紅覇の休日③
「んちゅ……はむ……」
「あの」
恍惚とした目で手首にむしゃぶりつく年上の男(身体は女)というのは、
言葉を選ばずに言うならかなりやべー光景だなと威吹は今更ながらに痛感していた。
「れろ……んっく……!」
「おい!」
さっきから声をかけ続けているのだが中々気付いてくれない。
少し大きめに呼びかけると、ようやく気付いてくれたようで紅覇が大きく身体を震わせた。
「もうその辺で良いぞ」
「そ、そうですか……これは失礼をば」
名残惜しそうに離れていく紅覇。
そんなに自分の血は美味かったのだろうか? と威吹は首を傾げる。
「気に入ったんなら後でペットボトルか何かに詰めてやろうか?」
「い、いえ! 御気になさらず」
「そう? それじゃまあ、ちゃっちゃと済ませようか」
あまり時間をかけると体内に取り込ませた血が消化されてしまう。
しっかり繋がりが残っている内に霊的なラインを引かねば。
「我が君、私はどうすれば良いのでしょうか?」
「耐えろ。攻めは俺がやるから紅覇はひたすら耐えてくれればそれで良い。意識を手放すな」
「分かりました」
「それじゃあ、覚悟は良いか?」
「何時でもどうぞ」
「結構」
目を閉じ、意識を集中させる。
取り込ませた血液を励起させ攻め入ると、右眼もそれを待ち構えていたかのように迎撃してきた。
やはり明確な意思があるのは間違いない。
自分のものでも、紅覇のものでもない、完全に独立した意思が。
(まあ、じゃなきゃ認識を弄るような真似はしないし当然だわな)
だが何とも妙な気分である。
切り離した右眼が自己を確立するなど普通の生き物ではあり得ない。
化け物というのは本当に面白い生き物だ。
などと考えながら右眼と競り合っていたのだが、
「ん――あぁん♥」
「「!?」」
突如、艶やかな嬌声が紅覇の口から漏れ出た。
威吹と無音はギョっとして紅覇に視線をやり……言葉を失う。
「あ、あ、あ、あ」
口の端から涎を零し、焦点の合わぬ瞳で虚空を見上げるその姿は……。
何と言うか、かなりヤバイ光景だった。
具体的に言えば年齢制限がかかりそうな感じ。
「威吹、先輩は身体こそ女の子になったけどそういうのは……」
「違うよ!? 俺別にセクハラとかしてねえかんな!?」
「ッッ――も、申し訳ありません……わ、我が君ぃぃん♥」
フォローしてくれようとしているのだろう。
だが現状では逆効果である。
「か、身体の隅々を……っっくぅん……我が君の妖気が駆け巡っているからか……!」
「良い、良いから。君は耐えることに集中なさい」
そう言って威吹も再度、鬩ぎ合いに意識を注ぐ。
よくもまあ、恥をかかせてくれたな。
そんな怒りを込めて右眼の領域を少しずつ奪い取っていく。
(あー……まどろっこしいな。でもあんま力を入れ過ぎるとボン! しそうだし……)
結局、右眼を完全に制圧するのに三十分はかかってしまった。
その間、ずっと紅覇の悩ましい艶声が響き渡っていたのだから堪ったものではない。
全てを終える頃にはもう、威吹は(精神的に)疲労困憊だった。
「…………ふぅ」
そして紅覇。
こちらは何やらやけに穏やかな顔で空を見上げていた。
「ねえ先輩、大丈夫なの?」
「ん? ああ……勿論さ。酷く、清々しい気分だよ。ハッハッハ」
紅覇の妖気が膨れ上がったかと思うと突如、その姿が掻き消えた。
気配は依然としてそこにあるが、姿形はまったく見えない。
「え、え、えぇええええ!? 何これ何これ!?」
「……光の屈折か。器用だねえ」
かなり緻密な術式のはずだ。しかし、暴走の気配は皆無。
どうやら妖気の制御は完璧らしい。
「我が君のお陰です。此度のこと、何とお礼を申せば良いか……」
姿を現した紅覇が跪き、威吹に感謝の言葉を述べ始める。
だが威吹からすればこれは自分の手落ちなのだ。
感謝されるのはどうにも居心地が悪いとの旨を伝え、無理矢理頭を上げさせる。
