六章:少女たちの再会②
空を見上げれば、満天の星がアナベルを見下ろしている。無限とも思える星の数を数えていると、草を踏む音が聞こえた。視界に銀髪の青年の姿が映る。
「待たせたな」
「終わりましたか?」
地面に寝そべっていたアナベルは体を起こす。
あの後、村はどうなったのか。退場していたアナベルには何も分からない。隣に腰かけたジークハルトが「ああ」と顛末を語りだした。
「無事ミルシュカはエッダと会えた。テアもしばらく村長の家の手伝いを続けるそうだが、夜は家に戻ってこれるそうだ。今も戻ってきて、奥方とヴィクトリアと一緒に夕食の準備を始めてる」
「それはよかったです」
これでレルヒェ村に来た目的は果たせた。安堵の息を漏らす。
「今夜はあの家に泊めてもらえるそうだ。寝台の数が足りないから、ヴィクトリアとテアと三人一緒に寝てもらうことになるが構わないな」
「えっ、私も泊まっていいんですか!」
「あの家の人間は事情を全部知っている。姿を見せても特に問題ない。明日、出立の際は別行動してもらうことになるがな」
てっきり、守神の使い役をやったため、野宿を迫られることになるかと思ってた。温かい寝台で寝られるうえ、きっと夕食だってありつける。それだけで十分幸せだ。この後のことを考えると自然と笑みがこぼれる。
上機嫌でいると、じっとこちらを見つめていたジークハルトが口を開いた。
「君のおかげで、皆望みを叶えられた。期待以上のことをしてくれた。本当にありがとう」
今回、アナベルに与えられた役割はひいき目に見なくても、重要だったはずだ。割れた形代を直したことも、守神の使いとして普通の人間ではないことを知らしめることも、どちらも魔術師でなければできなかったことだ。
得意げに鼻を鳴らす。
「でしょう! そうでしょう! もっと、褒めてくれてもいいんですよ!」
「……足りないか。十分褒めたつもりだったんだが」
「駄目ですよ! 人の十倍くらい賞賛してもらわないと私は満足しませんからね!!」
自慢ではないが、褒められる経験は人生でそれほど多くない。普通の十倍言ってもらえて、ようやく他の人と同じくらいになるのだ。
「…………賞賛か」
こちらの要求に、ジークハルトは険しい表情を浮かべた。しばらく思案してから、こちらに手を伸ばし――。
「よくやった」
頭を優しく撫でてきた。想定外の行動に、アナベルは思考が停止する。
「これでいいか?」
そう言って、ジークハルトは手を引く。それでようやく、また頭が動き出す。感情のまま、彼の手を力強く叩く。
「こ、子ども扱いしてませんか!?」
「そういうつもりはない。君が賞賛しろと言ったんだろう」
「あなたは武勲をあげた部下を賞賛する際に同じことするんですか!! ニクラス将軍やテオバルト将軍の頭も撫でるんですか!!」
「そんなわけがないだろう」
呆れたような冷淡な視線が飛んでくる。しかし、物申したいのはこちらだ。
「なら、やっぱり子供扱いしてるじゃないですか! 知ってますか! 私、こないだ十八歳になったんですよ! この国でも成人の年ですよ!!」
「知ってる。プレゼントも渡しただろう」
アナベルの誕生日の宴を開いたのは、王都を出発する少し前のことだ。王城の広間を借り、知り合いを多く集めて、盛大に祝ってもらった。魔術機関では魔術学院を卒業すれば大人と同じ扱いをされるが、エーレハイデでは十八歳が成人の区切りとなっている。ようやく、堂々と飲酒することができるようになった。
祝宴を企画してくれたジークハルトがそのことを忘れているとは思わない。しかし、こんな態度を取られれば、こちらを子供と思っているんじゃないかと穿ってしまう。
ジークハルトは真顔で答えた。
「こうする方が喜ぶと思った」
その言葉に、アナベルは何も言い返せなかった。
恥ずかしいが、彼の主張は間違いではないだろう。羞恥心が強く反応したものの、頭を撫でられる行為自体は嫌ではなかった。
むくれたまま、アナベルは勢いよく顔を背けた。この暗闇で、顔の色が向こうにバレていないことを祈る。
「――それにしても、よく偽物のエッダちゃんがテアだって見抜きましたね」
いつまでも主導権を向こうに奪われていたくない。平常心を取り戻すために、話題を変える。
「どうして分かったんですか?」
