七章:新王の即位⑦
拘束していた彼女は部屋を脱出後、なぜか礼拝堂にいる自分の下へやってきた。
そのことには非常に驚いた。アナベルは自分のことを嫌っていると思っていたからだ。好かれるようなことをした記憶はないし、どちらかというと憎まれ役に徹するつもりだったから当然のことだと思う。彼女と顔を合わせると顔をしかめられてばかりだった。
しかし、彼女はユストゥスのことを気に入っていないと口にしながらも、こう言葉を続けえた。
『あなた自身のことは気に入ってはいませんが、あなたのジークに対する想いは信頼しています』
思えば、正しく自分を理解してくれた人間はそう多くなかった。
母は元より、臣下の中にもユストゥスという人間の本質を理解している者は少ない。もちろん、それはユストゥス自身が仮面を被って、彼らに接してきたというのもある。
王太弟として、次期国王として相応しい人間だと思われさえすれば良かった。自分の本当の想いは、心を許せる一部の人間だけ知ってくれていれば十分だと思っていた。ユストゥスはその中にアナベルを含めるつもりはなかった。
だが、彼女は自分の想いを理解してくれた。
ユストゥスはこの国を正しく導きたい。それは数少ない自身の理解者のためだ。ジークハルトはエーレハイデとそこに住む人々に広く愛情を持っているが、生憎ユストゥスはそこまで深い愛情を持ち合わせていない。
ユストゥスの愛する対象のほとんどは王城から見渡せる範囲にしかいない。それでも、一番、二番に数えられる甥がこの国を愛しているから、ユストゥスも彼と同じようにこの国を守ろうと思うのだ。
『ジークはあなたに憧れているのよ。よく楽しそうに話してくれるの』
あれはいつだっただろう。王太弟になった後、しばらくしてからのことだと思う。兄とよく顔を合わせるようになり、甥ともよく話すようになった。普段は伏せることが多い義姉がたまたま、ユストゥスの前に姿を現したのだ。線の細い、異国の女性は優しく微笑んだ。
『これからもジークと仲良くしてあげて』
エマニュエルときちんと話をしたのがそれが最初だ。それから、彼女は息子と歳の近い義弟を気にかけてくれるようになった。二人きりで話したことも何度もある。母と歳の近い、でも、母とは全く雰囲気の違う彼女はそのうちユストゥスにとって特別な人になった。
だが、彼女はもうこの世にいない。その遺体は王家の墓地に埋葬されている。彼女と話すことはもう二度と叶わない。それでも、エマニュエルの想いはなくなってはいない。少なくとも、ユストゥスの中で生き続けている。
「どうかしたの?」
物思いに臥せっていると、ルートガーに心配そうに声をかけられた。思いのほか、長時間黙ってしまっていたらしい。ユストゥスは苦笑を浮かべる。
「いや、なんでもないよ」
「あら。なんでもないことは、ないでしょう? 私達の仲じゃない。教えてくれてもいいじゃない」
こちらの性格を把握しているルートガーには誤魔化しは利かない。仕方なく、ユストゥスは本音を吐露した。
「僕がやったことは本当に正しかったのかな、と思って」
「……それはなんのこと?」
「シルフィードをこの国に招いたことさ」
思惑通り、エーレハイデに王宮魔術師を呼び寄せることに成功した。しかし、予想外のことが起きた。――ジークハルトがアナベルに好意を寄せてしまったことだ。
恋や愛は人間を愚かにさせる。それは以前、アナベルにも語ったとおりだ。ユストゥスはその心理を利用して、この国に魔術師を招こうとした。
結果、恋愛感情かは不明だが、アナベルはジークハルトのためにこの国に留まる選択をしてくれた。感情表現に乏しいジークハルトに対して、彼女は感情表現豊かだ。歳も近く、二人は良い関係を築けると思っていた。二人の関係はいずれ、男女のものに発展するかもしれない。その可能性は分かっていた。
しかし、それは遠い未来の話だと思っていた。ジークハルトは誰かと恋愛関係になるつもりがない。そのことは二年前に宣言されている。甥の頑なさはよく知っているから、もし考えが変わるとしても時間がかかると思っていた。ジークハルトにさえその気がなければ、アナベルの方がどういう想いを抱こうと関係が進展することはない。また、そうなったときに策を考えればいい。――そう思っていたのに。
一度、ユストゥスはルートガーを見た。それから、眠っているベルノルトに視線を移す。
ルートガーは信頼できる相手だ。口も堅い。彼はずっと昔からユストゥスの秘密に気づき、それを誰にも言わずにいてくれた。エドゥアルトにも、ジークハルトにもだ。
悩んだ末、ユストゥスは暴露をした。
「ジークハルトがシルフィードのことを好きになった」
「あら、まあ」
ルートガーは少し驚いたように声をあげる。しかし、それだけだった。
「それがどうかしたの?」
