七章:新王の即位③
部屋に残ったのはユストゥスとディートリヒだ。ずっと空気のように端に控えていた副官は無言で退出しようとする。
「ちょっとちょっとちょっと!」
しかし、服を掴まれ、足を止めざるを得なくなった。大慌てで自身を引き留めに来た国王を振り返る。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたか――じゃないよ!! アレ、何!?」
彼ははじめて見るくらい血相を変えていた。
(さすがにユストゥス殿……陛下の目は誤魔化せないか)
今の従弟の言動は普段に比べてとても分かりやすかった。鈍感なアナベルは何も気づいてないだろうが、ユストゥスはそうではない。ジークハルトのことを考えれば、追及から逃れたほうがいいのは分かっているが――とてもではないが、自分には荷が重すぎる。ディートリヒは諦めた。
「ユストゥス陛下がお感じになったとおりだと思いますよ」
あえて、明言はしなかった。それでも、相手にはきちんと伝わったらしい。
「嘘だ」
ユストゥスは愕然としたように呟いた。その反応を怪訝に思う。
「何でそんなに驚かれているんですか? あなたが望んだ展開じゃないですか」
「いやいやいや!」
すぐさま否定が入った。ユストゥスは両手を動かして力説する。
「僕が望んでたのは逆じゃない! 確かにあの子がジークハルトを好きになってくれればって言ったけどさ! もちろん、そのうえで後々ジークハルトを振り向かせる可能性は考慮に入れてたけどさあ!!」
一気に喋ったため、息が続かなくなったのだろう。ユストゥスは一度大きく息を吸った。
「そっちが好きになるが先とは思わないじゃん! 今まではそんな素振りまったくなかったのに!!」
「……まあ、そうですね」
ユストゥスの困惑は分からなくもない。
立場上、二人と接触する機会も限られているユストゥスには突然のことに思えただろう。ジークハルトは普段そんな素振りは一切見せないし、公の場の二人を見ていても分かることは少ないだろう。
それでも、四六時中二人を見ているディートリヒには分かる。執務中もふとした拍子にジークハルトの視線は、ソファでのんびりしているアナベルに注がれる。彼女が魔術師であるということを除いても、特定の女の子にジークハルトがあそこまで肩入れをするのははじめてのことだ。ジークハルトは自身の気持ちを明言することもないし、ディートリヒも直接訊ねたことはない。だが、そういうことなのだと思っている。
転機はあの日。アナベルが王都に帰還した日だ。
彼女は一人で戦い続けるジークハルトに別の道を提示した。皆で一緒に幸せになる未来を掴もうと言った。あの言葉がどれだけジークハルトの胸に響いたのか。――もともとアナベルに心を配っていた彼の心を射止めるには十分だったようだ。
先ほどのユストゥスとアナベルのやり取りに対して、嫉妬から行動に移したのは少し意外ではあった。自制心の強い彼は普段、感情的に行動することがほとんどない。それだけの好意をアナベルに寄せているのか。あるいはよっぽど二人のやり取りが気に入らなかったのか。その答えはディートリヒには分からないが、おそらく両方ではないかと思う。
「とにかく、そういうわけなので。二人の仲をひっかきまわすような策を考えるのはやめてくださいね」
ユストゥスが余計な策略を練らないように、効果があるか分からない進言だけを残し、改めてディートリヒは部屋を出た。一人執務室に残されたユストゥスはその場で頭を抱える。
「……嘘だああぁぁ」
彼の苦悩の声は誰にも届くことはなかった。
◆
ジークハルトが一人でアロイスの執務室を訪ねたのは、その翌日のことだった。
将官に与えられた部屋は元帥であるジークハルトの執務室に比べると狭い。書類や本、剣や防具が置かれ、少し手狭に感じる。それでも整理整頓がされ、掃除もされている部屋は決して散らかっている印象はなかった。
「どうぞ」
元帥の突然の訪問に、彼は驚く様子もなかった。笑みを浮かべ、椅子を薦められる。ジークハルトはそれを断って、本題を切り出した。
「アロイス・E・ヒューゲル将官。お前に東部の指揮を任せたい」
突然の辞令にも関わらず、一言も反論はなかった。
「謹んでお受けいたします」
アロイスは敬礼をする。――おそらく、予想していたのだろう。
「引き継ぎもあるだろう。今すぐ、とは言わないが、出来るだけ早急に東部へ向かってほしい。頼めるか?」
「はい。承知しました」
ジークハルトは目を伏せる。彼の事情を考えると、今回の人事は申し訳ない。
「奥方とご令嬢はどうする? 連れていくのか?」
アロイスには妻子がいる。以前、妻子にも会ったことがある。彼の妻はのんびりとした性格の女性で、王都ではそこそこ裕福な商家の生まれだ。東部は王都に比べれば物資に乏しい。彼女たちが東部の生活で苦労を感じないとは思えなかった。
アロイスは首を横に振った。
「いいえ。二人は王都に残ってもらいます。娘は最近学校に通い始めたばかりです。友達と離れ離れにさせるのも可哀想でしょう。国境近くは王都ほど安全とは言えませんからね。東部には私一人で行きます」
「……そうか」
テオバルトほどではないが、アロイスが愛妻家であることは有名だ。娘もまだ六歳で、可愛い盛りだろう。離れて暮らすのも寂しさがあるだろう。
「元帥が気に病まれる必要はありませんよ。私でも同じ判断をしますから」
思った以上に沈んだ様子を見せてしまったらしい。気遣うようにアロイスが穏やかな笑みを浮かべる。
「東部の司令官が出来そうなのは私かテオバルト将軍です。人の良いヘルマン将軍の後釜はニクラス将軍では難しいでしょう。反感を買うのが目に見えていますからね。私とテオバルト将軍、どちらを王都に残すかとなれば、考えるまでもないでしょう。いざというとき、私ではニクラス将軍の歯止めにはなれませんから」
彼の言うとおりだった。
ニクラスは真っ先に東部の司令官の候補から外れた。そうなると、問題はテオバルトとアロイスどちらが王都に残るべきかだ。
ニクラスは時には非情な判断も出来る理論的な人物だ。しかし、それだけでは反感も買いやすい。情に厚い人間も必要だ。残りの二人はどちらも人情的ではあるが、ニクラスと対立しても上手く立ち回れるのはテオバルトのほうだ。アロイスは実力があるが、まだ将軍としては若すぎる。
彼は窓の外に視線を向ける。
「これからどんどん寒くなりますね」
軍では定期的に配属の異動がある。別れが訪れるのは決して珍しいことではない。それでも、毎日のような顔を合わせる相手と簡単には会えなくなるのは寂しいと感じる。
「どうか、お身体にお気をつけて」
「ああ。アロイスも」
こうして、ひっそりとヘルマン将軍の後任が任命された。