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四章:船の旅①


「私、そんな話聞いてないです!!」

「会議で話題に出ていただろう」


 抗議に対し、返ってきたのは呆れたような返事だった。ジークハルトはこちらを一瞥さえしない。


「君が聞き逃しただけだ」

「いったい、いつの会議の話ですか!」

「ヴァルムハーフェンに来た翌日だね」


 そう答えたのはディートリヒだった。副官は苦笑いをしている。


「イゾラ大使はリーゼロッテへの求婚前からジークへの会談を希望していたんだよ。ちょうどレーニッシュ商会が地元の有力者を呼んで新しい遊覧船のお披露目をするのに、イゾラ大使も招かれてるからそこに参加することになったんだ」

「――そんな前から」


 確かにアナベルは会議の話を真面目に聞いていない。王都を離れ、気難しさの塊であるニクラスの監視がなくなったのでなおさらだ。聞き逃していてもおかしくはない。


 そこでやっと、ジークハルトは仕事を中断し、顔をあげた。少しだけ表情が柔らかくなる。


「せっかく港町に来たんだ。一度船に乗っておくのも楽しいだろう」


 この場合の楽しいの主語は、ジークハルトではなくアナベルだろう。確かに大型の船に乗れるのは楽しそうではある。しかし、彼自身はどうなのだろう。


 そう思って、質問を投げかける。


「ジークは船に乗ったことあるんですか?」

「川を下るために小舟に乗ったことはある。帆船に乗って海に出るのははじめてだ」


 それを聞いてアナベルは胸を張る。


「じゃあ、私の方が経験豊富ですね! 魔術機関は海に浮かぶ島ですからね! 当然、私は海を渡ったことがあります! それも何回も!」

「それ、得意げに言うこと?」


 優越感に浸っていたのにケチをつけられ、気分を害したアナベルは副官に噛みついた。


「なんですか! ディート副官は船に乗ったことあるんですか!」

「いや、俺もジークと同じで湖とか川で小さい舟に乗ったことしかないけどさ」

「――ご存じないんですか!? 川と海は全然違うんですよ!」


 何も分かっていなさそうな副官に、アナベルは大げさに驚いてみせる。


「海は本当に恐ろしいところなんですよ!? 突然の天候悪化や座礁で船が転覆することもありますし、方向を見失って漂流することも、海に住む魔獣が襲ってくることもあるんですよ!! 頑張れば泳いで岸を目指せる川とは全然違うんです! つまり、私とお二人の間には大きな経験の違いがあるわけです!」

「…………アナベルちゃん。俺が西方に行ったことあるの忘れてない? 魔術機関のある島がそんなに大陸と離れてないってことくらいは知ってるよ」


 力強く訴えるアナベルにディートリヒは冷静な返しを返した。誤認させることに失敗したアナベルは「ちっ。バレましたか」と舌打ちをする。副官は嗜めるように言葉を続ける。


「それにこれから船に乗る予定があるのに、海難事故の話をするなんて縁起が悪いよ」


 その指摘には確かにと思う。念のため、ジークハルトの様子を窺う。特に不快そうな表情を表に出していない。


 アナベルは念のため、安心をさせるようにとびきりの笑顔を作る。


「ご安心ください。もし、船が沈むようなことがあってもジークの身は私が守ってあげますから」


 空から降ってきた槍で船が壊れようが、突然海賊が襲撃してこようが、何があってもそのことは保証できる。


 しかし。


「そのときは私より他の乗客を優先してくれ」


 ジークハルトから返ってきたのはいつも通り利他的な返事だった。



 ◆



 遊覧航海の予定航路はこうだ。


 港を出発し、一時間半ほどかけて少し離れた群島を目指す。その周りをぐるりと巡った後、港に戻る。大体三時間ほどの船旅だ。


 その島々はどれも小さく、大きな嵐が来ると波に飲まれることもある。人が住むには向いていない場所だ。しかし、その近辺の海は澄み渡っており、景色を楽しむには適している。そのため、一目その光景を見たいと思う者は少なくないらしい。


