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一章:港町・ヴァルムハーフェン③


 翌朝、ジークハルトと共に馬車に乗って向かったのはヴァルムハーフェンから少し離れた丘だ。街と海が一望できるその場所に目的の館が立っていた。


 ジークハルトの手を借りながらアナベルは馬車を降りた。赤い屋根に白い壁の大きな建物を見上げる。


 その立派さはまさに貴族の屋敷そのものだ。


 護衛の兵士たちをそこに残し、アナベルとジークハルトは出迎えてくれた館の主人とともに中に入る。


「お久しぶりでございます、ジークハルト様。拙宅へのご来訪、心より感謝申しあげます」

「こちらこそ、時間を割いてもらって助かった」


 案内されている途中、遠くに廊下を歩く人影を見かける。


 年配の使用人と若い女性だ。女性の方はこの家の人間だろうかとも思ったが、服装が市民が着ているようなものだ。別の客人だろうか。思い返すと玄関には他にも馬車があったことを思い出す。


 向こうの女性もこちらに気づいたが、挨拶をするには距離が遠い。軽く会釈をされ、アナベルも返す。そして、彼女たちは廊下の向こうへ姿を消した。


 通されたのは応接間で、館の主はさっそく用件を訊ねてきた。


「それでお話とは……」

「こちらの本の修復を依頼したい」


 そう言ってジークハルトが袋から取り出したのはボロボロになった本だ。先日、ヴァルムハーフェンへ向かう途中に立ち寄った渓谷の村で手に入れた書物である。


「本への造詣が深いメッテルニヒ家であれば、そういったことも可能だと聞いている」


 それを聞いた屋敷の主人――エーゴン・W・メッテルニヒは「拝見してもよろしいでしょうか?」と言った。


 手袋をつけたエーゴンは細い目を更に細め、じっくりと本の状態を確認する。


「こちらの本は……作られたのは四百年ほど前の物でしょうか。紙の種類が当時南部で使われていたものに見えます。ただ、保存状態は非常に悪かったようですね。保管場所の室温と湿度をしっかり管理していれば、こうはならなかったでしょうに」

「山奥の村で保管されていたものだ。そういった知識もなかったのだろう」

「ああ、それは非常に残念です。我々ももう少し書物の取り扱いについて、皆に周知をしていく必要があるのかもしれませんね」


 ひとしきり本の状態を確認し終わると、館の主人は本をテーブルに置いた。


「そうですね。お時間はいただきますが、修復は可能でしょう」

「――ホントですか?」


 声を上げたのは依頼をしたジークハルトではなく、アナベルだ。まさかこんなぐちゃぐちゃの状態のものを元に戻せるとは思っていなかったからだ。


 エーゴンは微笑む。


「貴重な過去の資料をその役割を果たせる状態に戻す。それも我々メッテルニヒ家の役目です。同様の依頼を国中から受けておりますから。これぐらいは問題ございません」

「よかったです」

「……あと、この書物の内容については内密にしてほしい」


 それは本の修復において絶対条件だろう。この本に記された内容――エーレハイデ建国以前の地霊信仰に関わる情報は伏せておきたい。


 元帥を安心させるようにエーゴンは頷く。


「ええ、勿論でございますとも。我々が守るのは書物だけでなく、書物に関係する皆様の秘密も含まれておりますから。……それと、こちらの本の修復ですが、私ではなく娘のウルリーケに任せてもよろしいでしょうか?」

「ご息女に?」

「はい。お恥ずかしい話、数年前から腰を痛めておりまして……今、仕事の多くを娘に引き継いでいる最中なのでございます。ご心配なく。娘はまだ年若いですが、本の修復技術は一人前です。守秘義務についても重々理解しております」


 ジークハルトの了承を得ると、エーゴンは立ち上がった。


「では、詳しい話は娘のほうからさせましょう。娘は書庫におります」


 そう言われ、アナベルたちは今度は書庫に向かう。


 しかし、そこは普通の書庫ではなかった。室内を見回し、アナベルは呆気にとられる。


 母屋とは別の、独立した建物一棟全体がメッテルニヒ邸の書庫であった。


 これはもう、書庫という広さではない。図書館と言うべきだ。


 王城の図書室だってここまで広くはなかった。天井まで伸びる本棚が数え切れないほど並び、その蔵書数はどれほどなのか分からない。


「すごいです」


 本にあまり興味のないアナベルでも純粋に感動する。


 もちろん、魔術機関の図書館はここよりも更に何十倍も広い。しかし、貴族とはいえ個人の家にこれだけの蔵書が置かれているのが衝撃的だった。


「ウルリーケ。ウルリーケはいるか」


 エーゴンが声をあげると、「こちらに」と奥から返事が返ってくる。声のする方へ向かうといくつも積み重なった本の山の中心に一人の女性と少女が座っていた。


「お父様!」


 嬉しそうな声をあげて、エーゴンに飛びついたのは少女のほうだ。


 七、八歳くらいの長い茶髪の子だ。彼女はエーゴンに抱きついたまま、こちらを不思議そうに見る。


「お客様?」

「そうだよ。だからまずは挨拶をなさい」

「ラーラです! はじめまして」


 少女は屈託のない笑顔を向けてくる。それを見ていた女性がずっと立ち上がる。


 二十代前半ぐらいの女性だ。その髪色も、顔つきもラーラとよく似ている。しかし、無感情に近い表情と落ち着いた雰囲気は、少女とはまるで違う印象を与える。


「こちらが先ほどお話しした長女のウルリーケです。ラーラは二番目の娘です」

「――ウルリーケでございます」


 彼女はゆっくりとお辞儀(カーテシー)をする。先程立ち上がったときもそうだったが、動きに気品を感じる。これが貴族の令嬢というものなのだろう。


「二人とも、こちらはジークハルト元帥とその護衛のアナベル殿だ。元帥は本の修復をご依頼されたいそうで――」

「『アナベル』って、魔術師の『アナベル』さん!?」


 エーゴンの言葉を遮って、はしゃいだ声をあげたのはラーラだった。


 彼女は父親が困った表情を浮かべるのにも気づかず、こちらに寄ってくる。少女に目線を合わせるため、アナベルは腰をかがめる。


「そうですよ。西方の魔術機関から派遣されました。アナベルです」

「すっごーい! 本物の魔術師さんを見るのはじめて!」


 ラーラは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。それからアナベルの腕を引っ張る。


「ねえ、うちに来るのはじめてでしょう? ラーラが案内したげる!」

「えっと」


 突然のことにアナベルは戸惑った。助けを求めてジークハルトを見ると、彼は黙って頷く。行ってもいい、という許可だろう。


「じゃあ、お願いします。ラーラちゃん」


 微笑みかけるとラーラは嬉しそうに「まかせて!」と張りきった様子を見せる。アナベルは手を引かれるまま、すぐに図書室を出ていくこととなった。


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