紅覇の休日④
もうかれこれ二十分は経ったか。
未だに言い争い(蒼覇が一方的に捲くし立てているだけなのだが)は続いていた。
威吹もいい加減飽きて、無音と共に○×ゲームに興じていたのだが……。
「大体貴様! なぁぜ女になっている!? 狗藤威吹の趣……みぎゃっふ!?」
気付けば蒼覇を殴り飛ばしていた。
木々を圧し折りながら吹き飛んでいく彼に多少の申し訳なさは感じるが後悔はしていない。
「大丈夫? 死んでない?」
「安心しろ。ちゃんと手加減はしてある」
「というか何で殴ったの?」
「外道畜生と罵られるのは良い。だが謂れの無い性癖を押し付けられるのは我慢ならないんだ」
屑! よりも変態! のが刺さるお年頃なのだ。
「ロリコンとかならまだ良い。でもそれ以外のアブノーマルな性癖はな」
「待って威吹。今さらっと言ったけど決して聞き逃せない単語あったよ? え? ロリコン?」
「我が君、お望みでしたら私も変化の術を磨き常日頃から童女の姿に……」
「君はもう少し自分の世間体を気にしよう?」
人望も実力もある学院一番のイケメンが何の脈絡もなく性転換したのだ。
それだけでも大変なのに今度は幼女になるとか、急転直下が過ぎる。
周囲をどれだけ振り回すつもりなのか。ロデオでも、もう少しお淑やかだ。
「あと、誤解するな。何も幼い少女に性的欲求を抱いてるわけじゃないから。
胸がトキめいたり、そういうピュアな情動を刺激されるだけだから」
「でもそういうのも結局は性欲でしょ?
好きになるとかそういう心の動きってさ。
子孫繁栄を滞りなく行うために必要なプロセスとして組み込まれてるだけだと思うんだよね」
「…………君、すっごい夢のないこと言うね」
柴犬が人語を話すのはファンタジーなのに、
紡ぎだされた言葉にはファンタジーの欠片も感じられない。
「というか、もし俺がそういう意味でのロリコンだったら母さんも幼女になってるはずだろ?」
「む、言われてみれば確かに……あの毒婦ならまず間違いなくそうしていたでしょうね」
「ああ、性欲の対象はあれぐらいなんだね。
というか母親が自分の好みドストライクな姿してるって正直イカレタ状況だと思う」
「君、急に知能高くなってない? まだ本は貰ってないよ?」
などと駄弁っていると、遠くから雄叫びが聞こえる。
おぉぉおおおお! とドンドン声は近くなり遂には、
「貴様ァ! いきなり何をするか!? 立会いを望んでいるのなら口で言え! 相手になってやる!!」
隣の紅覇が零度の殺気を放つのを感じ、威吹はそれを手で制して蒼覇に答えた。
「いいえ、誤解です蒼覇殿」
「何!? 何が誤解だと言うのだ! いきなり頬を殴り付けるなぞ悪意なしには出来ん!!」
まったく以ってその通りである。
「蒼覇殿、これを」
威吹はさっと右手を蒼覇に見せ付けた。
「これは……蜘蛛か?」
手にこびりついた黒い染みとひしゃげたパーツを見て蒼覇が首を傾げる。
威吹は小さく頷き、神妙な口調で語り始めた。
「現世で発見された新種の毒蜘蛛です。
ひと度、これに噛まれれば肉が爛れ骨が溶け……それはもう恐ろしいことに」
なりません。
「人間にとっては、だろう?」
「仰る通りです。しかし、私は元々現世から来た人間でしてこのままでは蒼覇殿が危ないと思い……」
並べ立てられた嘘八百を受け蒼覇は、
「何と、俺を気遣ってのことだったか!
そうか、確かに誤解だったな! すまん! そしてありがとう!!」
曇りのない真っ直ぐな瞳で頭を下げた。
「……あの、慌てていたとはいえ殴ってしまったのにありがとうとは……」
「ん? 悪気はなく、むしろその逆だったのだろう?