「んん? あれー?」
突然、無音が首を傾げながら紅覇の足元をグルグルと回り始める。
「すんすん、やっぱりそうだ」
「あ、麻宮くん? その……臭いを嗅がれるのはちょっと……いや、ちゃんと風呂には入ってるけどね」
「無音、どうかしたのか?」
「先輩の匂いが変わってる」
匂い? と威吹と紅覇が首を傾げる。
「うん! ほら、昨日の夜に出て来たあの偽威吹と似たような匂いがする!!」
あ、と威吹が口元に手を当てる。
気付いてしまったのだ。
変化したのが妖気だけではないことに。
「……麻宮くん、その偽威吹とは何かな?」
能面の如き表情で問う紅覇。
まあ、彼? 彼女? 彼女で良いか――からすれば承服出来ないワードだろう。
だが威吹からすれば既に終わったこと。
「気にするな。今頃どこぞの定食屋で出されている頃だから」
「定食……?」
「ま、細かいことはどうでも良いんだ。それより紅覇……あの、その、すいません」
「は?」
妖気が変わるのは分かっていた。
だが……いや、考えてみれば当然のことだ。
「今までとは勝手が違うから気付いてないんだろうけど、ホントごめん」
そっと紅覇の肩に触れ彼女に宿った“三つの血”を励起させる。
瞬間、額に角。背中から翼。臀部のあたりから二本の尾が飛び出した。
「こ、これは……!?」
「細かい理屈は省くけど……うん、種族も変わっちゃったみたいだ」
その場のノリで行動し過ぎたと威吹も流石に反省していた。
しかし当の紅覇は、
「……わ、我が君とお揃い……? む、胸が……胸が高鳴る……!!」
威吹は思った。
コイツ、若干気持ち悪いな――と。
(うーん……)
いきなり自分の種族が変わる。
真面目に考えればアイデンティティに響きそうなものだが……。
(まあ本人が気にしてないなら別に良いか)
紆余曲折を経たが何にせよこれで雷羽の依頼は終了だ。
堕美庵に戻り本を貰ってその後は、などと考えていたら……。
「ええい! 何処だ!? ここに居るのではなかったのか!!」
森の中に見知らぬ男の声が響き渡る。
何となしに紅覇を見ると、どうやら心当たりがあるようで渋い顔をしていた。
「確かに妖気の痕跡は感じるのだが……」
地面を睨み付けながら現れたのは、蒼い髪をオールバックにしたワイルド系の男前。
姿形こそ人のそれだが間違いない、妖怪だ。それも純血の。
年齢は紅覇と同い年ぐらいで、実力も以前の紅覇よりは確実に上だ。
「…………蒼覇」
「「そうは?」」
「覇を唱える蒼と書いて蒼覇――……ちょっとした知人です」
「「ご兄弟?」」
「いえ、違います」
「「かーらーのー?」」
「……そう思う理由も分かりますが、ホント名前が似てるのと種族が鬼ってだけですから」
紅覇は小さく溜め息を吐いた。
「ああ、そこのお前たち。少し尋ねたいことがあるのだが」
「へいへい、何で御座いましょう」
蒼覇の様子を見るに紅覇の存在には気付いていないようだ。
まあ、性別変わったり妖気の質がゴッソリ変わっているので当然と言えば当然だが。
「伊吹紅覇という男を……いや、今は女の姿をしているんだったな。
伊吹紅覇という女がこの周辺に居るはずなのだが心当たりはないか?」
「心当たりも何も私ならばここに居るだろう」
呆れたように紅覇が答えると蒼覇は目を丸くした後、ハン! と大きく鼻を鳴らした。
「どうやら紅覇の知人か何かのようだな。小賢しい奴のことだ。
何の意図でかは知らんが俺が来ることを読んで影武者を立てたらしいな」
「ねえ先輩、この人思い込みが強いタイプ?」
「かなり」
などと言ってるが、紅覇も大概である。
「俺は女に手をあげることは好んでいない。
だが、隠し立てすると言うのであれば少々痛い目を見てもらうぞ」
「だから私が紅覇だと言ってるだろう。
何ならお前が私にどう敗れたかを克明に語ってみせようか?
