幕間 酒呑と茨木
「ふぃー……糞ほど疲れた」
戦いを終えた酒呑は歓楽街に建てさせた自宅へと直帰していた。
ちなみにこの自宅、立派な武家屋敷なのだが専門の人間が建てたものではない。
茨木の造った家じゃねえと落ち着かんという無茶振りをされ茨木が建てた。
茨木童子も鬼だ。簡易な住居ぐらいならともかく本格的な住居を建てる知識などありはしない。
だがそこはそれ。
大将の無茶振りに応えるため政府の伝手を使い現実の職人に指導を受け技術を身に着けた。
一から図面を引き、資材を手配し、指示を出し、時には自ら玄翁を取り、すげえ頑張った。
「単純にバチバチやり合うならともかく、ああいうのは二度とやりたくねえ。つまらなさ過ぎる……」
ぼやきながら酒呑が門を潜ると、
「おかえり、大将」
「茨木? おめー、こんなとこで何してんだよ」
「何してるも何もないだろ。呑んでる最中にあんなことがあったんだからよぅ」
酒呑が異変を感じ取ったのは茨木を筆頭とした親しい鬼連中と酒盛りをしていた時だった。
茨木を筆頭に特に力のある者らも当然、異変は察知していた。
「アンタが素面に戻って駆け出すような事態だ。若様絡みで何かあったんだろ?」
「察しが良い奴だな。お前は俺の嫁かよ」
「アホ言ってんな。飯と酒は用意してある、詳しい話を聞かせてくれよ」
「おう」
茨木を伴い屋敷の中へ。
ちなみに、馬鹿広い屋敷だが平時は酒呑一人だけで暮らしている。
自宅とは言っても大体は茨木の所や他の鬼たちが集まっている場所をフラフラしているからだ。
とは言え屋敷の維持のために時折、ハウスキーパー的なものは入れている――茨木が。
「お、焼肉かあ。分かってるじゃん」
「大暴れした後は肉! だろ?」
「だな。おい、飯は……」
「ガンガン炊いてあるから心配しないで良いよ」
「でかした!!」
網の前にドカっと腰を下ろした酒呑はキンキンに冷えたビールを呷りながら肉を焼き始めた。
茨木はそんな酒呑に苦笑しつつ、そっと米櫃を傍に置く。
鬼にとっては米櫃が茶碗のようなものなのだ。
「で、実際のとこ何があったのよ?」
「威吹が半端な状態で大妖怪に至りかけてた」
「…………マジで?」
「おう、マジもマジ。俺や天狗の爺、あの淫乱狐が駆け付けなきゃまず間違いなく大妖怪になってたろうぜ」
「は? アイツらも一緒に居たの?」
「駆け付けたら何かアイツらも居たんだよ」
良い具合に焼きあがった肉を五枚ほどまとめて口の中に放り込む、そしてすかさず米。
肉本来の味、絡み付いたタレの味、そこに米の甘味が加わるのだ。
最早三国無双。頬が緩むのを止められるわけがない。
が、それだけで済ますつもりはない。
口の中を空にした後、ビールを流し込む――完璧だ。
酒呑は疲労も相まって、心底だらしない顔をしていた。
「しかし何だって若様は急に……」
「よう分からん。魔女の婆さんが何かしたみてえだが」
僧正坊の発言からロゼレムが何かをしたのは確実だ。
しかし、何をしたのかが分からない。
「俺ァ、天狗の爺みてえに術やら何やらに詳しいわけじゃねえからなあ」
「ああまあ……大将はそうよね」
「俺が到着した時点で結構やばくてよお。殺すならともかく止めるとなると、俺一人じゃなあ」
「大将、殴ることしか出来ないしな――って、え、待って。まさか……手を組んだのか?」
信じられないといった様子で目を見開く茨木だが、その反応も当然である。
大前提として強い奴ほど我が強い。
上に立つならともかく並び立って何かをするとなると途端に反発し合う。
在り方であったり趣味趣向であったり、
理由は様々だが僅かでも合わないと感じれば死んでも手を取り合わない。
相手が折れるなら受け入れる可能性もあるが、並び立てる時点で同格。相手が頭を下げる可能性は絶無だ。
その上で、
「天狗の爺さんならまあ……分かるけど……え、九尾と?」