正直、アナベルではあの時点で得た情報で偽物のエッダの正体まで行きつくことはできなかった。もしかしたら、時間をかければその推論に行きつけたかもしれないが、あの時のジークハルトのように確信を得るまでは不可能だろう。
「二人の様子と状況からそう判断した」
何でもないことのように言うが、その根拠が分からない。ジークハルトを半眼で見つめる。すると、「そうだな」と彼は顎に手をあて、言葉を探し始めた。
「……彼女が最初にあの家に案内してくれた時、扉をノックしなかっただろう」
そんなの覚えていない。が、記憶力の良い彼が言うのであればそうなのだろう。
「どこに何があるのか、場所も把握をしていた。だから、彼女は頻繁にあの家に出入りしているのだと思った。なのに、奥方は客人が来るのははじめてだとも言った。奥方にとってあのエッダは客人より親しい相手ということだ。奥方が義妹の存在を口にしたが、そこについても違和感があった。あの家には居間以外に部屋が二つあったが、奥の——私が着替えの時に借りた部屋は二人用の寝室だ。前を通り過ぎるときに手前の部屋も見たが、そこも寝室だった。最近まで使っていた形跡と一人用の寝台が置いてあることから義妹の部屋というのが分かった。だが、今のあの家で暮らしているのは奥方もご主人の二人だけ。今の義妹のことはまったく話題に出さない。死んだとも別の家に嫁いだとも説明しない。だから、何かの理由があって義妹は別の場所で生活している。それが私たちを案内してくれたエッダなのではないかと思った」
推理は彼の叔父の専売特許だと思っていたが、ジークハルトも得意らしい。実はこれも王族の特性なのだろうかと馬鹿なことを考えてしまう。アナベルは感心するように声を洩らす。
「よくそんな推理できましたね」
「――いや」
そう訊ねると、しかし、彼はそれを否定した。
「今の説明は全て後付けだ。あの二人の様子を見て、特別親しい間柄だと思った。奥方の話を聞く限り、その候補は義妹しかいない。だから、あの少女が義妹だと確信したんだ」
「特別親しいって」
あの家でのマーヤとテアのやり取りを思い出す。確かに仲は良さそうだったが、家族かどうかなんて分からなかった。同じ光景を見ていたはずなのに、ジークハルトとアナベルの見え方は全く違ったらしい。
「私には全然分かりませんでした」
半分ジークハルトを賞賛する気持ちで呟く。すると返ったのはどこか落胆したような同意だった。
「そうだろうな」
(なっ――!!)
反射的にアナベルは立ち上がった。
「なんですか、その口ぶりは! こういうときは『そんなことない』って否定するとか、『分からなくても仕方ない』ってフォローするのが優しさではありませんか!?」
てっきり後者の反応を想像していたため、肯定されたことにひどく衝撃を受けた。
今回の件を踏まえても、ジークハルトの方がアナベルより洞察力があるのは間違いないだろう。しかし、彼より自分の方が鈍感であることを肯定されるのも腹が立つ。
『君が常識を語るのか』とでも言いたげな目で見られたが、気にしないことにする。ジークハルトは視線を遠くへ向ける。
「嘘はつけない」
「はああ!! まるで、私が鈍感のにぶちんみたいではありませんか!!」
大げさな物言いをしてしまった自覚はある。だから、今度は『そこまでは言っていない』と否定されるかと思った。しかし、彼は今度も否定をしなかった。
少し躊躇いを見せてから、こちらを向く。
「気づいていないだろう?」
一体何を言われたのか、アナベルには理解が出来なかった。きょとんと相手の蒼い瞳を見つめる。ジークハルトは言葉を重ねる。
「何も、気づいていないだろう?」
抽象的過ぎて意味が分からなかった。一体どれのことを指しているのか。――言い回しから推測すると複数あってもおかしくなさそうだが、本当にまったく心当たりがない。
そのことが分かったのだろう。ジークハルトはどこか諦めたように視線を外した。
「何も、って何がです?」
「……何でもない。そろそろ、戻るぞ」
「ちょっと! すごく気になるんですけど! ここまで話しておいて教えないのはひどいです!!」
村の方へと戻る彼の服を引っ張るが、まるで効果はない。結局、ディルク邸に着くまでジークハルトは一度も口を割らなかった。アナベルも、マーヤに「今夜の食事はご馳走よ」と告げられ、あの意味深な言葉のことはすっかり頭から抜かしてしまう。そして、思い出すこともしなくなってしまった。