002 意味有り気な事を言い遺したまま、死ぬんじゃねえよ! 気になるだろうが!
(まだだ! まだ右腕が残ってる!)
英雄は即座に、両手での突きから、右手だけの突きに切り替えると、そのまま魔神に向かって突進。
草薙剣の剣先が、魔神へと迫る。
振るったばかりのインヴィクタ・ニグルムを、魔神は一瞬で戻し、草薙剣の剣先を受ける。
あらゆるものを斬り、貫けると言われる草薙剣と、破壊不可能と伝えられる、インヴィクタ・ニグルムの剣身が激突する。
英雄と草薙剣、魔神とインヴィクタ・ニグルム、非常識な程の破壊力同士の激突は、桁外れの大爆発を引き起こす。
辺り一面の瓦礫は当然、地面までもが爆風に削り取られ、消し飛んでしまう。
耳を劈くほどの爆発音を響かせる、凄まじいまでの大爆発の中、英雄と魔神の姿は見えなくなる。
二百メートル以上の距離を取り、英雄を見守っていた四人の仲間達は、身を守っていた防御結界ごと、瓦礫や土砂と共に、爆風で吹き飛ばされる。
半径五百メートルに達する、巨大なクレーター状の大穴を残す程の、この大爆発を最後に、辺りに静寂が訪れた。
英雄と魔神、共に最後の力を振り絞り、必殺の一撃をぶつけ合い、戦いは決着したのだ。
土煙がたなびくクレーターの中央には、地に倒れ……空を仰ぎ見ていた敗者と、敗者を見下ろしていた勝者がいた。
この壮絶な戦いに勝ち、最後まで立っていたのは、英雄であった。
町一つが収まる程の大穴を、地面に開ける大爆発を引き起こした、草薙剣とインヴィクタ・ニグルムの激突は、草薙剣の勝利で終わった。
破壊不可能という伝説は終わり、インヴィクタ・ニグルムは剣身を貫かれ、砕け散って破壊されたのだ。
インヴィクタ・ニグルムを貫いた草薙剣は、そのまま魔神の胸を貫いた。
心臓を貫いた訳ではなかったが、剣身がまとう神気は、近くにあった心臓を破壊し尽くし、魔神に致命的なダメージを与えていた。
強力な魔族は、四肢程度なら切断されようが、魔力が尽きていない限り、すぐに生えて来る程の、強力な身体再生能力を持つ。
だが、脳と心臓だけは、再生する事が出来ないので、そのどちらかを破壊されたら、最強の魔族である魔神ですら、死を免れられはしないのだ。
魔族の脳と心臓は、超強力な防御魔術で守られている。
特に、魔神の脳と心臓を守る防御魔術は、突破不可能と言われている程に、強力だと言われている。
だが、インヴィクタ・ニグルムですら破壊した、英雄の最後の一撃に、防御魔術は耐え切れなかった。
英雄が全ての力を投じて放った一撃は、魔神の最強の攻撃手段と防御手段、その両方を打ち破ったのである。
大爆発の中、英雄が魔神に致命傷を与える形で、勝負は決した。
桁外れに強い生命力を持つ魔神は、まだ生きてはいるのだが、程なく確実な死を迎える。
満身創痍の英雄は、仰向けに倒れている、死にかけた魔神を見下ろす。
百歳を余裕で超えているのだが、魔神は一見すると、野性的に整った顔立ちの、二十代中頃の青年に見える。
灰色のショートヘアーから、二本の角が飛び出しているので、人族ではなく魔族であるのは分かる。
魔族は頭部に、角を持っているのだ。
「こんな……子供みたいな英雄に、このアスタロトが……倒されるとはな」
灰色の空を背景にしている英雄を、青い瞳で見上げながら、魔神は自嘲気味に呟く。
アスタロトというのは、魔神の名である。
魔族には人族のような、苗字は無い。
他の魔族の傘下に入った魔族は、ボスとなった魔族の名を、苗字のよう名前の後に、付ける場合があるが、アスタロト・ファミリーのボスであるアスタロトの場合は、ただのアスタロトなのだ。
「俺は子供じゃなくて、十九歳の大人だ! 酒だって飲める!」
英雄は不愉快そうに、言葉を返す。
アスタロトが子供と表現した通り、英雄の見た目は若く、十代中頃の東洋人という感じに見える。
戦闘服のジャケットとシャツが破れ放題となり、平たい胸が露になっているので、今の英雄は男性であるのが分かり易い。
