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六章:騒動の終幕③


 外の光も入らず、月や星も見えない地下室では、正確な時間は分からない。それでも日付が変わっているのは間違いないだろう。


 やることもなく、普段の就寝時間を過ぎて起きていたアナベルはうとうととしていた。頭が揺らしながら、必死に眠気に耐える。


「――上階ヨリ伝言ヲ承リマシタ」


 半分睡魔に負け、眠りそうになっていたアナベルはその声で意識を取り戻した。目を開け、ユストゥスにほとんど寄りかかっていた姿勢を直す。


「『ゼンブオワッタ』トノコトデス」

「思ったより早かったね」


 ユストゥスは伸びをすると、立ち上がった。アナベルも彼の手を借り、立ち上がる。


「じゃあ、礼拝堂に戻ろうか」

「はい」


 彼について、元来た個室に戻る。王太弟が壁に触れると床が光る。そして音もなく突然、動き出した。妙な浮遊感にアナベルは思わず、すぐ傍の服にしがみついた。床ごと、アナベルたちは上へ上へと上がっていく。


 地下二百トワーズ(四百メートル)からの帰還には数分時間がかかった。何も見えなかったはずの上から光が見え、気づけば二人は礼拝堂にいた。一度足元を見たが、床は隙間のようなものは見えず、何か仕掛けがあるようには見えなかった。


「やあやあ、ご苦労ご苦労! 手間をかけさせたね、アルノー」


 ニコニコと笑顔を浮かべて、ユストゥスは手を振る。アナベルはきょとんと正面に立つ人物を見つめる。そこにいたのは見覚えのある中性的な顔立ちの少年だった。


「変なことに巻き込むのはやめてください」


 彼――アルノーは心底嫌そうに文句を言った。


「二日間もベルノルトさんと一緒だったんですよ。あの人にずっと付き合うのが疲れるのはあなただって知ってるでしょう。本当に大変だったんですよ」

「えー、でも、ベルノルトがいると賑やかで楽しいだろう? 退屈しなくてすむじゃないか」

「俺は、静かなほうが好きです」


 これはどういうことだろう。アナベルにはよく状況が理解できない。二人のやり取りを後ろから眺める。


「アナベル」


 そのアナベルの後ろ――祭壇の傍から名前を呼ばれた。耳に心地よい、聞き覚えのある。それなのに、妙に懐かしい声。アナベルは振り返る。


 銀髪に蒼い瞳。誰もが見惚れてしまいそうな整った顔立ち。そこにいたのは紛れもなく、ジークハルトだった。軍服を着た、いつもと変わらぬ姿だ。


 最後に彼を見たのは二日も前のことだ。エーレハイデに戻ってきて、ずっとアナベルはジークハルトと一緒だった。こんなに長い間彼と離れ離れになったのははじめてだ。そのうえ、最後にアナベルが見たのは彼が眠る姿だ。彼が動いているのを最後に見たのは毒に侵されているとき。元気なジークハルトを見るのはひどく懐かしい気がした。


「ジーク」


 アナベルは彼に向かって手を伸ばす。勢いで抱き着きそうになるのを堪えた。


 今、アナベルの後ろには王太弟もいれば、それほど親しくない使用人の男の子もいるのだ。変な姿は見せられない。そのせいでおかしなポーズで固まることになった。


 ジークハルトが苦笑を浮かべる。


「心配をかけたな」

「ホ、ホントですよ! 心臓に悪いです!」


 泣きそうになるのを我慢しているせいで、声が変に裏返る。


 今回はジークハルトに非があるわけではないし、無茶な行動をしたわけでもないので、彼の行動は責められない。それでも心配をしたのは本当だ。だから、抗議だけはしておく。


 蒼い瞳が今度はアナベルの後ろに向けられる。ジークハルトの傍に寄ると、アナベルは彼の視線の先――王太弟を見た。


「ジークハルト。今回は僕のせいで大変な目に遭わせてしまったね。すまなかった」


 ユストゥスは笑っている。それは昨晩礼拝堂で見たどこか自嘲的なものだ。叔父の言葉に、ジークハルトは俯いた。その表情は暗い。


「いえ。元を辿れば、私の責任でしょう。エーリクもヘルマンも、私がいなければこんな行動には出なかったでしょう」


 ――それはかつて、ミヒャエルたちの手によってジークハルトが操られ、ユストゥスを誘拐しかけたときのことを思い出す言葉だった。


 あのときも彼は自責の念に駆られていた。あれは利用されただけだが、今回は違う。確かにジークハルトの言うように、ヘルマン達は彼がいなければ反乱を企まなかったかもしれない。


 アナベルは一度目を閉じる。それから、顔をあげ、ジークハルトの袖を引いた。


「違いますよ」


 アナベルは強い口調で断言した。こちらを見る瞳が見開かれた。


「ジークは王太弟を殺してほしいって望みましたか? 王になりたいって言いましたか? ――そうじゃないでしょう? ヘルマン将軍がどんな理由を並べたところで、あなたが望んでいない以上悪いのは勝手に王太弟を殺そうとした彼らです。いい加減、自分ばかり責めるのはやめてください」


