第1章 第1話 告白に髪が舞う
男子なら誰しも一度は「理想の女性」というものを思い描いたことがあるだろう。
自分の容姿、性格、その他取り巻く様々な自分のだめなところを無視し、ただ純粋にこういう人と付き合いたいという願望でできた完璧な存在。
俺の場合は、「女性らしい女性」が理想の女性になる。
そう言葉に出すと非常に大雑把で抽象的に思えるが、大和撫子を思い浮べた時に出てくる女性をそのまま当てはめてくれればいい。
凛とした顔立ちに、きめ細かな白い肌。傷一つない宝石のような長い黒髪が象徴的だ。背は高くも低くもなく、胸も大きくも小さくもない。全身からは清楚な雰囲気を醸し出している。すれ違うだけで空気を浄化するかのような匂いが漂い、声はまるで鈴の音のよう。
性格は穏やかで、どんなつまらない話にも楽しそうに笑ってくれて、話を合わせてくれる。イメージ的には古き良き女性という言葉がふさわしい。
まさに、完璧な理想の女性。そんな人と付き合えたらどれほど幸せか。
ま、理想は理想。そんな人がこの世に存在するわけないし、いたとしても俺のようなごく普通の高校生には高嶺の花。むしろ現れてくれない方が諦めがつくというものだ。
と、思っていたのに。
「完璧だ――」
現れてしまった。見てしまった。知ってしまった。
高校の入学式。周りの凡百な奴らが不安そうに、退屈そうに、あるいは真面目に校長の話に耳を傾けるなか。
彼女は、ただそこにいた。
理想の姿をそのまま現実に持ってきたかのような完璧すぎる美少女。
俺の理想の女性がすぐ近くにいた。
無表情にただ壇上を見上げる姿は真面目に聞いているようにも何も考えていないようにも見える。それでも何か、強い信念のようなものがその大きな瞳には宿っていると感じた。
ただ立っているだけなのに異様なまでに目立ち、輝いている女性。
気づけば俺は入学式の最中だというのに列から抜け出し、まるで光に引き寄せられる蛾のように彼女に近寄っていた。
その動きは周りから見たら不審者のようだっただろう。危険を感じて距離をとるのを、この時の俺は周りもこの運命の出遭いを祝福して道を開けてくれているのだと解釈してしまった。
思い返すだけで悶えてしまう。叶うならばこの時の俺をぶん殴ってしまいたい。
「俺、流木陽士っていいます」
だってこの数秒後、俺の理想は完膚なきまでに砕かれてしまうのだから。
「一目惚れしました。俺と付き合ってくださいっ!」
ふらふらと歩いて彼女の隣に着いた俺は、何も考えずそう口にしていた。
その突然の告白を受け、彼女はゆっくりと俺の方を見る。
今まで横顔しか見られなかったが、正面から見るとさらに魅力が深まる。大きな瞳がまるで宝石のようだと、強い蔑みの視線を向けられているのにそう思ってしまった。
「一目惚れ、ですか」
俺の公開告白に校長すら押し黙る中、広い体育館に彼女の声だけが響く。反響して耳に入ってくるその声音が心地いい。
「まず私のどこに惚れたのでしょうか?」
「全部です!」
彼女の問いに俺はノータイムで答える。
「まずは顔とか綺麗な髪とか見た目からなんですけど、声とか、動き、とか。全部女性らしいっていうか理想っていうか……」
「女性らしい?」
その瞬間、彼女の雰囲気が変わった。
怒気というか殺気というか、敵を見つけた野生動物のような。話の通じない猛獣と出遭ったかのような本能的な恐怖を覚える。
それによって俺も理想の女性を見つけたことによる高揚が冷めていった。
何やってんだ俺! いきなり押しかけて入学式中に告白とか馬鹿じゃなぇのっ!? そりゃ怒るわっ!
しかし彼女が怒った理由は、俺の常識とは大きくかけ離れたものだった。
「女性らしいとは何ですか? 私は別に女性らしくしようとはしていませんが? 女性ならこうしなければならないというルールでもあるんですか? あなたの女性観を勝手に押しつけないでもらえませんか?」
「いや……ちょっ……!」
何だ!? 何に怒ってるんだっ!? 女性らしいって別に悪口じゃないだろっ!?
「この髪が女性らしいと言いましたか」
そして彼女は腰のあたりまで伸びた美しい黒髪を無造作に掴みあげると、
「――ではこれで女性らしくなくなりましたね」
制服の内ポケットから鋏を取り出し、何の迷いもなく肩の辺りで斬り裂いた。
「っ――!」
体育館に吹き込むわずかな風が彼女の髪を巻き上げる。
髪にまみれながらも力強い瞳で俺を睨む彼女の姿は、それでも綺麗だとしか思えなかった。
「もう話すことはありません。どうぞ元の場所に戻ってください」
一瞬にしてセミロングになった彼女はそう冷たく言うと前を向く。それを合図に戸惑うだけだった校長も思い出したかのように話を再開する。
「…………」
体育館中がさっきまでの出来事を忘れたかのように元の入学式の様相へと戻る中、ただ一人あぶれた俺は彼女の切った髪を制服中に浴びながら逃げるように元いた場所へと帰っていく。周りの俺を見る視線が痛い。高校デビュー失敗だなんてレベルじゃない。俺の高校生活が一瞬で終わってしまった。
「よぉ、中々男気あるじゃねぇか」
元の列に戻った俺に隣の男が楽しそうに話しかけてきた。いかにも染めたばかりですよと言わんばかりに鮮やかな茶髪のチャラチャラとした男。あんまり得意なタイプじゃない。
「安心しろよ、別に馬鹿にしてるわけじゃない。しょうがねぇよな、あいつ見た目だけは最高だし」
「……知り合いか何かか?」
訳知り顔で語る男のことが気になり小声で返事をする。あれだけのことをしておいて今さら入学式のことを気にするなんて馬鹿らしいとも思うが。
「中学が同じだったんだよ。だからお前と同じような奴らをたくさん見てきた。ていうか俺もあいつに告白してフラれた口だ。中学の入学式にな」
「と言ってもさすがに最中じゃねぇけど」と言い、男は笑う。
「でもあいつはやめとけ。もうわかったと思うけど、あいつは異常なんだよ。男を下げて女の立場を上げようとしてる。なのに女扱いするとキレたり、かと思ったら女代表みたいな顔して男に文句をつけてくる。どう考えてもまともじゃねぇ」
俺の理想の女性は、女性らしい女性だ。女性らしい見た目に、女性らしい性格の女性を俺は望んでいる。
彼女は見た目こそ理想的だった。髪を切った後もとても綺麗で見惚れてしまう。
それでも彼女は。
「笛美奏は、フェミニストなんだよ」
そう扱われることを決して良しとはしない女性だった。