004 何なの、その『死せるアグリッパの嫌がらせ』とか『呪印』とかいうのは?
「大気よ、この者に命の恵みを!」
相手の生命力を回復させる、聖魔術のクリケを、マレーンは唱える。
長ったらしい魔術の呪文を、短い定型句を唱えるだけで、全て唱えた事になり、魔術を発動する事が出来る高等技術を、マレーンは使ったのだ。
大気中には生命エネルギーである気が、かなり薄くではあるが、存在している。
様々な生物が放出した気が、大気や大地に溶け込んでいるので。
気とアウラは、同一の存在であり、違う言葉で表現されているだけである。
この世界では、東洋では気という表現が主流であり、グリム大陸などでは、アウラという表現が主流なのだ。
大気中に溶け込んでいるアウラは、エイセーラスと呼ばれている(アウラ・ナトゥラとも呼ばれる)。
マレーンのような、高い能力を持つ聖魔術師は、このエイセーラスを、限定的な範囲ではあるのだが、回復系の魔術に利用出来るのだ。
人間が生み出すアウラは、操る者の意思により、その性質を変える。
果敢がやったように、攻撃の為のエネルギーにする事も出来るが、基本的には生命エネルギーなので、生物が体内に取り込めば、体力や生命力を回復する事も出来る。
マレーンが使ったのは、周辺の大気中からエイセーラスを集めて、対象となる人間に供給し、体力や生命力を回復させる、フェスティバレセーラという回復用の聖魔術。
普通なら致命傷となる程の傷を負っていたとしても、エイセーラス……つまりは、生命エネルギーの供給を、大量に受けると、死ぬまでの時間を引き延ばせる。
この引き延ばされた時間を利用し、マレーンは魔力と聖魔術により、身体の損傷自体の治療を行うのだ。
死ぬ可能性が無い場合なら、最初から治療を開始するのだが、死にかねない場合は、まずは体力や生命力自体を回復させ、死を遠ざけるのを、マレーンは優先するのである。
夜空の星々が地上に降りて来たかのように、果敢の周囲に無数の光点が発生する。
大気中や地中に存在したエイセーラスが、活性化して光を放ち始めたのだ。
エイセーラスの光点は、果敢の身体に吸い込まれて行く。
果敢の身体がエイセーラスを、体内に取り込み始めたのである。
力を使い果たしたかのような疲労感と、全身に覚えていた痛みが軽くなり、苦し気であった果敢の表情が安らぐ。
体内にエイセーラスが供給され、体力や生命力が、急激に回復し始めたのだ。
果敢の表情が安らいだのを見て、マレーンは安堵の表情を浮かべる。
そして、今度は身体の損傷自体の治療を始める為、マレーンは果敢の身体の状態を、調べ始める。
正確に傷の状態を把握してから、聖魔術で治療を始めた方が、治療効果が高いのだ。
傷の性質や状態により、聖魔術を使い分けたりもするので。
「左腕は酷いね、これは応急処置で、どうにかなるダメージじゃないな」
まともに動かせぬ程の状態で、表皮のかなりの部分が、酷い火傷のような状態になっている左腕を見て、マレーンは呟く。
続いて、果敢の胸に目を移し、左胸の傷の様子を確認。
「この傷は深くはなさそう……え? 何、これ?」
マレーンの呟きが、疑問に化ける。
元々大きい目を、更に大きく見開いて、マレーンは果敢の胸の中央を見詰める。
「どうかしたのか?」
果敢はマレーンの様子が気になり、問いかける。
何か深刻な負傷でも、見付かったのかもしれないと、不安を覚えながら。
「帰還印の上に、変な印があるの。これ、たぶん魔術印だと思うんだけど、見た事無い奴だよ」
「魔術印?」
訝し気に、果敢は自分の胸を見下ろす。
少し見難いのだが、それでも太陽のような帰還印の上に、別の魔術印らしき何かが重なっているのが、果敢にも視認できた。
「この魔術印、知ってる?」
魔術の専門家であるアシェンプテルに、マレーンは問いかける。
「知らない、見た事ないよ、こんな三日月みたいな魔術印」
アシェンプテルの言葉通り、太陽のような帰還印の上に、三日月のような魔術印が、重なった状態になっていた。
