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二章:王子の信者⑤


 ディートリヒに呼ばれ、アナベルが通されたのは昨日とはまた別の応接室だ。そこには既にジークハルトと小太りな赤髪の中年男性の姿があった。


「まったく何を考えているのだ、この娘は!!」

 

 挨拶もなしに、アナベルを叱責してきたのはオリーヴィアの父親らしい。どうやら彼女はすぐに父親に泣きついたようだ。なんと不甲斐ないことだろうと、アナベルは肩を落とす。


「うちの可愛い娘に危害を加えようとしたそうではありませんか!! ジークハルト殿下、相応の処罰を求めます!!」


 アナベルが問題を起こしたということで、招集されたのは保護者――もとい、上司のジークハルトだ。オリーヴィアの父親――ランゲンバッハ長官というらしいが――から事情を聴いた彼は眉間に皺を寄せたまま、目を閉じている。何かを考えているようだ。


 何も答えない王子に業を煮やしたのか、男はこちらに矛先を向けた。


「おい、聞いているのかお前!!」

「失礼ですが」


 怒髪天をつく勢いの彼と正反対に、アナベルは冷静に返す。


「私は彼女に危害を加えようとした覚えはありませんよ。少し言い返しはしましたけど――誓って、何かするつもりはありませんでした」

「嘘を吐け!! 血を見せろと言ったではないか!!」

「言っていません。私が言ったのは『赤が好き』という話と『赤いものが見たい』ということだけです」


 アナベルはニコリと微笑む。


「あなたもですが――お嬢様もとっても綺麗な赤髪でしょう? 私の母も同じ赤い髪なんですよ。もう二ヶ月以上顔を見れていませんから、少し寂しくて……。彼女の髪を見ていたら、心も慰められるかなって思ったんです」


 別にアナベルは『怪我をさせる』とも『血を見せろ』とも言っていない。あくまで、『赤を見せろ』という話をしただけだ。誤解させるような言い回しは選んだのはもちろんわざとだが、実際に怪我をさせるつもりは一切なかった。


「何か勘違いをさせてしまったら、申し訳ございません。直接謝りたいので、彼女を連れてきてもらってもいいですか?」


 あんな悲鳴をあげるような怖い思いをしておきながら、もう一度アナベルに会ってもいいという女性はなかなかいないだろう。経験上、そのことは分かっている。父親も、怯える娘に元凶を会わせたくはなかったのだろう。言葉を詰まらせ、黙り込んだ。


「ランゲンバッハ州長官」


 ジークハルトがようやく口を開いた。


「部下がご令嬢に誤解をさせるような真似をして申し訳なかった。その点については彼女も反省をしている。私の顔に免じて、許してもらえないだろうか」


 ジークハルトは本当に申し訳なさそうな態度だった。


「いえ、その」


 ランゲンバッハは口ごもる。二人の様子を見ながら、小さくアナベルは息を吐いた。


(……これは後でお説教コースですかね)


 こういった光景は何度も見覚えがある。


 魔術機関時代、何十回、何百回と繰り返された光景だ。アナベルが問題を起こし、代わりに保護者(フラヴィ)が謝罪をする。そのときと違うのはアナベルが悪いわけではないという点だ。向こうが喧嘩を売ってこなければ、アナベルもあんな真似はしなかった。ただ、騒ぎを起こしてしまったのは事実だ。そのことをジークハルトがどう思っているのか――少し怖いが、後で分かることだろう。この後のことを思うと、少し気分が沈む。


 ランゲンバッハは難しい顔のまま腕組みをしていたが、大きく息を吐いた。


「分かりました。今回は元帥の顔を立てましょう」


 王子であり、元帥であるジークハルトには、州長官とて大きく出れないのだろう。ディートリヒが扉を開け、男は部屋を出ていこうとした。しかし、腹に据えかねる部分があったのだろう。去り際に一言を残していく。


「元帥。近くに仕えさせる人間は選んだ方がよろしいかと思いますよ。そちらの異国人は大分人格に問題があるようだ」


 ――それが、今日一番アナベルにダメージを与えた一言だった。


 人格に問題があることは自覚している。しかし、それを真正面から言われたのは久々のことだった。人間性という意味合いではジークハルトの傍にいない方がいいことは分かっている。本当に耳の痛い話だった。