 いくら自分の為であっても、望まれてもいないことを勝手にやられて。そんなことの責任まで負う必要はない。


 ジークハルトは沈黙する。ぎゅっと目をつぶり、小さく呟いた。


「……そうだな」


 彼は素直にアナベルの言葉を受け入れた。少しだけ意外に思う。てっきり、反論が来るかと思ったからだ。


「表の様子を見てきます。アロイスを呼んでくるので王太弟殿下はこちらでお待ちください」


 ジークハルトはユストゥスに一礼すると、礼拝堂の入り口に向かう。一瞬悩んだが、アナベルもその後を追う。礼拝堂を出ると入り口近くにアロイスの姿があった。彼はこちらに気づくと、安堵したように息を吐く。


「王太弟殿下もお戻りだ。あとは頼む」

「はい。分かりました」


 ジークハルトは将軍に一言だけかけると、また歩き出す。礼拝堂の外には多くの兵の姿がある。特に人だかりになっているところへ向かったのだ。


 そこには礼拝堂を襲撃した者たちが全員縛られていた。その周囲をニクラスやテオバルト、そして多くの兵士たちが取り囲んでいる。ジークハルトは迷いのない足取りで、今回の襲撃の首謀者へ近づく。ヘルマンは元帥を見上げる。


「ヘルマン・K・オーベルシュタット。正式な刑罰については改めて調査と聴取を終えてからだが、謀反を企てた罪は重い。相応の罰が下ることは覚悟しておけ」

「もとより、全て覚悟の上です」


 ヘルマンは潔かった。負けを認め、深々と頭を下げる。


「それでも、私はジークハルト様に王になっていただきたかったんです」


 その言葉はきっと、ヘルマンの心からの望みだったのだろう。しかし、アナベルにはその言葉はひどく無責任に聞こえた。そういう言葉がジークハルトに責任を感じさせることになる。そのことが分からないのだろうか。――いや。


(……分かっていても言わずにはいられなかったのかもしれませんね)


 ジークハルトは暫く黙ったまま何も言わなかった。ただ、冷たい視線だけをヘルマンに向ける。それから重い、重いため息をついた。


「今回の件でよく分かった。私の存在は(いたずら)に争いを呼ぶ」


 彼は膝をついた。罪人と同じ目線に合わせるようにだ。突然の行動にわずかに体をのけ反らせたヘルマンに、ジークハルトはハッキリと告げた。

 

「ヘルマン。私は王位継承権を放棄する」


 それはアナベルも初耳だった。思わず声が出そうになるのを堪える。周囲を見ると、テオバルトも驚いているようだった。彼も知らなかったのだろう。他の兵士もそうだ。反応が読めないのはニクラスだけだった。ジークハルトは一瞬だけ地面に視線を落とす。


「だから、もう、私が王になることはない」


 その声がどこか悲しげに聞こえたのはきっと、アナベルの気のせいじゃないだろう。


「それ、は」

 

 ヘルマンも他の皆と同じように驚いていた。言葉を失う彼にジークハルトは淡々と言葉を告げた。


「以前から決めていたことだ。陛下にも、王太弟殿下にも、もう許しは得ている。王太弟殿下の即位後に発表する予定だったが――もっと早くに公言しておけばよかったな」


 彼の言うようにそのことを発表していれば、もしかしたらヘルマン達は謀反を起こさなかったかもしれない。きっと、ジークハルトはそう思っているのだろう。いや、ジークハルトが王位継承権を放棄する前にと、謀反の意志を堅くしていたかもしれない。そこはもう、アナベルには知りえないことだ。


 ヘルマンは顔を青くしたまま、俯いてしまった。周囲に重たい沈黙が流れる。


「ジークハルト様は王になりたかったんじゃないんですか?」


 その静寂を打ち破ったのは若い男の声だった。ヘルマンのすぐ隣に縛られているその息子だ。琥珀色の瞳が不思議そうに王子を見つめている。


「昔、おっしゃってたじゃないですか。本当は陛下の跡を継ぎたかったって」


 その言葉にジークハルトは表情をゆがめる。


「――そう言ったのは争いを起こしたかったからじゃない!!」


 それは、はじめて聞くジークハルトの叫声だった。その声も、エーリクを見下ろす瞳も、怒りに塗れている。これほど彼が怒った姿を見るのははじめてだった。


 ただ、怒りを露わにしたのはその一瞬だけだ。気を落ち着けるように目を閉じ、大きく息を吸う。


「……誰かから奪ってまで、争いを起こしてまで欲しいなんて思ったことはない。私は、皆に平和に、幸せに、暮らしてほしかった。そのために父上のような王になりたいと思った。争いなんて望んでいない」


 感情的になるのを抑えたような声だ。その姿を見て、アナベルは胸が痛むのを感じる。そして、思うのは――やっぱり、ヘルマンたちは間違っていたということだ。


 ジークハルトが王位を継げない理由が、彼らにとってどれだけ納得いかないものだとしても、彼自身は王位を望んでいない。確かに昔は国王になりたがっていたかもしれないが、誰かから何かを奪うことをジークハルトは良しとしない。叔父の血で汚れた王冠なんて、ジークハルトは欲しがらない。


「元帥」


 誰もが口を開けずにいる中、沈黙を破ったのはニクラスだ。先ほどの元帥の叫びを聞いても、彼は一人沈着だった。


「後のことは私にお任せいただいてもよろしいでしょうか。晩餐会での事件も含めて、調査が終わっておりませんので」

「……そうだな」


 ジークハルトは自身の信奉者たちから顔を背けた。


「本件についてはニクラスに一任する」

「かしこまりました」


 話すべきことは終わったのだろう。ジークハルトは背を向けて、歩き出す。アナベルもその後を追おうとして、立ち止まる。思い出したことがあったのだ。


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