九尾の狐との相性の悪さだ。
兎に角合わない。何もかもが合わない。
これは酒呑からの一方通行ではない。詩乃も酒呑を嫌っている。
気位の高さから詩乃が折れる可能性はまずない。
かと言って酒呑が折れる可能性もあり得ない。
だからこそ茨木は手を組んだという事実が信じられないのだ。
「俺だってやりたかなかったよ。でも、俺もアイツらも一番執着してる部分が重なってたからなあ」
生まれて初めて我が子と認めた威吹。
自分の夢を叶えてくれるであろう立派な孝行息子が、
あんなつまらない開花を果たすのがその時の酒呑にとっては一番耐え難かった。
そして理由は違えど僧正坊や詩乃も、その思いは一緒だった。
だからこそ例外的に手を組むことが出来たのだ。
「はー……歴史的な快挙じゃんよ。つか、三人一緒でないと無理とか若様どんだけだよ」
「実際、やばかったぞ。仮に殺すのを目的として一対一で戦ってたとしてもだ」
最終的な勝者は自分だったかもしれない。
が、勝ちへと至るまでの道程はかなり険しいものになっただろう。
「殺すために戦ってりゃ覚醒も早まってただろうしなあ」
「うへえ……」
「特にあれ、時間への干渉とやらが厄介だったぜ」
普段の威吹が使っていたのならば楽しいと感じていただろう。
それを真正面から力で打ち破り、更にまだ何かを見せてくれるはずだと胸躍っていたはずだ。
だが、戦っていてもまるで楽しくない威吹が使うと楽しさは皆無。鬱陶しさしか感じなかった。
「は? 若様んなこと出来るの? やばくない?」
「やべーな。単純に速く動くってだけならよっぽどでもない限りは捉えられるだろうが」
時間を止められたらどうしようもない。
気付けばブン殴られていた。
理性を以ってあの力を制御していればどうなっていたことか。つくづく惜しいと酒呑は溜め息を吐く。
「それと時間停止を応用したっつー護りも糞ほど面倒だった」
「…………そういうあれか。え? マジ? そんなのも出来るの?」
察しの良い茨木は時間停止を応用した護りというだけで察しがついたらしい。
盛大に顔を引き攣らせ冷や汗を流している。
「割と本気でブン殴れば無理矢理ぶち抜けそうではあったが……多分、意味ねえしな」
「時間操れるんなら傷も体力も妖気も巻き戻せるっぽいからなあ」
「そうそう。あ、傷で思い出したがこっちの再生も阻害して来たぜ」
「何それクソゲー? いやでもそんなん相手取って殺さずに何とかしようってんならそりゃ大将だけじゃ無理だわ」
「だろ? ホントあの魔女のババア……余計なことをしてくれるぜ」
苛立ちのまま肉を口の中に放り込む。
やはり美味い。
茨木め、良い肉を用意しやがってと酒呑は内心で舌を巻く。
「しかしよ大将」
「あん?」
「時間を戻したり出来るんなら術の発動とかも潰されたりしたんじゃねえの?」
「みてえだな。俺はずーっと殴ってたから知らんけど」
「となると爺さんはともかく九尾はどうしたのさ?」
「しゃーねえから俺と一緒に威吹殴ってたよ」
と言っても酒呑のように力任せに拳を叩き付けていたわけではない。
どこで身に着けたのか技術を使って立ち回っていた。
「ほー……あの女狐がねえ。しかし大将よ。
クソゲー状態の若様をどうやって攻略したのさ?
その様子だと上手くいったのは分かるけど……時間を操る力を何とかしなきゃ八方塞じゃね?」
「おう、だから何とかしたんだよ。いや、俺がやったわけじゃねえけどな」
「やったのは爺さん――じゃないな。やっぱ九尾か?」
「ホント察しが良いな。そうだよ、アイツがまたぞろ趣味の悪いことやらかして何とか……した?」
確かに時間への干渉は封じることが出来た。
そして全体としても結果だけを見るなら良い具合に着陸したが、あれは正解だったのか。
制限時間を大幅に減らして余裕がなくなり必死こいてリカバリーする羽目になっただけなのでは?
