四章:少女の救済方法②
「なんでエッダが泣いたのか、あたし全然分からなかった」
ぽつりとミルシュカが呟く。
「でも、あの後、ママと話をして――あたしがエッダに自分の当たり前を押しつけたから、エッダが泣いたんだって分かったの。あの子にとっては村の外に出るのはとても難しいことなんて分からなかった」
国をまたいで旅をしているミルシュカにはヴァルムハーフェンに行くことくらい大したことがないと思えるのだろう。
それはアナベルも同じだ。二度の砂漠越えを経験している身には国内の移動程度は大したものではない。
だが、エッダにとってはそうではなかった。閉鎖的な村で生まれ育った彼女には、村の外へ行くことはとても勇気が必要なことなのだろう。
「……だから、謝りたいって言ってたんですね」
「うん」
少女は大きく頷く。
「でも、今はそれだけじゃない。エッダが家に閉じ込められてるなら、なんとかしてあげたい。海どころか、外にも行けなくなるなんて、そんなの可哀想すぎるよ」
それを見て、少し考えてしまう。
ミルシュカと同じ立場になったとき、アナベルはどうしていただろうか。同じように無神経な言葉を投げかけてしまっていたのではないかと思う。自分でも思慮深さには欠けることは自覚している。
考え事をしていたせいか、しかめっ面をしてしまう。それを見て、ミルシュカが「ごめんなさい」と謝罪をしてきた。突然のことに首を傾げる。
「なんで謝るんですか?」
「だって、あなたはこの村に来るの反対だったでしょ?」
言葉に詰まった。どうやら、彼女はアナベルがノリ気でなかったことに気づいていたらしい。
「あたしの我儘に付き合ってもらって、ごめんなさい」
「……まあ、私のことは気にしないでください。今回はどっちかというとあなたと言うよりはジークの我儘に付き合った結果ですから。これも仕事のうちです」
村に来てエッダやミルシュカのことを知って、今はもう今回の件に無関心ではない。今更彼女を責める気にはなれなかった。
ずっと座っていたせいか、お尻が痛くなってきた。少しでも苦痛を和らげるため、座り方を変える。アナベルが動いたせいか、主人が話している間ずっと大人しかった犬が唸り始める。必要以上に刺激しないよう、動きを止める。ミルシュカも落ち着かせようとしてくれる。
「大丈夫だよ、ゾルターン」
背中を撫でられ、こちらを威嚇していた犬もまた静かになる。そのことに小さく息をもらした。ミルシュカが顔をあげた。
「ねえ、あなた何者なの?」
「へ?」
質問の意図が分からず、首を傾ける。ミルシュカは訝しげに眉を顰める。
「あなたのこと、ゾルターンとネラがすごく怯えてる。こんなのはじめてよ」
そういえば、ミルシュカには自分の職業を特に説明していなかったことを思い出す。どこまで説明するべきか迷ったものの、正直に話すことを決める。
「私は魔術師ですよ。西方の魔術機関という場所からやってきました。魔術師は動物たちに嫌われやすいんです。その子たちの反応は当然のものですよ」
ぽかんと驚いたようにミルシュカは口を開けて固まってしまった。彼女の反応が返って来るまで待つ。
(……驚いてるのはどっちなんでしょう)
魔術師ということにか、あるいは西方からやってきたことにか。おそらくは後者だろうか。東方での魔術師の知名度はかなり低い。
数十秒経って、ようやくミルシュカは身動ぎをした。胸に手をあて、大きく息を吸う。
「――びっくりした。大砂漠を越える人なんて、商隊ぐらいだと思ってた」
「……まあ、珍しいとは思いますよ。砂漠越えは命がけですからね」
上層部の命令がなければ、アナベルだってエーレハイデに来ることはなかった。
ミルシュカは「そっか」とどこか照れたように笑う。
「商隊の人に西方には奇跡みたいな力を操る人たちがいるって教えてもらったことがあったけど、本当だったんだ」
「魔術師のこと、ご存じだったんですね」
「うん。おじさんたちの冗談だと思ってたけど――そうだったんだ」
そう言って、彼女は肩に乗せていた猿を膝に移動させる。そして、改めて動物たちを撫でる。
「大丈夫だよ。この人はあたしたちの味方だから。警戒しなくてもいいんだよ」
――動物に、人の言葉が通じるのだろうか。
ミルシュカが二匹に言い聞かせているのを見て、疑問が湧く。しかし、どちらもどこかリラックスした態度を主人に見せ始めている。
ふと、一昨日、馬小屋でしたジークハルトとのやり取りを思い出す。
『植物に水をやり、肥料を与えれば、大きく元気に育つ。動物も一緒に過ごせば、その分信頼が深められる』
あの時は博愛主義者の戯言だと思った。だが、ジェカの少女と彼女の相棒たちを見ていると、その考えがグラついてくる。
そのとき、それまで大人しくミルシュカに撫でられていた犬が突然立ち上がった。今度はこちらに背を向け、入口のほうを睨み、唸っている。その様子にアナベルも警戒を強めた。
「誰か、ここに向かってきてるんでしょうか」
「うん、そうだと思う。ジークさんたちではないよ」
犬は匂いで敏感に接近者を察知しているのだろう。まずは身を隠すのが先決だ。そう思い、ミルシュカに駆け寄る。
「とにかく隠れ――」
彼女の手を取った瞬間――それまで入口のほうを睨んでいた犬がこちらを向き直った。そして、猿と一緒にアナベルに飛びかかってきた。完全に二匹に毛嫌いされていたことを失念していたアナベルは悲鳴をあげる。
「ぎゃあああああああ!!!!」
「こら! やめなさい!!」
ミルシュカが連れているのは小動物だ。迅速に主人が二匹を引き剥がしてくれたこともあり、顔を軽く引っかれたのと、腕を軽く噛まれただけですんだ。
しかし、その騒ぎのせいで状況は悪化してしまう。
「――お前たちっ!!」
入り口から怒号が響く。弾けたようにそちらを向くと、中年の男性が数人洞穴の前に立っていた。マズい、と思ったときには遅かった。
「おい! そっちの娘は昨日の騒ぎを起こしたこないだの旅芸人じゃないか!」
「性懲りもなく、戻ってきたばかりか、神聖な祠に土足で踏み込みやがって――」
ミルシュカの顔は村人にバレている。猿と犬を連れている、というこれ以上ない特徴もある。
(――これはどうしましょうか)
引っかかれた顔を両手で押さえたまま、村人たちと入り口、そしてミルシュカを順番に見る。
自分一人であれば魔術を使って逃げ出すことは容易だ。しかし、ミルシュカを連れてはどうだろうか。強化魔術を使えば彼女と動物を背負って走ることも出来るだろうが、二匹の動物たちが大人しくしているかが分からない。
(あー、でも、ジークには『騒ぎは起こすな』と言われたんでしたっけ……)
ここで暴れて村人たちをのすのは簡単だが、後々状況を悪化させるかもしれない。彼らに捕まったところでいざとなれば逃げ出すこともそれほど難しくないだろう。
魔術耐性があっても、訓練もろくに受けていない一般人だ。既にエーレハイデ人が相手での立ち回りは理解しているアナベルの敵ではない。
「ここは大人しく捕まりましょうか」
ミルシュカにだけ聞こえるように小声で言う。
戸惑う彼女が何かを言う前に、アナベルたちは大人たちに囲まれてしまった。