003 何だったんだ、今のは? 見た事無いぞ、あんなの
(攻撃か? アスタロトの野郎、まだ生きていやがったな?)
既に戦い続ける力など、英雄には残されていなかった。
それでも、傷だらけの身体に鞭打ち、英雄は必死で身構える。
だが、黄色い三日月のような何かは、閃光を放った後、すぐに消え失せてしまい、その後は特に何も起こらなかった。
どうやら戦闘に備える必要はなさそうだと判断し、英雄は構えを解く。
「何だったんだ、今のは? 見た事無いぞ、あんなの」
疑問の言葉を口にする英雄の耳に、遠くから声が届く。
「カカン! 大丈夫?」
自分の名を呼ぶ声が聞えて来た方向に、英雄は目をやる。
英雄の名は百地果敢、大抵は「カカン」と呼ばれている。
声を発したのは、巨大なクレーターのリムの部分、つまり山のように盛り上がっている円環部分の、南側の頂上辺りに姿を現した、四人の内の一人。
この四人は、ヴェントス・インヴィクトのメンバーであり、声を発したのは、血に汚れた白装束に身を包んだ、十代後半の少女。
五百メートル程離れているので、その姿は豆粒程の大きさにしか見えない。
だが、クレーター状の大穴は、音が響き易いせいか、声は果敢の元まで届いた。
ヴェントス・インヴィクトの、果敢を除いた四人は、アスタロトとの戦いの途中で力尽き、戦線から退いた。
防御結界で身を守った状態で、聖魔術や魔術による回復を行いつつ、孤軍奮闘を続ける果敢を、見守っていたのだ。
無論、回復し戦える状態となれば、四人は戦線に復帰するつもりだった。
だが、果敢とアスタロトが、必殺の一撃をぶつけ合い、引き起こした大爆発に、四人は巻き込まれてしまった。
防御結界を破壊され、かなりの距離を吹っ飛ばされてしまった四人は、果敢とアスタロトの戦いの場に、戻って来たのである。
既に両者の戦いは、決着してしまったが。
「大丈夫……といえる程じゃないが、まだ生きてるよ!」
駆け寄って来る仲間に、果敢は無事を伝える。
四人の仲間達が、安堵の声を発する。
本来の仲間達であれば、すぐに果敢の元に辿り着ける程度の距離なのだが、皆が酷いダメージを負っているので、移動速度は普段より遅い。
「魔神は、倒したのか?」
今度は、青い戦闘服に身を包んだ青年が、果敢に問いかける。
「倒した! 心臓を破壊したから、再生する事も無い筈だ!」
果敢の返答を聞いて、四人の仲間達は、喜びの声を上げる。
まだ他の場所では、グリム諸国連合軍とアスタロト・ファミリーの戦いは続いているが、アスタロトが死んだ時点で、グリム諸国連合軍側の勝利は決まったも同然、仲間達が喜ぶのは当たり前なのだ。
普段なら、あっという間に移動出来る、五百メートル程の距離を、普通の人間並の時間をかけて移動し、仲間達は果敢の元に辿り着いた。
ダメージと消耗が酷いせいで、スピードが出せないのである。
四人が身にまとう戦闘服は、果敢のものと同じタイプの色違い。
既に上半身は裸同然の、果敢程ではないにしろ、他の四人の戦闘服もボロボロで、血塗れといえる状態。
後退して治療していたとはいえ、満身創痍に近い状態なのも、果敢と大差は無い。
「やったね、カカン!」
最初に果敢の元に辿り着いた、二十歳前後の黒衣の女性が、果敢に抱き着きながら、嬉しそうに声をかける。
短めの黒髪に、ブラウンの肌が印象的な、強気な感じに整った顔立ちの女性の名は、アシェンプテル・ビエナート。
至る所が破損している、戦闘服の基本色は黒。
アシェンプテルは万能型の魔術の使い手である、魔術師……魔女であり、魔術師は黒衣を好む者が多いので、戦闘服の基本色も黒いのだ。
果敢よりも拳一つ半程、アシェンプテルは背が高く、女性にしては長身の部類といえる。
とある理由のせいで、この世界で強力な戦闘力を持つ男女は、長身の者達が多いのである。
アシェンプテルに続いて、果敢の元に辿り着いたのは、長い銀髪を首の辺りで結っている、色白で長身の青年。
この青年の名はハインリヒ・ゼーヴァルト、果敢に匹敵する女顔である為、長身の美女といった感じにも見える。
