一章:魔力の存在しない国⑤
アナベルは息を呑んだ。テオバルトは言葉を続ける。
「アイツと出会ったのが、あー、二十四年前だから……それより数年くらい前か。魔術機関を脱走して、エーレハイデに身を寄せた魔術師がいたんだ。名前なんて言ってもベルが生まれる前だから、アイツのことなんて知らないだろうが――」
「…………いえ。知っています」
今日は一体なんという一日なんだろう。情報量が多すぎて、アナベルの頭がついていかない。
「先代のシルフィードですよね。知っています」
テオバルトは驚いたように目を見開く。
「私の養母はサラマンダー……先代シルフィードとは親しい間柄でしたので」
フラヴィの存在を口にすると、途端にテオバルトは懐かしそうな表情をする。
「エマニュエルの親友! ああ、なんか聞いたことあるな! 名前はフ……いや、何だったかな。学校の先輩だったっていう」
「フラヴィ・シャリエです」
「ああ、確かそんな名前だったな。なんだ、お前サラマンダーの娘なのか。いやー、驚いた。世間ってのは狭いもんだな!」
テオバルトは豪快に笑うが、アナベルは全く笑えなかった。
「なぜ」
アナベルは頭を押さえる。
「なせ、あなたが先代シルフィードのことを知っているんですか。説明してくれませんか」
テオバルトはエマニュエルのことをアイツと親しげに呼んだ。フラヴィのことも直接エマニュエルから聞いている様子だ。生前交流があったのは間違いない。
「何でって、……まあ、友人だったからな」
「友人」
「あー、色々あってな」
テオバルトは顎を擦る。
「偶然知り合って――うん、城に身を寄せることになったんだ。それからは……あー、王宮魔術師みたいなことしてたな」
「王宮魔術師!?」
「ああ、そう、正式なもんじゃねえけどな。オレにはよく分かんねえけど、色々研究してたな」
アナベルはてっきりエマニュエルはエーレハイデに隠れ住んでいると思っていた。――それがまさか、エーレハイデの王城にいたなんて。
「何で魔術機関を脱走している身で王宮魔術師なんてやってるんですか!」
「ほら、成り行きってやつさ。最初の頃はエマニュエルも追っ手が来ないかビクビクしてたけど、結局なんもなかったな」
アナベルは頭を抱えて、蹲る。
先ほどまで難問だと思っていたエマニュエルの行方があっさりと分かってしまった。そのこと自体は喜ぶべきだ。しかし、それ以上に困惑の方が強い。
「エーレハイデに来てから私の常識がどんどん壊れていくのは何故でしょう。魔術機関では私、非常識の塊って言われていたのに何でこんな常識外の出来事に困惑させられてるんですか。ああ、もしかして私実は常識人だったとか? それなら納得できます。周りは私のことおかしいおかしいって言っていましたが、本当は全くおかしくなかったんですね。ああ、良かった! これからは胸を張って常識人と言えます!」
「お、おい。大丈夫か、ベル。本当に具合悪くしたわけじゃないよな?」
「ええ、全く! むしろ、懸案事項が解決して非常に喜ばしい限りです!」
アナベルは勢いよく立ち上がると、テオバルトに詰め寄った。
エマニュエルの行方が分かった。しかも、生前交流があった人物とエーレハイデ入国初日に出会えた。これは朗報だろう。
「将軍、お聞きしたいことがあります!」
「おう、何だ?」
「私、実は母様に頼まれて先代シルフィードの遺品とやらを探しに来たのです!」
そうして、アナベルはテオバルトに全てを話した。それはもうエマニュエルに関わることは一から十まで、全てだ。
あまり上手くないアナベルの説明を、テオバルトは難しい顔をしながら聞いてくれた。アナベルが一通り話し終える。
「……エマニュエルが遺したモノか」
「ええ。将軍は何か心当たりがありませんか?」
「アイツが手紙に書くほど、心配しそうなもんだろ」
テオバルトは顎髭を撫でる。
「心当たりはある」
「ホントですか!」
「……ただ、そのことについてオレから説明するのはちょっと難しいな」
難しいとはどういう意味だろう。
アナベルが首を傾げていると、「よし」とテオバルトが頷く。
「その件に関しては一度オレに預けてくれないか。王都に戻って確認しておこう」
「えっ、いいんですか?」
「お前一人でこの件に関して調べるのも難しいだろ。任せてくれ」
「ありがとうございます!」
確かに、現地の人間で、かつ高い地位にある将軍の方が調査はしやすいだろう。まさか協力を申し出てくれるとは思っていなかったのでアナベルは大喜びをする。
両手をあげてその場でクルクル回りながら喜ぶアナベルに、テオバルトはじっと視線を注ぐ。
「ベル」
「はい?」
アナベルは手を下ろし、テオバルトを向く。彼は真剣な表情を浮かべている。
「お前はそのエマニュエルの遺品とやらを見つけたらどうするつもりなんだ?」
「どうって」
「守るってのは具体的にどうするつもりなんだ」
アナベルは首を傾げる。
まずは発見が先決で、その後のことは正直何も考えていなかった。具体的にどう守るのか――アナベルは考える。
テオバルトは質問を重ねた。
「そのために、この国に残ってもいいということか?」
その質問の回答はすぐに出せる。アナベルは即答した。