だが、英雄は女顔であり、鍛え上げられた筋肉質の身体であっても、スタイルが細身である為、よく長身の少女に見間違えられる。
露になっている胸の中央には、コイン程の大きさの、太陽を象った赤い入れ墨のような、奇妙な印がある。
これは入れ墨ではなく、魔術の印……魔術印の一種の、帰還印である。
異世界から召喚された英雄は、通常なら召喚目的を果たせば、この帰還印を発動させ、異世界……英雄にとっては自分の世界に、戻る事が出来る。
この世界の人間……人族では、倒すのが著しく困難な魔神である、アスタロトを倒す事こそが、英雄の召喚目的なので、英雄は召喚目的を、果たしたも同然といえる状況なのだ。
召喚目的を果たした場合、それから一カ月、元の世界に戻る為の準備期間を置いた上で、帰還印を発動させ、英雄は元の世界へと戻るのが、過去の慣例といえる。
ちなみに、帰還印の他に、異世界から召喚した英雄を、元の世界に戻す方法は、現時点では存在しない。
「貴様の年齢くらい、知っているさ。英雄に関する情報収集は、常に行っていたからな」
アスタロトは、短く補足する。
「子供みたいというのは、貴様の……見た目の話だ」
「日本人は他の国の連中からは、若く見えるんだよ」
実際は、この英雄は日本人の中でも、実年齢よりも若く見える部類なのだが。
「日本っていうのは、俺の生まれ育った国の事だ」
「それも、知っている。物凄く高い建物や……機械だらけの、不思議な世界だとか」
「俺からすりゃ、魔術が使えて魔族が襲って来る、この世界の方が、よっぽど不思議だぜ」
「この世界とは違う形で発展した世界、どのような世界なのか、この目で見てみたかったのだが……」
苦し気な表情と口調で、アスタロトは続ける。
「その夢が……果たせなかったのは、少しばかり……残念だ」
「冗談じゃない! 人間を殺して、霊的なエネルギーや生命エネルギーを奪い取る魔族を、日本に行かせられるかよ! ここで倒せて良かったぜ!」
強い口調で、英雄は言い放った。
そして、日本について喋ったせいか、故郷の日本を思い出し、英雄は嬉しそうに呟く。
「良かったといえば、これでようやく……俺は日本に帰れるんだ。そういう意味でも、お前を倒せて良かった」
この世界の人族では、魔神を倒すのは不可能に近い。
それ故、この世界が魔神の脅威に晒された時、聖女と呼ばれる存在が、異世界から召喚した英雄に、魔神を倒して貰うのが、慣わしとなっているのだ。
魔神アスタロトを倒して貰う為、当代の聖女が慣わし通りに、異世界から英雄を召喚した。
そして、英雄は魔神アスタロトを、倒したも同然の状態となった。
つまり、魔神を倒すという、英雄としての召喚目的を果たし終えたので、元の世界に帰れると、英雄は思ったのである。
ただ、まだ帰還印は、使えるようになってはいない。
二度と人族の世界を狙えないように、魔神を殺さなければ、魔神を倒すという召喚目的を、果たした事にはならない。
虫の息とはいえ、まだアスタロトは生きているので、まだ召喚目的は果たされていない。
召喚目的を果たし、数日が過ぎると、帰還印が使えるようになる。
ただ、慣例では、帰還するのは一か月後なのだが。
「本当に、日本に……帰れるかな?」
意味有り気な、アスタロトの問いかけが気になり、英雄は訊き返す。
「どういう意味だよ?」
「すぐに……分かるさ」
楽し気な笑みを浮かべ、そう言い遺すと、アスタロトは瞼を下ろし、事切れる。
凄まじい被害を出し、英雄が成長する前は、グリム大陸どころか、この世界を征服する事が、確実視されていた、最強の魔族……魔神アスタロトは、その激し過ぎる生涯を終えたのである。
「おい! 意味有り気な事を言い遺したまま、死ぬんじゃねえよ! 気になるだろうが!」
英雄は語気を荒げて、アスタロトに食ってかかるが、既に死んでいるので、言葉は返って来ない。
「どういう意味なんだ? 答えてから死ね……え?」
英雄の言葉が、驚きの声に変わる。
突如、死体となったアスタロトの、胸の中央辺りから、黄色い光を放つ、小さな三日月のような何かが出現したので、英雄は驚いたのだ。