第8話 後ろめたさ
「で、なんだよ話って」
廊下の端へと場所を移すと、舞人はぶっきらぼうな態度で聞いてくる。そんな彼に向って、真代依はこぶしを突き出した。
「じゃんけんして」
「は?」
「だから、じゃんけん。あたしが勝ったら購買のオレンジジュースね」
「なんでいきなり……」
「あたしが負けたらなんでも言うこと聞いてあげるから」
「……なんでも?」
「そ、なんでも」
真代依はすこしだけ腰を曲げて顔の位置を下げ、上目遣いをしてみせる。
女子高生が〝なんでも言うことを聞く〟と言っているにもかかわらず、舞人は思春期の男子高生らしい欲望むき出しの顔にはならなかった。それどころか、
「それじゃあお前が不利じゃないか?」
などと真面目くさった顔で聞いてくる。
「そんなことないわよ。あたしにはじゃんけん必勝法があるから」
「いや、そんなものがあったらとっくに廃れてるだろ」
「そう思うなら当然受けるでしょ」
さらに挑発すると舞人はようやく乗ってきた。ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、
「……あとで吠え面かくなよ」
とベタなセリフを口にしつつ、手の甲をこちらに見せながら右手を掲げた。さながら中空をさまよう不確かな勝利をつかみ取ろうとするかのように。
勝負が決すると、二人は購買へと移動した。
「……ほら、ご希望の品をお持ちしたぞチクショウめ」
舞人は投げやりに言いながら、紙パックのオレンジジュースを放ってよこす。
真代依はそれを両手で挟んでキャッチし、軽く振りながら笑顔で応じた。
「お疲れさま」
「で、実際のところ、何の用事なんだ? あんな挑発したのも、じゃんけんじゃなくて別の理由があったからじゃないのか」
買い物をしているうちに冷静になったらしく、舞人はそんな質問をしてくる。
「ううん、ホントにじゃんけんがしたかっただけ」
「いや、嘘だろ」
「ホントだよ」
そう応じながら、真代依は紙パックにストローを突き刺した。吸い込むと、酸味が強めの濃厚なオレンジ味が口の中に広がって、梅干を食べたときみたいに唇をすぼめる。
その隣では、舞人がまだ納得のいっていない表情のまま、ペットボトルのコーラを飲んでいた。
「もっと詳しく言うとね、舞人の弱点を指摘しに来たのよ」
「俺の弱点?」
「そ。あんた、いつも最初はグーしか出さないこと、気づいてないでしょ」
「なん……、だと……?」
舞人はショックで口を半開きにしながら、自分の手のひらを見つめる。信じられないものを見たような顔である。
そんなじゃんけん弱者に現実を思い知らせるべく、真代依はもう一度、不意打ちで勝負を持ちかける。
「ほーら、出さんと負けよ、じゃんけんポン!」
「ポン……! なっ……?」
反射的に出された舞人の手は、またしてもグーだった。
「……マジか、マジだな……」
「ほら、言い訳のしようもないほどグーでしょ?」
「ぐうの音も出ないくらいグーだな……」
舞人は自らのグーをまじまじと見つめたあと、ため息をついて壁にもたれる。
「これでわかったでしょ。今日は――じゃなくて、これからは主義を変えてでも、別の手を出すように」
放課後、二年三組の教室を窓から覗くと、買い出し役を決めるじゃんけんが行われていた。舞人の勝利を確認してから、真代依は自分の教室へと戻る。これなら舞人はクラスの出し物に集中するだろう。
(簡単だったね)
――経験から学んだだけよ。
(次は生徒会長かぁ)
――抄花の言うとおりならね。
次の恋敵と舞人はいつ接触するのか。
できれば舞人に張り付いて偵察したかったが、さすがに別のクラスにずっと居座るわけにはいかない。昼休みは健気な女友達をアピールできたが、放課後の、しかも文化祭の出し物の準備をしている最中にそれをやると、鼻持ちならないウザい女子認定されること間違いなしだ。
いっそのこと文化祭実行委員として生徒会に潜り込み、生徒会長をマークした方が確実だろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと、窓の外の景色が気にかかった。
足を止めて、外を眺める。
視線の先は正門周辺へ。
「……いた」
正門の周りでうろうろしている小柄な女子生徒を見つけてしまった。敷地から出ようと正門に近づいたと思えば、またすぐに遠ざかる、そんなまどろっこしい動きをくり返している。
自分には関係のないことだ。真代依はそう割り切って窓から離れる。しかし、廊下を歩きながらも視線はずっと正門付近にくぎ付けになっていた。
(あーあ、無視しとけばいいのに)
マヨイの呆れた声に反して、里巳と一緒に帰った記憶がよみがえる。
学校の外へ一歩を踏み出すときの、不安を押し殺した表情。
こちらを警戒する視線。
無言のまま一緒に歩いた帰り道。
ジュースを奢ったときの戸惑った顔。
別れ際のていねいなお辞儀。
それらの現実は、前回のタイムリープと一緒にどこかへ消えてしまった。今はもう真代依の記憶の中にしか存在しない。この先さらに、もう一人の恋心を消し去る予定だ。感傷に浸っている場合ではない。
……などとドライな女を気取っていると、進行方向から声がかかった。
「ちょ、真頼さん?」
思いのほか声が近く、おどろいて立ち止まる。
真正面にクラスメイトの男子が突っ立っていた。
「麦原君……、何よ」
悪いのはよそ見をしていた真代依なのだが、紡が相手だとわかると、なぜか素直に謝ることに抵抗を感じてしまう。
「いや、そのまま進んだらぶつかるから声かけたんじゃないか」
「そう、ありがと」
「校庭に何かあるの?」
そう問われて、真代依は正門前のを見やり、続いて目の前できょとんとしているクラスメイトをじっと見つめる。
名案が浮かんだ。
里巳が一人で帰れなくて困っている。それを知っていながら放置しようとしていることに、自分は後ろめたさを感じているのだ。だったら里巳をきちんと送り届けてやればいい。
そして、その役目が自分や舞人である必要はないのだ。
「ねえ麦原君、年下の女の子に興味はない?」