ボールのようなもの
大観衆の中、俺はうずくまりその時を待つ。
2010年ワールドカップ決勝、まさに世紀の一戦が今キックオフしようとしていた。
サッカーの神様に最も愛されているのはどの国なのか、それを決めるために4年間戦ってきた男たちの汗と涙の物語、それがワールドカップ。今まさにその決勝である。世界の盛り上がりは最高潮だったが、キックオフがなかなか始まらなかった。その原因は俺だ。俺がボールに成りすましていたのだ。
キックオフを告げる笛を鳴らそうとした審判がまず気づいた。ボールが大きいと。大人の男一人がうずくまったくらいの大きさのものが、グラウンドの真ん中に鎮座ましましていると。しかもそのボールのようなものの表面はでこぼこしていると。まるで大人の男一人がうずくまっているように。
前線にいる選手も気づき始めた。ボールが大きいと。大人の男一人がうずくまったくらいの大きさのものが、グラウンドの真ん中に鎮座ましましていると。しかもそのボールのようなものの表面はでこぼこしていると。まるで大人の男一人がうずくまっているように。
これは蹴って良いものなのか。不思議がるのも無理はあるまい。俺の目論見は大成功だ。ボールのようなものの中に人が入っているかもしれない。もしくは入っていないかもしれない。2つの確率の重ね合わせ。即ちシュレーディンガーの俺だ。
当然、俺は警備員的な奴等に連れて行かれてしまったが、それがなんだというのか。別のちゃんとしたボールに取り替えられたが、その中にも人がうずくまっているかもしれないではないか。小さいおっさんが入っているかもしれないではないか。そこに一瞬の躊躇が選手の間に生まれ、歯車がずれていくのだ。今はまだ、滞りなく試合が進んでいるように見えるだけだ。
俺の目的について、世界中の人は試合中に頭を悩ませるだろう。試合の内容よりも、そのことに頭がいってしまうだろう。しめしめだ。世界は今、俺の掌の上で踊っているのだ。世界はきっと俺の物なのだ。今、警察に取り調べられていることがなんだというのか。
ボールのようなものの中に、人が入っている。
これだけの内容の中に、以上のようなドラマが入っているのだ。