確かにいきなり殴るのは慌て過ぎだがそれもしょうがない。
人間からすればそれは恐ろしい毒蜘蛛だったのだから悠長に呼びかける余裕はなかろうさ」
だから気にするなと蒼覇は笑った。
爽やかなそれではない、
暑苦しさすら感じさせる雄臭い笑顔だったが不思議と彼には似合っていた。
「それより貴様、現世出身と言う割りに良い拳をしていたぞ。種族は何だ?」
「鬼の血が流れているみたいです」
他にも血が流れていないとは言ってない。
「ほう! 鬼か! そうかそうか! うむ、うむ。いや、そうだと思ったんだ俺も。
妖怪と言えば? そう聞かれたら真っ先に鬼の名が挙がるように鬼は化け物の代表だからな。
強く雄雄しく正道を往く最も美しき種族――それが鬼と言うものだ」
鬼だと答えるとこの喜びよう。
鬼という種族は若干ナルシストのケがあるのかもしれない。
「実は俺も――……と言うのはおかしいか。俺は純血だしな。
だがまあ、同じ鬼ではある。父の名は大嶽丸だが……知っているか?」
「それはもう。鈴鹿の御山の大嶽丸と言えば知らぬ者は居ないでしょう。
うちのしょっぱい飲んだくれと比べると……いやはや、羨ましい」
「ハハハ! そうか。だが羨むな。
貴様の父は駄目な鬼なのかもしれないが、貴様には見所がある。
俺ほどではないが、長ずれば名を馳せようさ。後、父と言ったが認知はされてないんだがな。
まー、血縁上は父親なので向こうがどう思っていようが知ったこっちゃないが」
そう言って蒼覇はワッハッハ! と腰に手をあて笑い始めた。
最初から何となくそんな気はしていたのだが、やはり似ている。
名前や種族だけでなく、他の部分でも何となく紅覇に似ている。
そして、話をしていてより理解が深まった。
確かに似ている。重なる部分もある。
だが、かつての紅覇と比べれば蒼覇の方が精神的にかなりタフだ。
「…………やばいな、ここに来て好感度急上昇なんだが」
最初は何かうるさい人でしかなかった。
しかしどうだ? 中々に面白い男ではないか。
こう、弄り甲斐があると言うか踊らせ甲斐があると言うか……。
威吹が蒼覇への好感度を急上昇させている隣では紅覇がショックを受けたような顔をしていた。
「お、おのれ蒼覇ァ……!!」
紅覇の敵意が蒼覇に向けられる。
これでようやっと、蒼覇の一方通行ではななくなった……のか?
「時に貴様、名は?」
「麻宮静です」
「さらりとおれの芸名を……」
無音が何か言ってるが聞くつもりはない。
ここで狗藤威吹と名乗ってしまえば楽しい時間が終わってしまうではないか。
「静か……良い名だ。どうだ? 俺の家臣にならんか?」
「お誘いありがたく。ですが私は紅覇殿の下僕ゆえ」
ずずい、っと紅覇を前に出す。
「! そうだ、忘れていた! 紅覇、貴様だ貴様!!」
「……私が女になった理由だったか? そうしなければ勝てなかったからだ」
紅覇は軽く零號との戦いを語るが蒼覇は納得していないようで、
「だからと言って卑劣極まる狐の術に頼るなぞ恥を知れ恥を!
他の者ならいざ知らず、貴様は偉大な鬼の血を引く生粋の化け物だろうが!!」
「恥? 違うな。他ならぬ我が君に認められた私の強みだ。
鬼の矜持云々とかそういうのはもう卒業したんだ、私を巻き込まないでくれ」
「うぐぐ……! に、肉体の性別が変わったとしてもだ!
姿形を変える方法なぞ幾らもあろう! 何故そのような姿をしている!?」
「性別なぞ些細な問題だ。真に重要なのは心の在り方だろうに。
見た目に惑わされて一喜一憂するお前の姿は実にみっともないな」
蒼覇が威吹に気に入られたからだろう。
紅覇の毒が若干、強くなっている。
「ドヤ顔でマウント取ってるけど、あの人も前は結構みっともなかったよね?」
「それな」
散々ディスられた過去を棚上げして何を言ってるのかと思わなくもない。
「…………見たくなかったな。かつての好敵手がここまで落ちぶれた姿を」
「落ちたのではなく、高みへと一つ駆け上がったのだと何故理解出来ないのか」
「もう良い。俺の好敵手は死んだ。お前にはもう何一つ期待せん」
背を向けた蒼覇を待てと紅覇が呼び止める。
「どうするつもりだ?」
「決まっている。貴様に勝利し、貴様をそうさせた元凶を倒し俺はかつての敗北を拭う」
「……我が君に手を出すと? 思い上がったな蒼覇!!」
食って掛かろうとした紅覇を威吹が押し留める。
そして目でこう告げた。
何もするなと。面白そうだからこのまま放置してみようと。
紅覇は苦渋に顔を歪めたが、最終的には主の命を優先し口を噤んだ。
「さらばだかつての好敵手! そして静よ、紅覇を見限ったら何時でも俺を訪ねて来い!!」
ではな! と来た時と同じく勢いのまま蒼覇は去って行った。
「いやー……何だったんだろうねあの人」
「面白かったじゃないか」
それより、だ。
蒼覇も去ったことだし是非詳しく聞かせてもらいたい。
