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七章:新王の即位④


 次に足を運んだのはエルメンガルトの部屋だ。オーベルシュタット家の本邸は王都にある。しかし、この非常事態だ。反乱を企んだ首謀者の娘は、王城に用意された部屋で軟禁状態にあった。


 見張りの兵士がジークハルトの来訪を告げ、扉を開ける。ソファに座っていたエルメンガルトが立ち上がった。


「ジークハルト様」

「そのままで構わない」


 事前に来訪を伝えてはいたためか、彼女は軍服に着替え、身なりも整えている。しかし、その目は赤く、憔悴がひどい。父兄の起こした行動で、相当応えているのがありありと見えた。


「この度は父と兄がとんでもないことを――」

「謝る必要はない。かけてくれ」


 深々と頭を下げようとするエルメンガルトを座らせ、自身も向かいに腰をかける。ひどく傷ついた様子の幼馴染を見て、ジークハルトは思う。


(こういうとき、どういう言葉をかけるべきなんだろうか)


 彼女を気遣う言葉を口にするのは簡単だ。しかし、ジークハルトはエルメンガルトが自身に好意を抱いてることを知っている。


 こちらにその気がなくとも、優しい言葉をかければ相手は期待するだろう。そうならないように相手を気遣うというのはジークハルトにとっては難しい。そんなつもりがなくても、言葉をかけた相手がこちらに熱い視線を送るようになった経験は数えきれないほどある。


 まだ昔なら、幼馴染の一人として彼女に優しい言葉をかけられただろう。だが、今はもう以前のように彼女に優しくするつもりはない。それが不幸しか呼ばないと分かっているからだ。本当は一対一で会うのもやめるべきか悩んだ。それでも、最終的にここに足を運んだのは、自身はまだ責任を果たしていないと思ったからだ。


「東部の統率はアロイスに任せることになった」


 早々に本題を切り出す。


「もう少し聴取には付き合ってもらう必要があるが、謀反に君が関わっていないことはほぼ立証されている。君が罪に問われることはない。その後どうするかは、君の自由だ」


 肉親が謀反を企てたとなれば、軍に残っても肩身は狭い。かと言って、軍をやめ、他の道を探すのも苦労するだろう。父親の姿に憧れ、軍人になった彼女はそれ以外の生き方を考えたこともないはずだ。


「君はどうしたい?」


 未だ、精神的にまいっている彼女にこんな問いをするのは酷でしかない。それでも、ジークハルトは元帥としての立場を優先する。


 エルメンガルトは黙り込んだ。まだ、これからのことを考えられてはいないのだろう。しばらく、沈黙が続く。それから、ポツリと呟いた。


「……私に軍に残ってほしい、とは言わないんですね」


 元帥の立場としても、ジークハルト個人としても、出来ればエルメンガルトには軍人を続けてほしいとは思っている。だが、そのことは口にしなかった。


 軍を統率する立場としての発言であっても、個人的な発言であっても、ジークハルトの希望を口にすれば、彼女は期待をする。自分がジークハルトに必要とされていると思うだろう。


 事実、ジークハルトは彼女を必要とは思っている。だが、違うのだ。彼女が期待しているものは決して彼女に返せない。――二年前に返せなくなった。だから、ジークハルトはエルメンガルトに優しくすることをやめたのだ。


「選択権は君にある。私が言うことは何もない」


 エルメンガルトの瞳に涙が浮かぶ。しかし、彼女は泣きじゃくることはしなかった。


「私、ジークハルト様のお役に立ちたかったんです」


 ただ、静かに涙をこぼす。その様子を、ジークハルトは黙って見つめる。表情を動かさないように気を付けながら。


「昔からずっと、お慕いしていました。ジークハルト様はお優しくて、私にとっては春の日差しのようなお方でした」


 彼女から好意を口にされたのは今日がはじめてではない。エルメンガルトが自身に想いを寄せていることは昔から気づいていた。真面目で努力家な彼女のことをジークハルトも憎からず思っていた。恋愛感情ではなかったが、深い親愛の情を彼女に抱いていた。


 だが、続く言葉はジークハルトも聞いたことがなかったものだった。


「私が、一番ジークハルト様のことを分かってると思ってたんです。幼い頃からずっと、ご一緒させていただいて。他にあなたを好きと言う娘たちも、本当のジークハルト様を分かっているわけじゃないと思ってたんです。……でも、違ったんですね」


 エルメンガルトは涙をぬぐう。


「父も、兄も、私も、ジークハルト様の本当を理解していなかった。そのことが今回のことでよく分かりました」


 オーベルシュタット家の三人が、こちらを慕ってくれる気持ちに偽りはないだろう。しかし、全員がジークハルトのために、ジークハルトの望まぬ行動を取った。だが、その責任はヘルマンやエーリク、エルメンガルトだけにあるわけじゃない。


 ジークハルトはユストゥスを実の兄のように慕っている。


 時折顔を合わせる頭のいい五つ年上の叔父は、昔から憧れの存在だった。彼が王太弟に選ばれてからはよく話をするようになり、向こうから兄と呼んでほしいと言われた。そのことが嬉しくて、ジークハルトは彼の望むように「兄上」と呼ぶようになった。ユストゥスは本物の兄と違いなかった。


 しかし、そのことを公に出来るほど、ジークハルトたちを取り巻く環境は単純ではなかった。


 一番の問題はユストゥスの生母、テレージアだ。彼女は息子と、ジークハルトたちの交友を良く思っていなかった。ユストゥスが上手く言いくるめてはくれたが、それでも、大々的に仲が良いことを見せるわけにはいかなかった。


 そのため、叔父はジークハルトが他の誰かと一緒にいるときは決して近づいてこなかった。だから、二人の仲の良さを、エーリクたちは知ることはなかった。


 ジークハルトはユストゥスが王位に就くことに何も不満はない。周囲にもそう言っていた。だが、その背景を伝えてはいなかった。そのせいで、要らない争いが起きた。もっと、ジークハルトは考えを周囲に伝えるべきだった。少なくとも、ヘルマンやエーリクは本心を打ち明けるに値する信頼のある相手だったはずだ。


 エルメンガルトの琥珀色の瞳がこちらを映した。もう、目から涙は零れていなかった。


「お許しいただけるのであれば、このまま、軍属を続けたいと思っております」


 その姿はまだ痛々しかったが、その瞳には確かな意志を感じた。


「軍人として生きるのを決めた理由の一つはジークハルト様のお役に立ちたかったから、というものですが――オーベルシュタット家の者として、ヘルマン・K・オーベルシュタットの娘として、責任を全うしたいと思います」


 エルメンガルトは精神的には不安定さが残る。そのためか、ジークハルトと彼女は同い年だが、精神的に若いと感じる場面も多かった。だが、エルメンガルトも今回の件で成長したのだろう。――成長せざるを得ない状況だったというのはあるかもしれないが。


 ジークハルトは一度視線を落とした。


 元帥として彼女に話したいことはこれで終わりだ。だが、ジークハルト自身が決着をつけないといけない話題はまだ終わっていない。彼女の言うように、ジークハルトも責任を全うする時が来た。


「エルメンガルト。君に伝えておかないといけないことがある」


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