「三日月?」
果敢の頭に、アスタロトが死んだ直後に、目にした光景が浮かぶ。
死んだアスタロトの胸の辺りから、小さな三日月のような何かが出現し、閃光を放ってから消えた光景だ。
「何か、心当たりがあるみたいね?」
アシェンプテルが、果敢に問いかける。
果敢の表情の変化を見て、心当たりがありそうなのを、アシェンプテルは察したのだった。
「アスタロトが死んだ直後の事なんだが、奴の死体の上に、小さな三日月みたいな物が現れたんだ。強く光った後、すぐに消えたんだけど……」
果敢の話を聞いたアシェンプテルは、少しだけ考え込んでから、口を開く。
「これ、『死せるアグリッパの嫌がらせ』と、同じ種類の奴じゃないかな」
アシェンプテルの話を聞いて、マレーンは驚きの表情を浮かべてから、言葉を返す。
「確かに……あの話と似てる!」
魔術の専門家であるアシェンプテルや、聖魔術の専門家であるマレーンとは違い、他の三人には「死せるアグリッパの嫌がらせ」や「呪印」という言葉の意味が分からない。
他の三人も、魔術や聖魔術の能力は高いのだが、アシェンプテルやマレーンには、遠く及ばないのだ。
「何なの、その『死せるアグリッパの嫌がらせ』とか『呪印』とかいうのは?」
果敢に問われ、マレーンとアシェンプテルは顔を見合わせ、困ったような表情を浮かべる。
そして、マレーンと小声で短く話し合った上で、アシェンプテルが口を開く。
「この話は、グリム諸国連合の機密情報に関わるから、詳しい話は、機密院の許可を得ないと、出来ないんだ」
アシェンプテルは気まずそうに、言葉を続ける。
「だから、今は大雑把にしか答えられないんだけど、それでも良い?」
頷いた果敢に、アシェンプテルは問いかける。
「カカンは呪いって知ってる? 誰かが誰かを恨んで死んだ場合、その恨みが恨まれた側に、災いを引き起こしたりする事なんだけど」
「呪いなら、日本にもあったから、知ってるよ」
「その呪いを、故意に引き起こす技術が呪術で、呪術が使う魔術印みたいな印が、呪印なんだ。グリム大陸では、遠い昔に禁術になって、失われたんだけど」
「禁術になったって事は、人を呪い殺せるような、危険な術なのか?」
果敢の問いに、アシェンプテルは首を横に振る。
「人を殺したりは出来ないよ。せいぜい嫌がらせみたいな事しか出来ないんだけど、防ぐ方法が無くって、色々と厄介な問題を引き起こしがちだから、禁術に指定されたんだ」
アシェンプテルの説明を、マレーンが受け継ぐ。
「呪術は魔界では失われていなくて、ごく一部の魔族が使う事があるんだけど、過去に一度だけ、英雄が倒した魔神から、呪術を身に受けた事件があるの。それが『死せるアグリッパの嫌がらせ』という事件で……」
マレーンは果敢の胸の、帰還印と呪印を指さす。
「その事件の際、英雄は胸の帰還印に、呪印を上書きされたの……今のカカンの胸みたいに」
「それって、つまり……」
呟く果敢は、不安気な表情を浮かべていた。
自分がどういう状況にあるのか、果敢は既に察し、不安感を覚えていたのだ。
果敢が察した事を、マレーンは躊躇いながらも、言葉にして果敢に突き付ける。
その方が、果敢の為だと思って。
「カカン……あなたはアスタロトに、呪われてしまったのよ」
新暦二百二十七年五月十二日、グリム大陸に大被害をもたらした、アスタロト・ファミリーの首魁たる、魔神アスタロトが倒され、グリム諸国連合軍の勝利は確定した。
まさに、その日……魔神アスタロトを倒した事により、英雄は呪われてしまったのだ。
× × ×
なろう向けのレイアウトとして改行を増やし、空行を多数入れた為、そのままだと本来の空行部分(場面変更時などの)が、分かり難くなってしまうので、本来の空行部分は、以下の三連の「×」と置き換えてあります。
× × ×
この三つの「×」を見かけたら、場面転換などで入る、本来の空行部分だと判断して下さい。