蒼覇とは一体どんな関係なのか。
「どんな……と申しましても、一方的にライバル視されてるだけと言いますか……」
「前の威吹と先輩みたいな関係?」
「…………麻宮くんは、少し歯に衣を着せて欲しいかな」
「何でライバル視されることになったとか、そこら辺教えてよ」
「分かりました」
ゴホン、と咳払いをして紅覇は因縁を語り始めた。
「発端は去年の五月末にあった一年戦争ですね」
「「コロニーでも落としたの?」」
ハモってしまう。
どうやら無音もリバイバルブームの際、例のアニメを見ていたようだ。
後で語り合おうとアイコンタクトを送り、首を傾げる紅覇に先を促す。
「私たちが通う相馬高等学院を含め東京には幾つか、
現世で言うところの高等学校に位置する教育機関が存在します」
それは神崎から説明されたので知っている。
威吹や無音のような現世から来た人間が通うのは主に相馬で、
他は大体が化け物だらけの学校だとか。
が、別に他の学校も人間を受け入れていないわけではない。
実際に変わり者の人間は敢えて化け物だらけの学校を希望するとかしないとか。
威吹がそう告げると紅覇は満面の笑みで、流石我が君、勤勉ですねと賞賛を口にした。
「俺のことはどうでも良いから続き続き」
「ああはい。まあ、化け物だらけの学校ですからね。
血の気の多さで言えば相馬以外はかなりのものなのです。
だからなのか、何時からか自然とそういう行事が出来てしまったと言うか」
「その行事ってのは例の一年戦争?」
「はい。まずはそれぞれの学校の一年生で一番強い者を決定する予選。
その後、各校のトップが相争ってその世代の最強を決める本選が始まります」
ヤンキー漫画かよ、と思った威吹を誰が責められようか。
「ちなみに先輩は?」
「まあ、一応私が昨年度の覇者だね。決勝戦の相手がまあ……うん、奴だったんだ」
「十秒で終わったみたいなこと言ってたけど、それマジ?」
見た感じ、結構な実力者だった。
紅覇に負けて鍛えた分があるとしても、昨年の時点では互角ぐらいだったのでは?
威吹の疑問に紅覇はそうですねと頷きつつ、詳細を語る。
「奴は見た通りの猪突猛進馬鹿ですからね。
踏み込みのタイミングに合わせて地面を底なし沼に変えてやったんですよ」
「あー……」
「沼に沈む際、別の術で酸素も奪ってやりましたから決着はすぐでした」
底なし沼に頭の天辺まで浸かったとしてもだ。
人間のように直ぐに限界を迎えてしまうほど化け物は柔ではない。
だからこそ別途で酸素も奪ったのだろうが、
(えげつねえなコイツ)
大体、そんなことが出来るのなら自分との戦いでも、もう少しやりようがあったのでは?
やはり激情は視野を狭めるのだなと威吹はしみじみ実感した。
「ちなみにそれ以降、やり合ったりは?」
「していませんね。何度か勝負を挑まれはしましたが、私からすればもう眼中になかったので」
そんな態度も火に油を注ぐ結果になったのだろう。
「それより我が君、本当に蒼覇は放置してよろしいので?」
「良い良い。面白そうな子だしね」
従える、だとか格の違いを思い知らせるなどというつもりはない。
威吹にあるのはただ楽しもうという気持ちだけだ。
「しかし……一年戦争かあ。そんなのがあったんだなあ。無音、知ってる?」
「ううん、おれも初めて聞いたよ。今年はやってないのかな? 予選の話とか全然聞かないし」
「やってない、と言うよりやる前から勝負がついていたのかと」
前年度の覇者であり生徒の中では学院一の実力者と目されているのが紅覇だ。
その紅覇をぶちのめしたと噂される者が居て、しかもそいつは殺し殺されに躊躇がない。
戦争と言っても殺し合いではなく喧嘩の範疇でやって来たのだ。
殺し合い上等の威吹と真っ向から相対する覚悟を持つ一年生など居るわけがない。
「ただまあ、他校には骨のある者も居るかもしれませんね」
「ほう……だったらまあ、期待せずに待ってようかな」
心のメモ帳に一年戦争、と書き記す。
実際に楽しめるかどうかは不明だが、
数ある遊びの一つ程度と考えておけばそう失望することもないだろう。
「さて。それじゃもうやることもないし紅覇の母さんに本貰いに行こうぜ」
「うん! その後は……あ、そうだ! 先輩も一緒に遊ぼうよ!!」
「私も? えっと、あの……我が君、私も同行してよろしいのでしょうか?」
「断る理由は別にないよ。や、紅覇に用事があるなら無理しなくて良いけど」
「ありません! 例えあったとしても即時消滅します!!」
「お、おう……」
笑顔の紅覇に思わず気圧されてしまう。
紅覇の行き過ぎた忠誠心が露になる度、威吹は思うのだ。
(……ロックが第一の子分で本当に良かったわ)
紅覇の休日はこれで終了
ちなみに報酬の本は一度に最後まで読み切って効果を発揮するタイプだったので
途中ですやぁ……してしまう無音には意味がありませんでした