酒呑は何ともいえない顔で首を傾げる。
「何で疑問系なのかはさておき、どうやってさ?」
「えーっと、だなあ」
詩乃が言っていたことをそのまま口にする。
察しの良い茨木ならばそれで十分だろうと。
するとやはり察したようで、なるほどなと何度も頷いている。
「…………若様のことを完全に把握してるから出来る芸当とは言え、あの女マジでやべえな。
実現出来るのもやべえが、そもそもの発想からして頭おかしいと思う。つか、そんなやり方して大丈夫だったの?」
恐る恐ると言った様子で茨木が問う。
相槌と言いリアクションと言い、この鬼、実に聞き上手な男である。
「制限時間が十分ぐらいになった。しかもクッソパワーアップしおった」
「総合的に見ると駄目じゃんよ! よく若様止められたな!?」
「九尾の奴が吸精やって威吹を木乃伊になる寸前ぐらいまで追い込んだんだよ」
ただまあ、見たところかなりギリギリ臭かったが。
酒呑は何とかなったのは運が良かったからだと見ている。
「そんで俺らの血を飲ませて……えーっと、何か色々やって最終的に丸く収まった」
「若様の中に流れる血に干渉して産まれそうだったものを押し込めたのか。なるほどなー」
流石の理解力である。
「大将、お疲れさん」
「ホントにな。久々にドッと疲れたわ」
別に戦うことが嫌なわけではない。むしろ好きだ。
強い相手と戦うだけで心が躍る。
しかし、今日のは別。
威吹を元に戻すという目的を抜きにしても、楽しいものではなかった。
力が強いだけでは何も面白くない。
何なら以前、威吹と遊んだ時の方が何倍も楽しかった。
「でもまあ、良かったじゃん」
「あ? どこがだよ」
ジロリと睨み付けるが、茨木は笑ってこう答えた。
「半端な状態で大妖怪に至ったとしても、それなりに歯応えのある奴になってたのは確実なんだ。
つーことはだぜ? 完全な形で大妖怪になったとしたら……どうよ?
それこそ大将が“手も足も出ない”ような大妖怪になるんじゃねのか?」
あ、と酒呑が小さく呟く。
「夢が現実味を帯びてきたじゃんよ」
「……ものは考えようだな。なるほど、確かにその通りだ」
口が達者な野郎だと笑い飛ばし、酒呑はビールを呷った。
先ほどよりも美味しく感じるのはきっと気のせいではないだろう。
「しかし何だ。こんな話を聞かされると、俺も一度若様とじっくり話しをしてみたくなるな」
「おー……そういやまだ顔を合わせてなかったっけ」
一度、威吹と一緒に居る時に茨木を見かけた。
だがその時はどちらも別の用事があったので、直接対面することはなかった。
「ああ。こないだ会社に若様が訪ねて来てくれた時も、俺が留守にしてて会えなかったしな」
「え? 何それ? 聞いてねえぞ?」
「酔っ払いの介護ご苦労様ですつって現世の土産を持って来てくれたんだよ」
「酔っ払いの介護……? 誰のことを言ってんだ……?」
「アンタだよ!!」
むしろ酒呑以外に誰が居ると言うのか。
「つーか土産で思い出したんだけどさ。大将に頼んでた土産貰ってないんだが?」
「…………頼まれてたっけ?」
「クッソ! アンタはそういう奴だよ!!」
「まま、そう不貞腐れんなって。今度また二人で行けば良いじゃねえか」
「っとにもう……土産の件は良いとして今度若様連れて来てくれよ」
「おう。威吹もお前に一目置いてるみてえだし断らんだろうぜ」
「……その一目置かれてる理由は介護的な意味でじゃないよな……?」
ただまあ、直ぐにとはいかないだろう。
歪な形で覚醒しかけたこと、それを外部から無理矢理押しとどめたこと。
かなり肉体に負担がかかったはずだ。
下手をすれば以前、自身がボコボコにした時よりも。
(とりあえず一回、見舞いにでも行くか。あの女狐と顔を合わせるのは嫌……だ……が……)
さぁ、っと酒呑の顔から血の気が引いていく。
「お、おいどうした大将? かつてないほど暗い顔になってんぞ」
「…………なあ茨木」
「お、おう」
「…………俺な、生まれて初めて攻撃を避けちまったよ」
酒呑の告白に茨木はキョトンとした顔をする。
言葉を飲み込めていないのだ。
だが、一分二分三分と時間を重ね――――
「う、嘘だろ?! 大将が逃げたってのかよ!? そ、そんな……」
「嘘じゃねえ」
そう、嘘じゃない。
「威吹の奴がな。女狐の後頭部をこう……ガシッ! と掴んでさ」
自分は恐怖に駆られて逃げたのだ。
「――――俺の顔面にぶつけようとしたんだ」
「ひ、ひでえ……ひでえよ若様……どうしてそんなことが出来るんだよ……」
「正に悪魔の所業ってやつだぜぇ」




