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番外編:生誕の祝宴⑤


 祝宴の話を聞いてから二週間。長いようであっという間にその日はやってきた。


 普段、アナベルとジークハルトの休日は同じだ。唯一の王宮魔術師に与えられた元帥の護衛という仕事は当然替えがいない。だが、今日アナベルはは特別休暇を与えられ、朝からゆっくり惰眠をむさぼる。そうして昼過ぎに寝台から抜け出した。


 祝宴は夕方から夜にかけて行われる。開始は夕方五時の予定だ。開始に間に合うように準備を始める。


 ヴィクトリアはアナベルの代わりに元帥の護衛をしているため、ミアが手伝いに来てくれた。ドレスに着替え、髪を結わえてもらう。その際に軽く化粧も施された。


「これでどう?」


 ミアに誘導され、鏡の前に立つ。


 着飾った姿は完全に別人だ。今まで正式な場に出ることはあったが、いつも軍服だった。こんな風に女性らしくオシャレをしたのははじめてだ。


 マジマジと鏡を見つめていると、ミアは満足そうに頷いた。


「さすがあたし。完璧だわ。今日のヘアスタイルは編むんじゃなくて、ねじってアレンジしているの。編むより簡単だけど、十分可愛いでしょう?」


 熱の入った説明にアナベルは「はあ」と生返事を返す。


 ミアたちのおかげで別人のようになった。――なったが、それだけだと思ってしまう。普通の女の子なら綺麗になったことを嬉しいと思うだろうが、アナベルにはそういった感覚を持ち合わせていない。


 その様子にミアは頬を膨らませる。


「もう、アナベルったら。もうちょっと喜んでくれてもいいのに」

「あ、ありがとうございます。嬉しいです」


 慌てて返したが、ミアの頬は更に膨らむ。その言葉が上辺だけというのが伝わったのだろう。


「もう知らない」


 そう言ってそっぽを向かれてしまった。


 ――まずい。ミアの機嫌をどうにか直さないと。


「えっと、その、あの、本当にこの髪型とっても可愛いと思います。その、ねじる? ってやり方があるなんてビックリです。ミアは物知りですね」


 しかし、どちらかというと人に機嫌を直してもらう側のアナベルにはどうすれば相手の機嫌を元に戻せるのかが分からない。ひとまず、賛辞を口にするが、表面的な言葉に効果はなかった。ミアはこちらを振り向かない。


 気まずい空気が流れ、どうしようかと苦悩していると、扉がノックされた。


「どうかな? 準備は進んでる?」


 アナベルの許可で部屋に入ってきたのはディートリヒだ。仕事が終わったのか、私服に着替えている。晩餐会で着ていたほどではないが、彼のまた正装だ。祝宴に参加するための服だろう。


「ええ、まあ」


 そう答えて、チラリとミアに視線を向ける。元帥付き副官が現れたことで、まだ不機嫌そうなものの侍女は口を開いた。


「アナベルの着替えは終わりました。いつでも大丈夫です」


 ディートリヒは少し不思議そうに瞬きをしたが、すぐに苦笑を浮かべる。


 ――何があったか気づかれたような気がする。


 その予想は正しかったらしい。副官はミアに笑いかける。


「アナベルちゃんの髪や化粧はミアがやったんだろう? すごく上手だね。プロみたいだ」

「――ホントですか!?」


 途端にミアは顔を輝かせる。それから活き活きとした様子で説明を始める。


「これは編んでるわけじゃなくて、ねじっていて――最近、若い子の中で流行っているまとめ方なんですけど、簡単なのに可愛く仕上げられるんです」

「ああ、確かそんな話を別の侍女の子に聞いたな。うん。言葉で説明するのは簡単だけど、実際に綺麗に仕上げられるなんて器用だね。侍女長もミアの手先の器用さをとても褒めていたよ」


 その言葉に「嬉しい」と彼女は破顔する。それから、先ほどまでの態度はどこへやら、アナベルに笑顔を向けると「あたしも準備していくから」と上機嫌に部屋を出ていった。


 どうやら危機は乗り越えたらしい。しかし、アナベルは非難めいた視線をディートリヒに向けざるを得なかった。


「……なんだかズルくないですか?」

「何が!?」


 彼にフォローしてもらった自覚はある。感謝すべき場面なことも分かっている。しかし、アナベルだってディートリヒと同じように賞賛をしたつもりだ。なのに、どうしてこうも真逆の反応を示されるのだろう。


(ディート副官を責めるのもお門違いですね)


 助けてくれた相手に苛立ちを向けるのは八つ当たりでしかない。アナベルは一度目を閉じ、気持ちを切り替える。


「それで、今日のお仕事は終わったんですか?」

「うん。俺はそうなんだけど」


 違和感のある言い回しにディートリヒを見上げる。彼は笑顔だ。笑顔だが、その笑い方は作りものだと直感的に感じた。


 妙な沈黙が続く。


 ディートリヒはまだ何か言うことがあるようなのに、言葉を続けない。アナベルも続きを促さず、ただ黙っていた。何かに耐えかねたのか、ディートリヒは大きなため息を吐くと、気まずそうな表情を浮かべた。


