五章:許しの得方③
遠目では分かりにくいだろうと思い、村人たちにゆっくり近づく。一番血気盛んだった先頭の男の近くまで寄ると、乱暴な手つきで蛍石を奪われてしまった。
(まあ、最終的には渡すつもりだったのでいいんですけど)
マジマジと石を凝視する彼に、作り笑みを向ける。
「守神様は心の広い御方です。普段の彼女の献身に免じ、全ての罪をなかったことにしてくれました」
「――馬鹿な」
彼はアナベルの言葉を信じられないように呟く。当然だろう。そして、もちろん今言ったことは全部嘘だ。
「ちょっと見せてみろ」
「ええ、どうぞ。よく御覧になってください」
他の男たちも形代を確認する。
どれだけ見られても、構わない。アナベルは蛍石を完璧に直した。ヒビや疵の一つだって見つけられないはずだ。別の蛍石を用意したわけでもない。
「そんな馬鹿な、確かに形代は――」
それが本物の形代であることを理解すると、彼らは愕然とした表情を浮かべた。
「だから言ったでしょう? これは種も仕掛けもありません。大道芸でもないですよ。本物の奇跡です」
勝ち誇ったように断言する。誰も、アナベルの言い分に反論出来る者はいなかった。
勿論、蛍石が元に戻ったのは種も仕掛けもある。修繕魔術で割れた破片を直した。ただ、それだけのことだ。しかし、魔術師がいない国の、それも排他的な山奥の村に住む彼らがそのことに気づけるわけがない。
かつて、魔術という学問が成り立つ前、人々は魔力持ちが為す超常現象を神の御業とも呼んだ。その時代の人間のように、もたらされた奇跡を奇跡として受け入れるしかないのだ。
(いやあ、落とした際に粉々にならなくてよかったです)
とはいえ、魔術も万能ではない。修繕魔術はあくまで割れた断面を元通りにくっつけるものだ。粉々になったものを戻すことは出来ないし、そもそも作業は手作業になるため、破片の数が多ければ多いほど修復には時間がかかる。細かい作業が苦手なアナベルには尚更だ。
(まさか、魔術機関での経験がこのような形で役に立つとは。人生とは分からないものです)
ちなみに修繕魔術なんて面白みもないのに複雑な魔術をアナベルが修得しているのは数えきれないほど物を壊し、その度に修繕をさせられていたからだ。直すのにかかる魔力量と時間を考えれば買ったほうが早いのに、と思いながらアナベルはいつも自分の後始末をしていた。
――さて。
言葉も出ない村人たちの顔を一通り見回す。これでアナベルの仕事はほとんど終わった。残すは一つだけ。
「では確かに守神様のお言葉をお伝えしました。決して、御方の温情を無下になさらぬように」
数歩、後ろへ下がる。お辞儀をすると、ふわりと空へ舞い上がる。村人たちが絶句するのを無視し、そのまま森の奥へと飛んで行った。
◆
アナベルの姿が空に消えていったのを確認すると、ジークハルトはレルヒェ村の男たちに視線を向ける。大道芸の類ではない、神の御業と云える出来事を目の当たりにし、彼らは言葉を失っている。事前に説明をしてはいたが、テアも驚きを隠せないように口を手で覆っている。
「…………本当に、守神様はエッダを許してくれたのか」
空を見上げていた男の一人がポツリと呟く。別の男は呆然と手元の形代に目を落とす。
「い、一度、村長に報告しよう」
「そう、だな。俺たちだけじゃ判断できねえ」
こんな異常事態、村の長なしに話を進められないだろう。一人がこちらをチラリと見る。
「でも、こいつらも捕まえねえと――」
「我々は村に戻っても構わない」
その言葉を遮り、答える。
「先ほどは彼女がどうしても祠でやることがあるからと言われたから抵抗したが、もうそれも終わったようだ。我々はあなた方と争いたいわけではない。私とこの子に関しては不安であれば武器を取り上げてもらっても、拘束してくれても構わない」
ジークハルトはヴィクトリアを目で示す。戦闘能力の高さは既に見せてしまった以上、そのまま連行するのは非戦闘員である彼らも怖いだろう。
急に大人しくなったためか、男たちは顔を見合わせる。一人がおずおずと口を開いた。
「お前たちはさっきの娘の仲間なんだろう。さっきのはどういうことなんだ」
「――いや」
少し間を置いて、堂々と虚言を吐く。
「私たちも彼女のことを詳しくは知らない。偶然、居合わせただけだ」
「……この二人は、ただの旅の人よ。川に落ちてしまったのを、私が助けたの。さっきの人とは無関係よ」
嘘にテアも合わせてくれる。エーミールが目ざとく、こちらの衣服に気づく。
「それ、ディルクの服だよな」
「ああ、借りたんだ」
「そうなのか?」
そう、エーミールが確認をしたのはテアではない。彼は後ろを振り返り、人混みの奥からゆっくりと現れた一人の男に訊ねた。
緊張が走る。そこにいたのはテアの兄、ディルクだ。一体、いつから合流していたのだろうか。彼は不機嫌そうな表情のまま、こちらを睨んでいる。
彼はジークハルトたちが嘘をついていることは分かっているはずだ。少なくとも、今一緒にいる亜麻色の髪の少女が巡礼者の妹ではないことは知っている。ここで、本当のことを言われてしまえば、たちまち追及されることになる。
――だが。
ジークハルトは真っすぐにディルクを見つめる。
彼だって、テアのことを愛しているはずだ。今は妹を解放する千載一遇の好機だ。それを水泡に帰すことは彼だって望まないだろう。
長い沈黙の末、ディルクが重たい口を開いた。
「……その二人はうちの客人だ。こんな状況で余所者を家に連れ込んだとなれば問題視されると思って黙っていた」
テアが小さく、安堵したように息を漏らした。それから、兄を庇う。
「私が勝手に連れて行ったの。兄さんは悪くないわ」
「いい。そういう話も後で聞こう」
エーミールは手をあげ、首を横に振る。
「皆の言うように、一度村に戻ろう。申し訳ないが、もう少しだけ付き合ってくれ」
その後、ジークハルトとヴィクトリアの武器は一時取り上げられたものの、拘束されるようなことはなかった。