろ。おかしな力を持ったやつのことだろ。俺、てっきり魔術師なんて作り話の中にしか出てこないと思ってた。現実にある職業なのか?」
「――なっ」
ミヒャエルが「兄さん」と咎めるような声をあげる。
「それはあまりにも失礼だよ」
「そうですよ! せっかく人が秘密を打ち明けたというのに、そもそも魔術師の実在も疑うなんて!」
「いや、だって俺、魔術師なんて初めて見るし。ミヒャエルもねえだろ?」
「そうだけど。……あの、お姉さん」
黒髪の少年は困ったようにアナベルを見上げる。
「その、魔術師って何をする職業なんですか?」
完全にアナベルは言葉を失っていた。まさか、そんなことを質問される日が来るとは思ってなかった。
「……仕事は色々ありますけど、今の私はこの国に魔術師が必要かどうか調査するのが仕事です」
「へー、なんか難しい仕事してるんだな」
カイはあまり理解出来ていないらしかった。
アナベルもまさか魔術師の存在をこんなに軽んじられているとは思っていなかった。しかし、考えてみれば確かにエーレハイデには魔術師がいない。カイが実在を信じていなかったとしてもおかしくないのかもしれない。ただ、それでも納得できない部分がある。
アナベルは視線をカイに合わせる。
「本当に魔術師を知らないんですか? 存在は聞いたことぐらいあるでしょう? エーレハイデにだって王宮魔術師がいたんですから」
そう、エーレハイデには王宮魔術師がいた。
十年前までの事とはいえ、王都は彼女がいた城のお膝元だ。何かしら噂が流れていてもおかしくないと思うのだが。
「オーキュー魔術師って……城に魔術師がいたってこと? 初めて知った」
しかし、二人は不思議そうな表情をするばかりだ。
アナベルは怪訝に思う。しかし、カイ達が嘘をついている様には見えない。十代前半に見える少年たちはエマニュエルの存命時、物心もついていなかっただろう。知らなくても無理はないかもしれない。
それに思い返してみると、テオバルトは「エマニュエルが王宮魔術師みたいなことをしていた」と言っていた。あとは「正式ではない」とも言っていたような気がする。となれば、一般国民にはエマニュエルの存在については伏せられていたのだろうか。
そう思ってアナベルは質問をした。
「あの、エマニュエルって女性知ってます? 十年ぐらい前までお城にいたらしいんですけど」
アナベルは当然、知らないと言われると思った。しかし、カイはおかしなことを言われた様に「当たり前じゃん」と突然笑い出した。
「亡くなった王妃様だろ? それくらい、俺だって知ってるよ」
「――――え?」
カイの言葉に正しく頭を殴られたような衝撃を感じた。
――今、目の前の少年はなんて言った。
思い出せ。今までエマニュエルについて言及した人物は誰だ。将軍。王太弟。侍女。弟子。
友人だと言っていたテオバルトを除けば、誰もが彼女を『エマニュエル様』と敬称をつけて呼んでいた。ヴィクトリアやユーリウスは分かる。だが、次期国王であるユストゥスもだ。確かに彼は目下のアナベルにも丁寧な口調で話しかけていたが、テオバルトにもアナベルには『様』をつけなかった。
王宮魔術師と言えど、身分は王族には劣るはずだ。なのに、なぜ身分の高い王太弟がエマニュエルに様付けをする必要があるのだ。
「ちょっと待ってください。彼女は、王妃だったんですか?」
二人は顔を見合わせ、頷く。
「うん、そうですよ」
「姉ちゃん、王妃様の名前は知っているのに王妃様ってことは知らなかったのか?」
「…………知りませんでした」
誰もそのことをアナベルに教えてくれなかった。
確かに、今まで王妃について誰も何も言っていなかった。
もしかしたら、魔術機関を出発する際ハーゲンから説明があったかもしれないが、エーレハイデに入ってから誰からも言及されていないのは確実だ。テオバルトも、ユストゥスも、ユーリウスも、誰もエマニュエルが王妃であった事実を話していない。隠していたのだ。――いったい、それはなぜだ。
ひどく狼狽した様子のアナベルをカイとミヒャエルは怪訝そうに見つめる。
「大丈夫か、姉ちゃん」
「……大丈夫です」
アナベルは深呼吸をする。
――おそらく、何かしらの裏がある。
あそこまでエマニュエルについてアナベルが話題に出しているのに誰一人彼女が王妃であった事実を口にしなかった。どう考えても故意としか思えない。