「この国に留まることは難しいですね。魔術機関の上層部も許さないでしょうし、私にも仕事がありますからね。なので、可能であれば遺品を持ち帰り、母様の下で管理するのが一番いいと思います」
エマニュエルはフラヴィに自分の代わりに守ってほしいと頼んだ。
アナベルはこんな魔術機関から遠い東方の国に残るつもりはない。そして、魔術機関から遠く離れたこの地にあるものを遠方から守り続けるのは不可能だ。そうなると、魔術機関へ持ち帰るのが一番だろう。
フラヴィの下に届けられれば、今後の方針も決めてもらえる。そう考えるとそれ以上いい方法はないだろう。
「ああ、でも、先代のシルフィードは王宮魔術師だったのでしたね。それであれば、持ち帰るのには国王陛下の許可がいりますか?」
「エド――陛下の許可はいらねえだろうな。ただ、おそらく」
テオバルトは一度間を置いた。
「持っては帰れない」
「持って帰れない?」
「そうだな。エーレハイデの外に持っていくのは難しい」
テオバルトの表情は真剣なままだ。
発言の意味をアナベルは考える。持ち帰れない。エーレハイデの外には持っていけない。そこから推測したのは大きさの問題だ。
「そんなに大きいんですか?」
魔術書にしろ、魔術具にしろ、多くが持ち運べるような大きさのものだ。しかし、魔術書も大量であれば持ち帰りには苦労するし、魔術具の中にはちょっとした部屋くらいの大きさの物も存在する。
そう解釈して聞き返したのだが、テオバルトは「いや」と否定した。
「大きいと言えば大きいが、そういう問題じゃないな。とにかく、国の外には出せない」
「それは動かせないという意味ですか? どこかに固定されているとか」
「……まあ、似たようなもんだな」
テオバルトの答えはなんとも曖昧だ。
テオバルトの質問は先ほどの心当たりがあってのことだろう。彼の言う『心当たり』は魔術機関に持ち帰るのが難しい代物らしい。
先ほど将軍は『オレから説明するのは難しい』と言った。それは魔術の知識的な問題なのか、立場的な問題なのか不明だ。しかし、確実なのは現状で将軍は遺品が何なのかを教えてくれる気はないらしい。
彼の質問に少し気に喰わない部分もある。重要な部分を知っておきながらそれを教えてくれず、試すような質問をしてくる。正直、不快だ。しかし、アナベルは不満を口にはせず、黙って考えた。
エーレハイデの外に持ち出せない。回収が難しい。そうなると、アナベルが取れる手は限られてくる。思案の末、こう告げる。
「その時は、あなたがたにお任せします」
テオバルトは目を瞠る。
「……任せる? オレたちにか?」
「ええ。今まで無事にこの地にあったわけでしょう? ですから、今後もエーレハイデの皆さんに管理をお任せします」
エマニュエルは自身が死んだあと、遺したものがどうなるのかを心配していた。そのため、フラヴィに『自分の代わりに守ってほしい』と頼んだ。
しかし、彼女が死んでからすでに十年。未だエーレハイデの地にて遺品が問題なく管理されているのであれば、エマニュエルの心配は杞憂に過ぎなかったということになる。
そうなれば、フラヴィは――アナベルはお役御免だ。アナベルも『先代シルフィードの遺品は問題なく守られている』と自信を持ってフラヴィに報告できる。
「もちろん、何かお手伝いが出来ることがあれば協力は惜しみません。魔術機関の助力が必要であれば、私と母様の個人的なものになりますが、全力でご協力しましょう。西方と東方ではやり取りに時間がかかってしまうのがネックではありますが――何なりと仰ってくださいね」
アナベルは満面の笑みを浮かべた。しかし、テオバルトが浮かべたのは落胆したような表情だ。
「…………まあ、そうなるよな」
アナベルは目を瞬かせる。テオバルトは頭を掻くと、歩き出した。
「もうそろそろ休んだ方がいい。明日は早い。この件に関してはまたオレから報告しよう」
「ええ、はい。よろしくお願いします」
アナベルもその後に続く。
どうやらアナベルの答えは将軍の望んだものとは違ったらしい。
(でも、これが一番いい案だと思うんですけどね)
持ち帰れないとなれば、アナベルに出来ることはほとんどない。ただ、今までフラヴィが何も出来なかったのと状況は違い、アナベルはエーレハイデと縁が出来ている。何か個人的なやり取りをすること自体はおかしく思われないだろう。その証拠にフラヴィも派遣員として働いていた頃の外部の知り合いとは度々やり取りをしている。
テオバルトはアナベルに何を求めていたのだろう。これ以上のことを求められても困るし、出来ることなんて思いつかない。
アナベルはテオバルトの後ろ姿をじっと見つめる。
(他にも考えられる手段はありますけど……)
しかし、これは絶対にテオバルトの望んだ答えではないだろう。その手段とは――アナベルも進んでしたいと思わないが――遺品を破壊することだ。
エマニュエルが恐れたのが遺品の悪用であり、遺品が危険なものであった場合、魔術師の手の届かない東方の地に置かれ続けるのは危険極まりない。その場合は破壊してしまうほうがいいだろう。
場合によって、エマニュエルやフラヴィの意に反する可能性はあるが、放置し続けるよりはマシだろう。――ただ、これは本当に最終手段だ。テオバルトに話すようなことではない。
アナベルはその考えはそっと胸の中にしまいこみ、軽い足取りで自室へ向かった。




