幕間 弟子入り志願
カリカリとペンの音だけが響く長官室。
ふっ、と僧正坊が手を止め天井を仰いだ。
「今日もデスクワーク……」
ポツリと漏れた呟き。
静だからか余計に響くが、少し離れた場所で仕事に勤しんでいる梓は無反応だ。
「明日もきっとデスクワーク……」
ふるふると悲しげな顔で首を振る。
「毎日同じことの繰り返しで……こんなんじゃ生きてるって気がしないよーーーーーっ!!!」
ガタン! と勢い良く立ち上がり、叫ぶ。
次の瞬間、僧正坊の額に万年筆が突き刺さった。
「梓くん、ツッコミが厳しくない? 本場大阪でもこんなのないよ?」
「すいません。私、鹿児島出身なもので」
「真顔で嘘つくの止めない? それと鹿児島出身者に失礼だからね」
フン、と鼻を鳴らし僧正坊は机の引き出しを開いた。
「良いもんね良いもんね。そんな梓くんにはお菓子分けてあげないんだから!!」
取り出したるは生八橋、そしてお高い緑茶の葉。
「へっへーん! 良いじゃろ良いじゃろ? 可愛い孫にな! 貰ったのよ!!
現世の土産だっつってな! 毎日毎日、ちょびちょび食べてるの! 知ってたぁ!?」
「いや、私も普通にお土産貰いましたし」
「え」
「構ってちゃんの世話は大変だろうと菓子やら茶葉やら漬物やら。
ああそうだ、西陣織の小物もありましたね。それと東京土産も幾つか……」
思い出す。
そう言えばここ最近、見たことのない小物を身に着けていたなと。
セクハラと言われるのが怖かったので言及しなかったが……。
「何それ、儂聞いてない。ってか、え? 儂、構ってちゃんって思われてんの?」
「自覚がなかったんですね。少し、驚きです」
「止めて梓くん、これ以上儂の心を傷つけないで。八橋の味が分からなくなっちゃうから」
僧正坊は傷付いていた。
例えるならクラスのマドンナにチョコを貰ったが、
実はそれが皆にも配っていた量産品で特別でも何でもないのだと気付いた時のように。
「はー……やる気失くしたわぁ……このまま飲み行こっかな」
「どうぞ御自由に」
「お、何か急に優しい。何々? ツンデレ? でも儂、ツンデレあんま好きくないんだよねえ」
ツンツンしてからデレられるより、最初からデレデレして欲しい。
好き好きオーラを振り撒いて欲しい。
そう熱弁を振るう僧正坊に梓は一言、こう告げた。
「御孫様にチクらせて頂きますけどね」
「どうしてそんな酷いことが出来るの?」
「溜まってる仕事を放り出して飲みに行くのも十分酷いと思いますけどね」
ぐうの音も出ない正論だった。
「……とは言え、へそを曲げられるのも面倒ですからね。
御孫様から聞いた現世の土産話でもしてあげましょう」
「……儂、ブッキーから全然土産話とか聞いてないんだけど」
「聞きたくないんですか?」
「そうは言っとらんじゃろがい」
と、その時である。
「ッッッ」
「ほう」
尋常ならざるプレッシャーが鳥の巣に降り掛かった。
物理的な質量すら感じるそれに突き動かされたのだろう。
梓が僧正坊を庇うように机の前に躍り出て扉を睨み付ける。
「ええよ、梓くん。下がってなさい」
「しかし……!」
「良いから――――“全員何もするな”」
僧正坊は鳥の巣全域に自分の声を響かせる。
口調こそ柔らかかったが、そこには有無を言わせぬ圧があった。
大妖怪の言霊に縛られた以上、動ける者は一人も居ないだろう。
「……僧正坊様」
机に腰掛け脚を組む僧正坊の顔には紛れもない喜悦が浮かんでいた。
退屈な日常を賑やかす“風”を感じ取ったからだ。
「ええぞい、入っておいで」
そう呼びかけると、ゆっくりと部屋の扉が開かれた。
「……人間?」
「ただの人間ではなさそうじゃがな」
白いシャツに黒いズボンというラフな格好をした十七、八ほどの少女。
腰に刀を差し、右手からはブリーフケースを提げている。
「ようこそ、鳥の巣へ。歓迎するぞい、お嬢さん」
両手を広げ歓迎の意を示す僧正坊に少女は微かな苦笑を返した。
「…………流石に、違う。大妖怪」
「ほっほっほ。よう分からんが今、儂褒められた?