特にユーリウスに関してはエマニュエルとジークハルトの関係性に言及している。それにも関わらず、二人の関係を師匠と弟子としか説明していない。
「……一応確認ですけど、それであれば王妃様と王子は親子ってことでいいんですよね」
「うん、そうだよ。前の王様と違って、今の王様はエマニュエル様としか結婚してねえもん」
カイはアナベルの質問を肯定した。
それであれば、そもそもユーリウスの説明はおかしいのだ。二人の師弟関係に触れる前に、そもそも二人が親子であることを先に説明するのが普通ではないだろうか。だが、そのことを彼は言わなかった。明らかな意図を感じる。
自称魔術師はエマニュエルの遺品について、王子に訊ねるように言った。
しかし、何かしらの企みがありそうなのに、彼の言う通りに行動していいのだろうか。アナベルは今、誰かの掌で転がされている感覚が強い。――おそらく、その誰かは城内にいる人物。きっと、王太弟だ。
今までアナベルが接触した人間は誰もが王城に関わる人間だ。今まで関わったほとんどの人間がその誰かの息がかかっている。その誰かの思惑に乗らないためには、別の行動を取るべきではないだろうか。
今、アナベルの周りには王城の人間がいない。護衛のヴィクトリアも、案内役のディートリヒも別行動だ。そして、この状況は偶然作り出されたものであり、誰の意思も介入していない。今が行動する好機なのではないだろうか。
アナベルは二人の腕を掴む。
「教えてください。どうすれば、王妃様について知ることが出来ますか。この王都で、彼女について詳しく知る方法はありませんか」
王城で得られる情報は信用できない。しかし、王都はどうだろう。
城内でアナベルに接触する人間に口止めさせるのは簡単だが、何万人もいる王都の住人に情報規制を敷くのは難しい。この王都の中なら、本当のことが分かるかもしれない。
訊ねられた二人には未だ困惑の色は強い。――しかし。
「確か、外れの教会の修道女のおばあさんって元々王妃様に仕えていた使用人じゃなかったっけ」
そんなことをポツリと口にしたのはミヒャエルの方だった。カイも思い出したかのように頷く。
「ああ、そういえばそうだったな」
「多分、この王都で王妃様に一番詳しいのはその人だと思います」
「その教会ってどこのことですか?」
「川沿いの通りをずっと向こうに行ったところにあります」
アナベルはミヒャエルが指さした方向を見る。
川沿い。教会。その単語と方角さえ分かっていれば目指すのは難しくないだろう。
「その修道女の方のお名前ってわかります?」
「えっと、ヴァネサさんです」
「ありがとうございます。私、ちょっとその人に会ってきますね」
そう言って、城とは逆の方向に歩き出したアナベルを「待て待て」と引き止めたのはカイだ。
「姉ちゃん、帰るんじゃなかったのかよ!」
「そんなことを言ってられなくなりました。やらないといけないことが出来たんです」
「一人で行くつもり? てか、お会計貰いに行くって話だったじゃん!」
そういえば、そうだった。アナベルは考える。
「お会計はさっきの男の人につけておいてください。お二人は帰ってもらっていいですよ。ここまで一緒に来てくれてありがとうございます」
「いやいや、それで帰れってのもひどくない?」
カイは頭を乱暴にかくと「ああ、もう!」と声をあげた。
「分かった分かったよ。乗り掛かった舟だ。姉ちゃんについてってやるよ。――ミヒャエル、買い出しはお前一人で行ってくれないか。量は多いけど、一人で持ちきれないほどじゃねえだろ。帰ったら、父ちゃんには少し遅くなるって伝えてくれ」
「え、でも、それじゃあ兄さんが父さんに怒られちゃうよ」
「だからって姉ちゃんを一人で行かせるのは危ないだろ。若い姉ちゃんを一人っきりにしたって聞いたらそれこそ父ちゃんに殺される」
ミヒャエルはまだ何か言いたそうだったが、俯いて「分かった」と答えた。
「よし。じゃあ、姉ちゃん行こうぜ」
「いや、それはさすがに申し訳ないです。大丈夫ですよ、一人で行けます」
「姉ちゃんさ、突然教会に押しかけて相手してもらえると思ってるの?」
カイの指摘にアナベルは黙り込む。
「土地勘だってないだろ? 案内役はいた方がいいって。――あと、これが終わったら城に戻って、会計くれるって約束してくれよな!」