こちらとしては、非常に重要な問題である。あまりの温度差にユストゥスは両手を振って、力説する。
「これは一大事だよ! また、あの子は義姉上の件のときみたいに悶々と悩みだすに決まってる! あんまりに可哀想じゃないか! ルートガーはジークハルトが心配じゃないのかい!?」
「確かに心配は心配だけど」
ユストゥスと違い、ルートガーはどこまでも冷静だった。
「でも、それはジークハルトとアナベルさんの問題でしょう? あなたが心配することでも、ましてや口をはさむことでもないわ」
「そうなんだけどさあ」
大きくため息をつく。――分かってはいるが、どうしても気になってしまう。それが人間の性ではないだろうか。
ソファにもたれかかり、天井を仰ぎ見る。ルートガーはどこか冷たさも感じる探るような視線をユストゥスに送る。それから口を開いた。
「ユストゥス」
「なんだい?」
ユストゥスは上に顔を向けたまま、視線だけ相手に移す。ルートガーは逡巡した様子を見せ、それから首を横に振った。
「やっぱり、なんでもないわ」
「なんだい。気になるじゃないか」
ルートガーは複雑な表情を浮かべたまま、床を見つめている。
――絶対にこれは何かある。
こちらには話させておいて、向こうは隠そうとするのは不公平ではないだろうか。ユストゥスはなんとしても口を割らせることを決め、体を起こす。
「隠さないで話したまえ。僕らの仲じゃないか」
先ほどの相手の言葉を使っても、ルートガーは黙り込んだままだ。ユストゥスは最終兵器を持ち出すことにした。
「まだ、イェルクが仕事で王城に残ってる。せっかくだ。彼もこの場に呼ぼうか?」
「やめなさいよ! 国王の自室で兄弟の醜い言い争いをさせるつもりなの!?」
クラウゼヴィッツ家の長男であるイェルクはルートガーと折り合いが悪い。というよりは、ルイーゼとして生きることを決めた弟の生き方に納得がいっていない様子だ。ことあるごとに今のルートガーのことを中傷している。その裏には優秀だった弟が官僚をやめてしまった落胆が隠されている。
ルートガーが官僚をやめ、仕立屋を始めるとなったとき、彼らは大喧嘩をした。結局――メルヒオールの意向を無視し――イェルクの意向により、ルートガーは勘当された。もっとも、イェルクを除いた他の家族とは今もルートガーは交流をしているため、二人が兄弟の仲をやめただけとも言える。
ユストゥスはこの部屋でいくら喧嘩してもらっても構わないと思っているが、ルートガーのほうはそうではない。争いごとを嫌う彼は全力で拒否反応を示した。
「兄さんを呼ぶのだけは絶対にやめてちょうだい」
ルートガーは頭を押さえる。脅され、やむなく相手は口を割った。どこか投げやりに言い放つ。
「私が言いたかったのは、また不毛な想いを抱くのはやめなさいって話よ」
「――へ?」
幼馴染の忠告に、ユストゥスは瞬きをした。まったく、心当たりがなかったからだ。
「……今のは忘れてちょうだい」
「いやいやいや」
発言を後悔したようなルートガーに、手のひらを向ける。
「ちょっと待って。それって、シルフィードのことを言っている?」
彼は何も言わなかった。しかし、視線は『それ以外の何があるの?』という向こうの気持ちを如実に訴えていた。
一気に血の気が引くのを感じる。ユストゥスは乾いた笑いを漏らした。
「あはは。変なことを言うね! シルフィードはジークハルトの想い人だよ。しかも、僕は好かれてない。そもそも、彼女は魔術師じゃないか。とてもじゃないけど、王妃には迎えられない。そんな相手を僕が好きになるわけないだろう?」
背筋を変な汗がつたうのを感じる。必死にユストゥスは言葉を重ねたが、きっと、ルートガーには通じないだろう。――だって、ルートガーはかつてユストゥスが決して手に入らない相手に想いを寄せていたことを知っている。
ユストゥスには秘密がある。エドゥアルトにも、ジークハルトにも、それ以外の誰にも言えない秘密だ。親友のレオンにだってこの気持ちは打ち明けなかった。この気持ちを知っているのは、この手の話に敏感なルートガーだけだった。
「誰かを好きになるのは理屈じゃないでしょう?」
彼――いや、彼女はそう静かに言った。
ルートガーの言うことは正しい。だからこそ、人は誰かを好きになって苦しむのだ。時に好きになってはいけない相手を好きになってしまうから。
――かつて、ユストゥスがエマニュエルが初恋の相手だったように。
もう、ユストゥスは誤魔化しを口にする余力もなかった。口を手で覆ったまま、呆然とする。
「やぶ蛇だったわね」
ルートガーは本当に残念そうに呟いた。
こちらにて戴冠式編は完結です。
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また、しばらくしたら続きを再開いたします。
よろしくお願いします。