「見事に英雄としての使命を果たしたな! 良くやった!」
笑顔で声をかけながら、果敢の肩を叩くハインリヒは、基本は武術をメインに戦う戦士なのだが、魔術の腕も高い魔術戦士であり、戦闘服の色は青。
腰のベルトには、最も得意とする武器である、長剣を佩いている。
魔術と武術に通じた魔術戦士は、服装の色に特徴は無い。
戦闘服の色は、魔術戦士が好みや用途に応じて、自由に決めている。
戦闘服はネマウサという、魔力を流すと色が変わる、特殊な素材で作られている。
その為、基本色が何であろうが、魔術の使い手は戦闘服の色を自由に変え、迷彩服にしてしまえるので、基本色が何であるかは、戦闘には余り影響を与えないのだ。
ハインリヒに少しだけ遅れたのが、男らしい感じの大柄な青年。
赤い戦闘服を身にまとい、短めの赤毛で肌の色は蜂蜜色。
槍の先端に斧が付いている、槍斧を手にした、この青年の名はローランド・ストリンガー。
ハインリヒと同様、グリム諸国連合の中で、五本の指に数えられる魔術戦士である。
「お前ならやれると、思っていたぜ!」
そう言いながら、ローランドは果敢の背中を叩く。
「痛いって! 怪我人を叩くんじゃねえよ! せっかく生き残ったのに、死んだらどうすんだ?」
仲間達の手荒い祝福に、果敢は抗議の言葉を口にする。
痛かったのは本当なのだが、冗談めかした口振りなので、本気の抗議ではない。
「それと、アスタロトを倒したのは、俺だけじゃない。俺達みんなで、やったんだ!」
真面目な口調で、果敢は付け加える。
「お前達がいなければ、俺はアスタロトにやられていて、今頃生きてはいなかっただろうからな」
果敢の言葉は、謙遜ではなく事実である。
四人の仲間達無しには、果敢はアスタロトを倒せなかった。
ヴェントス・インヴィクトがアスタロトと会敵した時、アスタロトは十三人の特級魔族で構成される、親衛隊を引き連れていた。
魔神を除けば、魔族の中で最上級の力を持つのが、特級魔族である。
もしも、ヴェントス・インヴィクトの四人の力が無ければ、果敢は親衛隊を倒せたとしても、アスタロトと戦う前に消耗していた筈。
四人の強力な仲間と共に戦ったからこそ、親衛隊との戦いによる消耗を、最低限に抑えられたのだ。
そして、親衛隊を倒した後、ヴェントス・インヴィクトはアスタロトとの戦いに突入した。
人族側最強の果敢よりも、アスタロトは明らかに強かった。
他の四人が、途中まで共に戦ってくれたからこそ、果敢はアスタロトとの実力差を埋め、最終的にアスタロトを倒し、殺す事が出来たのだ。
もしも他の四人がいなければ、果敢は親衛隊相手の戦いで疲弊し、アスタロトとの戦いの途中で、倒されていただろう。
「ほんと……生きていて良かった」
最後に果敢の元に辿り着いた、最初に声をかけてきた白装束の少女が、嬉し涙を流しながら、果敢に声をかける。
「生きていたなら、どんなに酷い怪我でも治してみせるけど、死んだら私には……どうしようもないから」
血塗れの白い戦闘服を身にまとう、この少女の言葉は嘘ではない。
この少女は、死んでいないのなら、致命傷と言える程の傷を負った重傷者ですら、治してしまえる程の、人族最高の聖魔術の使い手なのだ。
治癒魔術などの回復系の魔術や、儀式系の魔術に特化した魔術……聖魔術の使い手である聖魔術師の中で、現在最高の実力者であり、聖女としての資格を持つ、唯一の存在でもある。
一年前、この世界に果敢を召喚する、儀式魔術を行ったのも、この少女……マレーン・ブレーメンであった。
大きな青い瞳が印象的な、雪のように白く、瑞々しい肌の持ち主であり、金色の髪は動き易いショートヘアーにしている。
マレーンはヴェントス・インヴィクトの中では唯一、果敢より背が低く、年下のメンバーなのだ。
「生きてはいるけど、相当に酷い状態みたいね……すぐに回復と治療を始めないと」
マレーンは果敢の満身創痍の身体を見て、真剣な表情で呟く。
放置すれば死んでもおかしくない程、果敢の身体が酷い状態なのに、マレーンは気付いたのだ。