いやあ、最近辛口な若者とばかり接してたから嬉しいのう――ねえ、聞いてる梓くん?」
話を振るが梓の表情は強張ったまま。
どうやら何時もの毒は期待出来ないらしい。
だがそれも已む無しかと僧正坊は小さく溜め息を吐く。
「儂は僧正坊と呼ばれとる。お前さんは?」
「リタ、と呼ばれている。本当の名前かどうかは知らない」
「誰がつけたかは知らんが悪趣味な名を」
名前とは個人を識別する記号ではない。
力ある者がつければ、名付けられた者の一生を左右するほどの呪いにも成り得る。
僧正坊の目にはしっかりと見えていた。
リタと名付けられた少女の“我”を縛るボロボロの鎖が。
(名付けた者はかなりのやり手だのう……が、それだけに解せんな)
利己を縛る鎖が何故、こうもボロボロになっているのか。
これほどの呪を施せる術者だ。
生半なことでは壊れないようになっていたはず。
「……リタ?」
「梓くん? 知っとるのかい?」
「あ、いえ……御孫様が現世で戦ったと言う“怪異殺し”の少女の名が……」
「リタだったと?」
疑問が氷解した。
目の前の少女は間違いなく威吹と戦った怪異殺しなのだろう。
であれば大体の察しはつく。
「なるほど、そういう運用をしていたわけか」
間違っていない。
むしろ、人間の視点で考えるならば最善に近いやり方だ。
(このお嬢さんの後ろにおった者が威吹を殺そうとしたのもまあ……間違いではない)
状況から察するに失敗は二つ。
詰め方を誤ったこと。
威吹が内包する可能性を読み違えたこと。
大体はそんな感じだろう。
「……流石は鞍馬の大天狗。慧眼」
「また褒められた! しかし……怪異殺しねえ。儂らの天敵じゃんよ」
怪異殺し、長く生きて来た自分ですら初めて目にする。
その手の二つ名を持つ者は居たが、固有の能力だとか資質は持っていなかった。
だが目の前のリタは違う。
彼女だけが持つ、怪異を殺すための何かがある。
(威吹が大妖怪になったこともそうだが、つくづく人間は面白い)
クツクツと喉を鳴らし笑う。
威吹の祖となる三人の大妖怪の中で一番真っ当なのが僧正坊だ。
しかし、忘れてはならない。
彼も所詮は人ならざる化け物であり、化け物の中でも理外に位置する存在なのだと。
「して怪異殺しのお嬢さん。君は何をしに来たのかね?」
「私を、弟子にして欲しい」
「ほっ」
「あなたなら、私を更に上の領域へ引き上げてくれる」
やるかどうかはともかくとしてだ。
リタという刃を更に鋭くすることが可能かと問われたら可能だろう。
威吹と同じく潜在能力の塊だ。
軽く教えを施すだけでもかなりのものになろう。
「……何を馬鹿な。御孫様――威吹様を殺そうとした女を何故僧正坊様が弟子に取ると思うのか」
「逆に問いたい。何故、大妖怪相手にそんな真っ当な思考をしてしまうのか」
これはリタが正しい。
二人は殺し合ったらしいが、大方発端は威吹だろう。
目に浮かぶ。嬉々として鎖を外し追い詰められた可愛い孫の姿が。
そして、もっと楽しみたいと更なる領域へ至った面白い孫の姿が。
「一応、手土産も持って来た」
リタがブリーフケースを放る。
中を検めると、結構な量の書類が詰まっていた。
「さっきまで書類仕事をしとったから紙はもう見たくないんじゃが……どれどれ」
目を通し、ほうと感嘆の吐息が漏れる。
「僧正坊様、何が書いてあったのです?」
「ん? 最近やたらと外つ国の化け物が日ノ本に流れ込んで来とることの真相じゃよ」
かつてリタを使役していた者――大西孝通、そいつが黒幕だ。
どうにもリタに実戦の経験値を積ませるため多種多様な化け物を呼び寄せていたらしい。
日ノ本の妖怪だけでも十分、経験は積めるだろう。
しかし、それでは幻想世界の日本と現実世界の日本の関係が悪化するだけ。
国を護るための備えとしてリタを鍛えているのに、それでは本末転倒だ。
(今の社会に馴染もうとせん連中を狙い撃ちにするのもありっちゃありだが……)
そうするとハグレ者が結託するだろう。
国に仇成す可能性を持つ者らを一掃するチャンスと言えなくもない。
だがリスクを考えるなら自国とは関係のない国の化け物を餌にするのが一番だ。
「既に死んだ首謀者も含め邪魔になりそうな連中がリストアップされとる。
そいつらを全員殺れば今居る連中はともかく、これ以上の流入は避けられよう」
「では……」
「細かい事は梓くんに任せる」
ブリーフケースをそのまま梓にパスする。
自分たちで型に嵌めてやっても良いし、
この情報を日本政府に渡してあちら側で処理させるのも良い。
何にせよ、僧正坊は事件の集束についてはさして興味がなかった。
「弟子にしてくれる?」
「……」
「私はきっと、面白い。だって、彼も笑ってたから」
たどたどしい言葉の裏にはほんのり喜色が滲んでいた。
情操教育が未熟なせいか、見た目よりも彼女は随分と幼い。
「お前さん、何故儂を師に選んだ?」
「大妖怪への理解を深めるため。かつて人間を弟子にしていたから。
後は、前の師があなたのことを高く評価していたからというのもある」
「ほう……あれ? 何か人間の方が儂の扱い良くね?」
梓を見る、さっと視線を逸らされた。
「じゃあ次の質問。何故、強くなりたい?」
「……」
返ってきたのは沈黙。
必死に答えを探しているようで顔には悩みの色が濃く浮き上がっていた。
殆ど解放されたとはいえまだ鎖は残っているし、
“自分”が芽生えてそう日も経っていないからだろう。
リタはまだ自分の心もよく分かっていないのだ。
「恩、返し……? 負けて、悔しかったから……?
合ってる気がするけど……それだけじゃない、気もする……」
うんうん唸るリタには妙な愛嬌があった。
「ほっほ。悩め悩め。それもまた修行の一環よ」
「しゅぎょう……ということは……?」
「うむ。お前さんを弟子にしてやろう――つっても、タダでとはいかん」
「どうすれば良い?」
「何、月謝代わりに天狗ポリスで仕事をするだけじゃ」
無論、給料は払うし住居も用意しよう。
そして空いた時間に気分が乗ったのなら指導を行う。
僧正坊の提案にリタは即、飛びついた。
それで僧正坊に師事出来るのならば安いものだと。
「…………僧正坊様、本当によろしいので?」
「ええよ。ブッキーも喜ぶじゃろうし、儂自身興味があるからのう」
未だ蕾の怪異殺し。
はてさて、一体どんな花を咲かせるのやら――興味は尽きない。
「何より儂、暇じゃからな」
「全然暇じゃないんですが。バリバリ仕事あるんですけど」
兎にも角にもこうして、リタは僧正坊の弟子となったのである。