 見送りのためか、副官も一緒に部屋を出る。扉が閉まり、足音が離れていく。十分距離が離れたことを確認し、アナベルは笑みを浮かべた。ランゲンバッハ州長官の最後の言葉が響いたせいで、多少ひきつったものになってしまう。


「えへへ、やっちゃいましたね」


 おどけてみたが、ジークハルトは険しい表情を変えなかった。


「座れ」


 彼は静かにソファを指さす。アナベルが腰かけると、向かいに彼も座った。ヴィクトリアは執務室に置いてきた。普段はディートリヒか、ヴィクトリアのどちらかは必ず一緒にいるので、こうして二人きりになるのは久しぶりのことだった。


 お説教はいつ始まるのだろう、とアナベルは身構える。しかし、ジークハルトはしばらく俯いたまま、何も言わなかった。長い沈黙の末、ようやく彼は口を開いた。


「君に、話しておかないといけないことがある」


 なんとももったいぶった言い方だ。怒るなら怒るでさっさと本題に入ってほしい。アナベルの今の気分はまな板の上の魚だ。


「はい。なんですか」


 彼は呆れているだろうか。事前に忠告をしてくれていたというのに、結果的にアナベルはそれを無視してしまった。なんて後先考えない馬鹿だと思われているかもしれない。どんどん考えは暗いものになる。


 しかし、続く言葉はアナベルの予想とは違うものだった。


「実は世間では私と君は恋人関係だと思われている」


 最初、何を言われたか分からなかった。


「――はい?」


 いや、言われたことは分かる。ジークハルトが言っているのは新聞記事の件だろう。分からないのは、なぜか彼が重大な秘密を打ち明けるかのような神妙な面持ちで話し始めたことだ。どこか落ち着かない様子で指を組む。


「そういう風な報道が大分前にされた。これも兄上の策略の一つなんだが――とにかく、事実はどうであれ多くの人間がそう思っている。そのせいで私に好意を持つ人間が君に敵意を持ってしまっている。ランゲンバッハ州長官のご令嬢もそうだ。彼女が君に接触したのも、私が原因だ」

「……はあ」


 ――何を分かりきったことを今更、この男は真面目な顔で言っているのだろう。


 ジークハルトが説明している間、ずっとアナベルは困惑していた。眉間に皺を寄せる。少し考えてから、ようやくアナベルは自分と彼に認識の齟齬があることに気づいた。


「あの」


 アナベルは少し大きな声をあげる。床の絨毯を見つめていたジークハルトの視線がこちらに向く。その表情はどこか暗い。


「そのことは知ってますけど」


 怪訝そうな反応を示したのは、今度はジークハルトだ。眉をひそめる彼に、アナベルは繰り返す。


「王宮魔術師は王子の恋人だ、って新聞記事に書かれていたことは知っています。だから、昨日色んな人が私を睨んでいったんでしょう? 知ってますよ、そのことは。何で今更そんな話を持ちだすんですか?」


 その言葉に、ジークハルトは言葉を失った様子だった。目を見開き、固まったまま動かない。彼がここまで驚きを前面に出すのはも珍しい。


「………………知って、いたのか」


 先ほど以上に長い沈黙の末、彼が口にしたのはそんな言葉だった。その言葉に自身の緊張が緩むのを感じる。アナベルは姿勢を崩し、足を組んだ。


「逆に何で知らないと思ってたんですか。有名なんでしょう、その話? 城の誰もが知ってるんですよ。当然、私の耳にも入ってきますよ」


 ようやくアナベルは理解した。今まで彼が記事の件について一切言及してこなかったのは、こちらが知らないと思っていたからだ。知らないことは知らないままにしておいた方がいいとでも思っていたのだろう。


 ジークハルトは眉間に皺を寄せたまま、項垂れる。


「……ディートリヒがなんとかすると言ったんだ」

「なるほど」


 顔の広い副官は城内でも知人が多い。確かに彼がアナベルにこの件を知られないように立ち回れば、アナベルが何も知らずにいることも可能だっただろう。ジークハルトがその言葉を信じるのも仕方ない。


 ただ、実際はルイーゼがアナベルにバラしてしまった。ディートリヒが本当にそのように立ち回ったかは不明だ。ミアも普通に話題に出していたので、ディートリヒは何もしてなかったのではないかとアナベルは疑ってしまう。ただ、そのことは今更どうでもいい話だ。


 ジークハルトは重い口調で口を開く。


「すまなかった」


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