 レーニッシュ商会が新しく造船させた中型船は、今後富裕層向けの娯楽事業として様々な遊覧航海を行っていく予定らしい。今回の招待客はその試験運行に招かれたわけだ。


 招待された来賓は十組程度。説明があった通り、それぞれ政治、商業、漁業、様々な分野のヴァルムハーフェンの最有力者と呼べる人々が呼ばれているそうだ。


 元々、元帥のお付きとして遊覧船に乗船することになったのは副官(ディートリヒ)護衛(アナベル)侍女(ヴィクトリア)軍医官(フェルディナント)だ。急遽ここにリーゼロッテも加わり、計六人。そこそこの大所帯だ。他の来賓のほとんどは夫婦か親子での参加で、二人一組が多い。


 例外なのは、今目の前にいるクラウディオ一行だろう。ジークハルト同様王族である彼にも護衛は必要だ。神兵が三人もついてきている。先日港で会ったときと違うい、夫人は一人もいなかった。


「はじめまして。お会いできて、大変光栄だ」

「こちらこそ。今回は我々の都合に合わせてもらって大変申し訳ない。感謝している」


 出向前、遊覧船の甲板でエーレハイデの元帥とイゾラ大使は握手を交わす。この場に同行しているのはディートリヒとアナベルだけだ。残りの三人は割り当てられた客室で待機している。


「それにしても、風も強くなく、快晴でよかった。天候が悪ければ、今日の催しは中止になってしまう。こうして元帥とお話しすることも叶わなくなってしまった」

「ええ、本当に。海は一度荒れると大変だと聞く。海のことは、大使のほうがよくご存じだと思うが――」


 二人がとりとめもない世間話をするのを、アナベルは心を無にして聞く。


 イゾラの海の話や、エーレハイデの内陸の話。一国の王族同士が交わすにはあまりに実のなさすぎる話題だ。こういう交流(コミュニケーション)が社交上必要なことと分かっていても、表面的な会話をくだらないと思ってしまう。


(好きで世間話してるならいいですけど、そうじゃないですからね。さっさと本題を切り出せばいいのに)


 あくまで、二人の間で交わされる雑談は前座のようなものだ。お互い他国の王族ということもあり、どこか緊張した雰囲気を感じる。心を許し、気楽に話せる相手ではないのだ。


(まあ、イゾラ側に本題があるのかもわかりませんけどね)


 ここに来る前、アナベルはジークハルトと少し話をした。話題は大使の目的についてだ。


 何か明確な用件があるのか。それとも、ただエーレハイデの王族と面識を持っておきたかったのか。


 アナベルの疑問に対し、ジークハルトは後者ではないかという推測を話してくれた。


『私自身は外交に関与する立場ではない。イゾラ側に何か要求があったとしても、外交ルートを通さなければ、それは非公式のものだ。何か言われたとしても、私は外交ルートを通すようにとしか言えない。南部(ここ)まで王族の誰かが来ることは稀だ。顔を合わせておきたいのだろう』


 今回の機会を逃せば、次にクラウディオがエーレハイデの王族と顔を合わせる機会がいつ来るか分からない。一旦面識だけでも持っておきたい――そういうことではないかと言われた。


(ずいぶんと仕事熱心なことですね)


 そんな事を考えていると、世間話が一区切りついたのだろう。大使は元帥の後ろ――アナベルとディートリヒに笑顔を向ける。


「先日は妻が世話になったね。ありがとう。そちらの副官の方には自己紹介してもらったが、そちらのお嬢さんはまだだったね。名前を聞いても?」


 どうやらディートリヒだけでなく、アナベルの顔も覚えられていたらしい。少し考えてから、名前と役職だけ短く答える。


「アナベル・シャリエ。王宮魔術師です」

「彼女は私の護衛を引き受けてくれている」


 あまりに自己紹介が端的すぎたせいだろう。ジークハルトが補足説明を加える。それを聞いた大使は明らかに怪訝そうな表情を浮かべる。顎に手をあて、首を傾げる。


「そのお嬢さんがかい? それと、その、()()()()()というのは何なのかな? はじめて聞く言葉だが……」


(――あ)


