一章:南部へ①
連載再開しました。
季節は秋。これは十ノ月の始めのこと。
戴冠式後の事後処理も終わり、王城は――というより、アナベルは安穏とした日々を過ごしていた。
(平和ですねえ)
軍上層部の定例会議が開かれる最中。窓の外を見ながら、ぼんやりとそんなことを考える。
(こう、空から星が落ちて来たり、地下から超巨大土竜とかが現れて騒ぎでも起きないものですかねえ)
ルッツとの戦闘後や、戴冠式直後はもうごたごたはうんざりだと思った。しかし、人間とは平穏に飽きる生き物である。再び訪れた何の刺激もない日々にアナベルはすっかり慣れきってしまっていた。
会議室には元帥、将官を始め、数名の佐官も集まっている。
今日は地方の情勢についての報告会である。それぞれの地域で治安維持が為されているか。国境警備を行っているか。どういう事件が起きているか。それを元帥や将軍が聞くための場だ。
佐官がする国中から集まった報告に、全員が真面目に耳を傾ける。そのため、響くのは報告者の声だけだ。あとは時々会議資料をめくる音、何かを書きとるペンの音がするだけ。
――だから、気難しいほうの将軍がしたわざとらしい咳払いはよく響いた。
(ハッ――!!)
意図を察し、慌てて姿勢を正した。ニクラスが座っている方から殺気に近い視線を感じる。あえてそちらを見ず、手元の会議資料に視線を落とし、内容を熟読している風を装う。
しかし、未だ国内の地名を覚えきれていないアナベルにはそれはまるで難しい魔術教本か何かのように思える。文字を追えても、内容はまったく頭に残らない。
ニクラスにバレないように小さく息を吐く。
(会議なんて、本当に面倒くさいです)
五十枚ほどに渡る紙には各地の情勢が記されている。主だった報告を要約されているため、一つ一つの出来事についての情報量は少ない。こんな紙切れで一体どれほどのことが分かるというのだろう。――怒られそうだから、決してそんなことは口に出来ないが。
「――以上が、西部よりの報告です」
最後の頁の内容を読み上げた佐官は席に座る。この後は元帥や将軍たちが発言をし、それで終了。何の面白みもない。
(早く終わらないものでしょうか)
これが終わればまたジークハルトは自身の執務室で事務仕事に戻る。そうすれば、アナベルも自由時間だ。会議が終わったら一体何をしようかと考える。
今ハマっているのは――アナベルにしては非常に珍しく――読書だ。最近カミラが本を貸してくれたのだ。まだ半分しか読めていないので、続きを読むのもいいだろう。あるいはカイへの二回目の魔術講義の下準備をするのもいい。
九ノ月、大失敗した講義のやり直しをしたが、今回はなかなかうまくいった。カイもお世辞抜きで喜んでくれ、「また続きをしてほしい」と頼まれている。次回の日程はまだ決まっていないが、そろそろ準備を始めるのもいいだろう。
アナベルがこの後の予定を色々考えている間に、将軍たちからの有り難いお言葉の時間は終わっていた。
話し終えたテオバルトが「元帥から何かございますか?」と訊ねる。何かを考えるように少し沈黙していたジークハルトが切り出した。
「――テオバルト。王城も大分落ち着いたと思わないか?」
その言葉に反応する者がいた。ニクラスとディートリヒだ。前者は表情を苦々しいものに変え、後者は何か言いたげな顔をしている。
「ええと、ああ、そうですな」
問われたテオバルトは困惑しながらも返事をする。
一月と少し前。八ノ月の終わりに行われた戴冠式とその騒動は色々な余波を生んだ。将軍の一人、ヘルマン・K・オーベルシュタットが謀反を起こしたのだ。
彼とその仲間たちは北部にある監獄に送られ、今後の沙汰を待っている状態だ。元々王都に配属されていた将軍アロイス・E・ヒューゲルが後任として東部に赴任することになり、それに伴って細々とした人員配置に変更があった。
また、王太弟ユストゥスが国王に即位したのをキッカケに、王子であったジークハルトは王位継承権を放棄した。そして、その代わりに王族分家の一つ、ヘルツシュプルング家からアルノーが王族に迎え入れられた。現在はその王族分家出身の少年が王位継承権第一位として、王嗣と呼ばれる立場だ。
王族が一人増えたことで、少しの間城内は浮足立っていたが、それも今は落ち着いている。だから、彼の言葉はごく当然のものなのだが――。
ジークハルトは頷く。
「こうして日々、皆の報告には目を通しているが文だけでは伝わらないものもある。王都から離れた地で、兵士たちがどう働いているのか、民がどう暮らしているのか――直接目にしないと分からないこともあるだろう」
だから、と彼は言葉を続けた。
「地方へ視察に行きたいと思っている」
その言葉にアナベルは目を輝かせ、テオバルトは目を見開き、ニクラスはこれ以上なく眉間に皺を寄せ、ディートリヒは頭を抱えた。
◆
「――何で前もって相談してくれなかったんだ!」
佐官たちが退出した後、声を荒げたのはディートリヒだった。彼がこんなに怒りを露わにするのも珍しい。
会議室に残っているのはジークハルトとアナベル、ディートリヒ、そして将軍たちだけだ。副官の立場に徹する必要がなくなった王族分家の三男坊は、従弟に抗議をする。しかし、ジークハルトの反応は淡白なものだった。
「言ったら反対するだろう」
どうやら、大勢の前で奇襲のように宣言したのは反対意見を出させないためだったらしい。実際、尉官でしかないディートリヒは会議で何も発言が出来ず、ニクラスがいくつか諫言を口にしたもののすべて「すべては民のため」というジークハルトの主張の下にねじ伏せられた。既に元帥の地方視察は決定事項になっている。
「当たり前だろ! 自分の立場分かってんの!?」
「この国の治安維持を司るエーレハイデ軍の元帥だ」
そう言って、ジークハルトは先ほどまでの会議資料に視線を落とす。
「もう、それだけだ」