「ごめん。ジークは祝宴に参加できない」


 ディートリヒの発言の意味がしばらく理解できなかった。ジーク。祝宴。参加。できない。それぞれの単語を繋ぎ合わせ、咀嚼するのにはかなりの時間が必要だった。


「はああ!?」


 そして、理解出来た直後、アナベルは反射的に副官の胸ぐらを掴んだ。彼は諦めたように「まあ、こうなるよね」と呟く。


「どどどどうしてですか!」

「突発的な仕事が入っちゃったんだよ。けっこう大がかりで最高責任者が席を離れるわけにはいかなくなっちゃったんだ。アナベルちゃん一人だと大変だから俺は手伝いってことで先に上がらせてもらったのと、それほど人手がいるものではないから、他の招待客は問題ないんだけど……ごめんね」


 アナベルは手から力を抜く。一歩後ろに下がったディートリヒはもう一度「本当にごめん」と謝罪を口にする。


「……別に、ディート副官のせいではないでしょう」


 軍は国の防衛組織であると同時に治安維持組織だ。事件や事故が起きるのは突然だし、その対応も突発的だ。


 今までも会議中などに将軍や佐官が事件の対応のために途中退席する姿は何度か見たことがあるし、夜遅くに突然元帥に認可を求める重要書類が回されてきたこともある。もっとも、元帥が待機していなければいけないような事態は記憶にないが、そういったことも想定しておくべきだったかもしれない。


「私、護衛に戻らなくていいんですか?」


 緊急事態ならアナベルもジークハルトのそばに控えておくべきだろうか。そう思って訊ねると、ディートリヒは首を振った。


「ジークが現場に行くわけじゃないから大丈夫だよ。アナベルちゃんは祝宴を楽しんで。……って、そういうわけにもいかないか」


 そう困ったように言う副官の目には、今の自分はどういう風に映っているのだろう。


 ――落胆。


 今の心情を言葉にするなら、その表現が的確だろう。アナベルはジークハルトが祝宴に参加できないことに落ちこんでいるのだ。その原因が誰にもないことが分かっていても誰かに責任を押しつけたい。そんな気分だった。


 アナベルが俯いていると、「そうだな」とディートリヒは口を開く。


「俺からのプレゼント。先に渡しておこうかな」


 差し出されたのは小さな箱だ。片手に乗るような大きさだ。ただ、その小ささの割にずしりと重みがある。


「開けていいよ」


 許可を貰い、アナベルはソファに腰かけてから箱を開けた。紙の緩衝材から姿を覗かせているのは小瓶だ。手にとって中身を確認する。透明なガラスの中には透き通った琥珀色の液体が見える。


「……蜂蜜ですか?」

「そう。普通の蜂蜜じゃないよ。南部にある蜂蜜場で作られた最高級品。一般流通してなくて、王族や一部の貴族にしか手に入れられないんだ。金合歓(アカシア)の蜜だけ集めたものでクセがなくて上品な味だよ」

「――な、なんですって!?」


 その説明にアナベルは瓶を掲げる。


「東方の三大珍味が食べれないというのであまり期待してなかったんですけど、まさかこんな物がいただけるなんてっ! まさに国宝級の代物ですよ!! いやー、最初受け取ったときは正直、ただの蜂蜜、それもこんなちっちゃいもの贈ってくるなんてなんてケチな人なんだろうとか、私のこと馬鹿にしてるのかなとか思ってしまったんですが、そうではなかったんですね!」

「……その発言のほうが俺のこと馬鹿にしてない?」

「本当に嬉しいです! ありがとうございます!!」


 副官は表情を引きつらせながら「喜んでもらってよかった」と乾いた笑いを浮かべた。


(本当に良いものをもらいました。早速明日、朝にでもいただきましょう)


 ルンルン気分で小瓶を箱に戻し、一旦目の前のテーブルに置いておく。しばらくは幸福に包まれていたアナベルだったが、その気分は長くは続かなかった。


(本当に美味しかったら、ちょっとだけでもヴィーカちゃんにお裾分けしてあげてもいいかもしれませんね。ジークは食べたことあるんでしょうか)


 先ほどの説明を聞く限り、王族であるジークハルトなら一度は口にしたことがありそうだ。食べたことがないなら分けてもいいと思ったが、そうでないなら悩む。これだけ小さいとアナベルの取り分がかなり減ってしまうからだ。


 そこまで考えて、ふと、アナベルは先程の会話――ジークハルトが祝宴に不参加ということを思い出してしまう。


 途端に気持ちがずしりと重くなる。アナベルの表情が沈んだことに気づくと、副官は「駄目だったか」と小さく呟いた。


 ディートリヒはソファの横に近づく。


「ジークも仕事が早めに落ち着けば、最後には間に合うかもしれない。もし、間に合わなかったらジークのところに一緒に行こう。祝宴が終わった後なら誰も文句は言わないよ」

「……はい」

 

 力なく頷くことしか、アナベルにはできなかった。


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