 その反応に、アナベルは何度目かの『そうだった』を思い出す。


 すっかりアナベルの周囲では当たり前になった魔術師という存在だが、そもそも東方での認知度は低い。特にイゾラは島国だ。そういった情報と縁遠くてもおかしくはない。


 アナベルはちらりとジークハルトに視線を向ける。


 本来であれば自分自身で魔術師の何たるかを語るべきだろう。しかし、魔術師の魔の字も知らない相手にうまく説明する自信はない。こういうのはこの国で二番目に魔術に関して造形が深い元帥のほうが向いている。


 しかし、期待に反して、ジークハルトは何か考え込んでいる。彼でも何も知らない相手に伝えるのは難しいのかもしれない。


 ――しかたない。


 アナベルは小さくため息を吐く。それから両手を前に広げる。


「見ててください」


 それだけ告げ、手に魔力を込める。――そして、魔術で火を創り出す。


 急に人の手の上に火が現れたことで、神兵たちは浮足立つ。彼らはイゾラ大使を庇おうと前に出るが、そのときには既に火は消えていた。アナベルが消したのだ。


「ご覧の通り、不可思議な術を使える人間のことです。大道芸の類ではありませんよ。種も仕掛けもありません。ご希望があれば、空だって飛びますし、海だって割りますよ」


 驚いたようにこちらを見つめる異国の王族に言う。その間に人影が割り込む。ジークハルトだ。


「というのは冗談だが」


 彼はそう言ったが、アナベルとしては別に冗談を言ったつもりはない。――面倒なのでわざわざ否定する気は湧かないが。


 ジークハルトは代わりに説明を続ける。


「魔術師はこうした術を扱える。大陸の東側では珍しいが、西方では誰もが知る存在だ。実際、彼女も西方からやってきてくれている」

「……なるほど」


 大使は顎をさすったまま、呟く。それから、ニコリと笑った。


「興味深いものを見れた。ありがとう」

「…………いいえ、どういたしまして」


 なんとなく、その笑顔に居心地の悪さを感じる。早く話を切り上げて客室に戻りたい。


 その願いが届いたのだろうか。ジークハルトが口を開いた。


「大使。申し訳ないが、まだ挨拶ができていない来賓がいる。一度失礼してもよろしいだろうか?」

「ああ、もちろん。では、また後ほど」


 そうして、アナベルたちは甲板を後にし、階段を下りて船内へと戻る。周囲に人がいないところで、ジークハルトは立ち止まった。こちらを振り返った彼の表情は明らかに険しいものだった。


「アナベル。クラウディオ大使の前でこれ以上魔術を見せるな。魔術の話をすることもだ」


 突然の指示に、アナベルは困惑する。


「いや、まあ、必要以上に使う気もする気もありませんけど。何でですか? というか、他の乗客はみんなもう先に挨拶に来てくれてたじゃないですか。誰に挨拶に行こうって言うんですか?」


 イゾラ大使より先に遊覧船に到着していたジークハルトは既に他の招待客全員との挨拶はすんでいる。


 疑問をぶつけると、あっさりとジークハルトは言う。


「あれはあの場から離れるための方便だ」

「嘘ってことですか」


 その言葉に一瞬ジークハルトは眉をしかめる。しかし、身も蓋もないアナベルの物言いについては指摘をせず、彼は話を続けようとする。


「彼は君に」


 だが、そこで話は中断されてしまう。廊下の向こうから他の招待客が姿を現したからだ。確か、彼らは漁業組合の重役とその夫人だったはずだ。


「これは元帥閣下。イゾラ大使とのお話は終わったんですかな?」


 その老夫妻に捕まったジークハルトは結局、他の招待客もいる休憩室(ラウンジ)へと連れて行かれてしまった。その後、人気のない場所で密談をするような時間もなく、アナベルが話の続きを聞くことはできなかった。


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