七章:新王の即位⑤
声音が少し柔らかくなったことに向こうは気づいただろうか。エルメンガルトは少し不思議そうながらも、「はい」と返事をする。
そこまで話を切り出しておきながら、最後まで迷った。このことを本当に伝えておくべきか。――だが、言わなければまた、おかしな事態を招くかもしれない。だから、覚悟を決め、ジークハルトは口を開いた。
「私の特異体質の件は知ってのとおりだ。私自身は特に問題とは思っていないが」
一度、言葉を区切る。
「この体質を継承させるわけにはいかないと思っている」
エルメンガルトは瞬きをする。ジークハルトの言葉の意味を理解出来ていないのだろう。話題が変わりすぎているというのもあるだろう。
「子を儲けるわけにはいかない。だから、誰かと婚姻するつもりもない。――誰かと深い仲になるつもりもない」
この告白には、エルメンガルトも驚いたようだ。瞬きすることも、息をするのも忘れたかのように固まっている。
――昔はジークハルトもそこまでは思っていなかった。
王位は継げずとも、いずれ誰かと結婚し、子を為すだろうと思っていた。結婚については父からも自由にすればいいと言われていたため、縁談を持ち込まれることもなかった。だから、それなりの年齢になったら、心を許せる相手と家庭を持つのも悪くないと持っていた。そして、目の前の幼馴染はその候補の筆頭だった。
だが、この考えは二年前に打ち砕かれた。
母の死がジークハルトを身ごもったためということを知り、ジークハルトははじめて自身の体質が恐ろしくなった。
ジークハルトの体質は非常に特殊だ。この血が他と混じった結果、どうなるかはまったく予想が出来ない。魔力を持つ人間を娶るのは論外として――それ以外にエーレハイデ人を妻として迎えても、どういう結果になるのかが分からないのだ。
だから、ジークハルトは一生独身でいることを決めた。それと同時に、自身に好意を抱く相手を期待させる真似はやめることにしたのだ。彼女たちが何を思っても、何をしても、ジークハルトは彼女たちに思いは返せない。
「だから、君の想いには応えられなかった。そして、これからも応えるつもりはない」
二年前、ジークハルトはエルメンガルトを振った。だが、その理由をその際には告げなかった。彼女もまた、以前からこちらの特異体質を知る存在ではあったが、自身の存在と母の死が密接に関わっていることは知らなかったからだ。必要以上に、情報を明かさないほうがいいと考えた。
だが、理由を伝えずに納得してもらおうなんて虫のいい話だった。その結果がヘルマンやエーリヒの暴走だろう。だから、ジークハルトはせめてそれだけでもエルメンガルトに伝えようと思ったのだ。
「……そのことだけは伝えておきたかった」
ジークハルトは立ち上がる。
伝えたかったことは伝えた。必要以上に二人でいるのは彼女にとって良い影響はないだろう。ジークハルトの存在は彼女にとっては毒だ。彼女が大切な幼馴染であることはいつまでも変わらない。だからこそ、ジークハルトはこれ以上、彼女と個人的な関係を築くわけにはいかなかった。
彼女はジークハルトの言葉をどう受け止めただろう。この数日、エルメンガルトの周囲では大事が起きた。その件も含めて、全てを呑み込むには時間がかかるかもしれない。
「あの」
背を向けると、後ろから声がかかった。迷いながらもジークハルトは振り返る。
見れば、先ほどまで放心状態だったエルメンガルトが何かを言いたげにこちらを見つめている。続けて、彼女の口から出たのは、今、最も聞きたくない人物の名前だった。
「アナベルは」
思わず、ジークハルトは顔をしかめる。
エルメンガルトはアナベルのことをジークハルトの恋人と思っている。そのことを言及されるのはおかしくない。しかし、続く言葉はジークハルトも予想していなかった言葉だった。
「彼女がジークハルト様の恋人というのは嘘だと聞きました」
ジークハルトは目を瞠る。まさか、数日前まで二人が恋人と信じ込んでいたエルメンガルトが、本当のことを知っているとは思ってもいなかったからだ。
「誰に聞いた」
思わず、問い詰めるような口調になってしまう。
「本人です。アナベルに聞きました」
その答えに、ジークハルトは眉間の皺を深くした。
――偽物の恋人として防波堤になると宣言していたのは、一体どこの誰だっただろう。
現在軟禁中のエルメンガルトとアナベルが接触することは出来ない。となると、アナベルがエルメンガルトに本当のことを話したのはジークハルトが眠っている間の話になる。宣言からたった数日で、反故にするとはどういうことなのだろう。
直接本人を問いただしたくはある。だが、それ以上にこの手の話題はあまりアナベルとしたくない。このことは知らなかったことにしておくほうが良さそうだ。
「……それで。彼女がどうした」
ジークハルトは額に手を当て、溜息をつく。
アナベルが偽物の恋人と知っているのに、何故エルメンガルトは彼女の名前を口にしたのだろう。訊ねると、エルメンガルトは「その」と言いづらそうに口を開いた。
「ジークハルト様は誰とも深い仲になるつもりはないとおっしゃいましたが……本当に、アナベルとは何にもないんですか?」
――なんとも嫌な質問だ。
いや、エルメンガルトは悪くない。嫌と思ってしまうのは、ジークハルト自身は何にもないとは思っていないからだ。
それでも。
「……何もない」
ジークハルトは否定する。
胸の奥の本当の気持ちを明かすつもりはない。それは第三者にもだし、アナベル自身にもだ。ジークハルトが明確に言葉にしないかぎり、恋愛沙汰に鈍感な彼女がジークハルトの本心に気づくことはないだろう。それなら、二人の関係は何もないのと同じだ。
「彼女と今以上の関係になるつもりもない」
そして、これもまた、ジークハルトの本心である。
どこか、エルメンガルトが納得していない様子だった。これ以上追及されるのが嫌で、ジークハルトは口を開く。
「それだけか?」
「……はい」
遠回しに、これ以上の問答を嫌がる反応にエルメンガルトは小さく頷いた。
ジークハルトは再び、彼女に背を向ける。部屋を出て、自身の執務室に戻るまで、一度も後ろを振り返ることはなかった。