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七章:新王の即位②


 一週間が経った。


 地方官僚たちの多くは全土に戻った。王城で見知らぬ人間を見ることはほとんどなくなった。少しずつだが、日常に戻りつつあるのを実感する。


 その日、アナベルは――というよりはジークハルトは――国王へ事件の調査報告をするため、彼の執務室に向かった。


 そこは以前アナベルが訊ねたこともある部屋ではない。先王エドゥアルト不在により、長らく使われていなかった国王の執務室だ。部屋の新たな主となった青年は、まるでそこで昔から自分の場所であったかのように、くつろいだ様子でジークハルトたちを出迎えた。


「葡萄酒に盛られた毒の種類の特定が出来ました」


 ジークハルトは起立したまま、手元の書類に目を落とす。


「白夢草というエーレハイデには自生しない植物から作られた毒です。人間以外の動物には効果がないため証拠が残りづらく、――『牙』(クルイーク)が暗殺で好んで使うものだと、ジルヴィアが」


 一種の演技(パフォーマンス)もしていたとはいえ、晩餐会直後からニクラスはきちんと調査を行っていたそうだ。毒の混入経路はユストゥスの証言から葡萄酒が入った瓶であることは特定されていた。しかし、確認のために葡萄酒を動物に与えても反応はなかったらしい。そのため、調査は難航していた。


 毒の正体を特定したのはテオバルトの妻、ジルヴィアだった。


 エーリクの発言から今回の事件にはスエーヴィルが関わっている可能性が浮上した。彼の国の毒物に精通しているということで招集されたのが元『牙』(クルイーク)であるジルヴィアだった。アナベルもジークハルトと共に毒の調査を行うところに立ち会い、はじめて彼女と対面した。


 彼女は亜麻色の髪に赤い瞳の美しい女性だった。


 外見は非常にヴィクトリアに似ている。テオバルトの『ヴィクトリアは妻に似た』発言は本当だったらしい。


 そして、気になったのはその若さだ。どう見ても三十代前半にしか見えない。後でこっそりヴィクトリアに歳を聞いたところ三十六歳と言われた。五十代半ばの将軍とは親子ほどの年齢差があった。


 彼女は葡萄酒の中身にいくつかの薬品を混ぜた。そして色が変わった液体を見て『白夢草で作られた毒ね』と断言をした。


『白夢草を入手するのも、毒を精製するのもとても難しいわ。これほど上質な毒を作れるのは『二番』(ドゥヴァー)だけよ』


「――やっぱりスエーヴィルか」


 既にユストゥスにもエーリクの証言を報告されていたらしい。彼は驚きもせず、短く返した。


「現在エーリクが取引をしたという眼帯の女は、反逆を幇助(ほうじょ)の疑いで捜索しています。似顔絵が出来次第、そちらも各地に送る予定です」

「そう。よろしくね」


 エーリクが女と接触をしたのは一ヶ月前のことだという。もうとっくに敵国に逃げているかもしれない。それでも軍としては探さないわけにはいかないだろう。国内に居残っている可能性ある以上、捜索は行わないといけない。


「取り調べはまだしばらく続ける予定です。それが終わり次第、軍法会議にかけることになるでしょう」

「そっかあ」

「それと、残りの問題は今度、東部の守りを誰に任せるかです。ヘルマンの後任を早急に決めなければなりません」

「そうだねえ」


 ジークハルトの眉間がピクリと動く。


「陛下」


 やる気なく執務机の椅子に行儀悪くもたれかかっていた叔父に、厳しい声音を向ける。


「真面目に聞く気はありますか」

「真面目には聞いてるよ。真面目に返事してないだけで」


 途端に刺すような冷たい視線を向けられたユストゥスは誤魔化すように姿勢を正し、笑った。


「あははは。ヘルマンの後釜についてはジークハルトにお任せするよ。軍の最高責任者は君だからね。僕が口を出すのは出しゃばりになっちゃう。報告だけしてくれれば構わないよ」


 こんなやり取りを見せられると、数日前に聞いた叔父と甥の美談が作り話ではないかと思ってしまう。アナベルもユストゥスに軽蔑するような視線を向けておく。


 ジークハルトは重く息を吐くと、話を切り上げた。


「現状でご報告することは以上です。また、進展があればお伝えします」


 そう言って、彼は執務室を退出しようとする。アナベルもその後に続こうとしたが、すぐに後ろから呼び止められた。


「シルフィード」


 振り返ると、胡散臭い笑みを張りつけた国王が手招きをしている。アナベルは苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「ちょっとおいで」


 全力で拒否したいが、相手は腐っても国王だ。逆らうわけにはいかない。嫌々ながらアナベルは執務机に近づく。


「何かご用ですか?」

「もうちょっと、こっち」


 まだ、アナベルと机までは数歩分の距離がある。仕方なく、アナベルが執務机の前まで寄ると、強く手を引っ張られた。


「うわ!」


 声をあげ、執務机に上半身が倒れ込む。膝をついて起き上がろうとする前に、耳元で囁かれた。


「こないだの約束、覚えてる?」

「――っ!」


 勢いよく顔をあげる。ユストゥスは微笑んでいるが、目は真面目だ。探るような視線をこちらに向けている。


『君だけの胸の中に秘めておくと約束してくれるかい?』


 おそらく、それは礼拝堂の地下で交わした約束のことだろう。あの晩、彼から聞いた話は言われたとおり、誰にも話していない。


 アナベルは目一杯、眉間に皺が寄せた。掴まれたままの手を振り払う。


「それぐらい覚えてます! ちゃんと言われたことも守ってますよ」

「一応言っておくけど、全部だからね」


 その言葉にアナベルは瞬きをする。


「あれ以降のことは全部。ちゃんと守ってね」


 少し考えて、気づく。ユストゥスは礼拝堂の地下やエーレハイデ国王の話だけでなく、その後話したことも言うなと念押しをしたかったのだと。


 アナベルは体を起こし、ユストゥスを睨みつける。


「ご安心ください。分かってますよ、それぐらい」


 あの晩、聞かされた話はあまり公にすることではないだろう。それくらいはアナベルにだって分かる。口留めされてないからと言って、ぺらぺら吹聴するほど悪趣味ではない。


「そんなこと言うために引き留めたんですか? 多忙の身と言いながら、随分とお暇ですね」

「僕にとっては重要なことだからね。貴重な時間を割く価値があると思ってのことさ。有り難いと思ってくれて構わないよ!」

「有難迷惑って言葉知ってます?」

「――国王陛下」


 二人の言い合いを突然、遮られた。声がした方向を振り返る前に、今度は後ろから腕を引っ張られた。


「仕事が溜まっていますので。失礼します」


 ジークハルトの声音は妙にとげとげしかった。振り返る前に、彼はアナベルの手を掴んだまま歩き出した。そのせいでアナベルには彼の顔が見えない。


 半ば引きずられるように、今度こそアナベルは国王の執務室を後にした。


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