対峙から決着まで僅か十秒。と言うのも馬鹿なお前が――――」
「! 貴様、本当に紅覇なのか!?」
「さっきからそう言ってるだろう……大体何でこんなところに居るんだお前は」
相性が悪い……いや、ある意味では良いのだろうか?
名前も似てるし、ライバルとかそういう関係なのかもしれない。
「…………貴様に会いに来たのだ」
「それは分かってる。何故会いに来たのかを話せ。休日に仲良く遊ぶような間柄ではないだろう」
「知れた事!!」
「「ぶふぉっ」」
ビシィ! と身体をくねらせながら指を突き出す蒼覇に威吹と無音は揃って噴き出した。
だが蒼覇の目に二人は映っていないらしく、視線一つ寄越しはしない。
「貴様に色々と言いたいこと! 聞きたいことがあるからだ!!」
「そうか。だったら手早く済ませてくれ」
この塩対応。
嫌っているわけではなさそうだが、蒼覇のテンションが苦手なのだろう。
「まず一つ! 貴様、狗藤威吹なる者に敗北したと言うのは本当か!?」
「本当だ!!」
フフン、と何故かドヤる紅覇。
ぷるん♪ と形の良い豊満なバストが上下に揺れた。
どうにも零號とそのオリジナルであるリタは脱いだら凄いタイプだったらしい。
軍服をカッチリ着込んでいたせいで分からなかったが、
零號の身体を乗っ取った今の紅覇は現世で購入したTシャツにスポーツとパンツとかなりラフな格好だ。
それゆえ胸やら尻やらキュッと締まったウェストがハッキリと分かってしまう。
「では狗藤威吹の下についたと言うのも!?」
「本当だ!!」
何だこのノリ。
蚊帳の外に置かれた威吹は無音と見つめ合い、無言で首を振った。
「女になったのは!?」
「見れば分かるだろう」
急激なトーンダウンであった。
「~~~~くぅ! 何故だ!?」
「何がだ」
「何故、貴様ほどの男が! 何故! 何故! 何故ぇええええええ!!」
ダン! ダン! ダン!
とやり切れない気持ちを発散するように何度も何度も地面を踏み付ける蒼覇。
その度に結構な衝撃が大地と周囲を蹂躙し、ドンドン森が破壊されていく。
「自然環境に優しくない男だなあ」
妖気の壁で無音を護りつつ、威吹は呆れたようにそう呟く。
「威吹、鏡を見たことは?」
「毎朝見てるけどそれが何か?」
まったおかしなことを聞く奴だ。
やはり知能を高める書物は必須らしいと改めて威吹はその必要性を再確認した。
「貴様はァ! 誰かの下につくような男ではないだろう!?」
「視野狭窄で狭量だった私ならばそうだろうな。だが、今の私は違う。それだけの話だ」
「一度の敗北で何もかもを投げ出すと言うのか!?」
「一度の敗北で全てを捧げるに足ると思い知ったのさ」
「恥ずかしくないのか!?」
「別に」
紅覇の素っ気無い態度が気に入らないのだろう。
蒼覇の怒りはドンドンヒートアップしていく。
「うぐぐぐ……! 悔しくないのか!?
聞けば同じ酒呑童子の血を引く異母兄弟のようなものらしいではないか!! 弟に負けたんだぞ!?
狗藤威吹には他にも大妖怪の血が流れているとはいえ所詮は阿婆擦れと老い耄れ烏のそれ!
殆ど誤差だ! 偉大なのは鬼の血だけ! むしろ純度百パーセントの貴様の方が有利とすら言える!」
何だその理論。
一体どういう理屈の下に導き出されたのか。
隣では無音があの人頭おかしいの? などと言ってるが、否定の言葉が見つからない。
「どんな理論だ。というか、親は関係ないだろう親は。
大妖怪の血を引く者が強いのではない。強い者がたまさか大妖怪の血を引いていただけ。
血に拘泥して見るべきところから目を逸らすは愚者の所業だよ」
それよりも、と紅覇が強く言葉を区切る。
その表情は真剣そのもので、一体何を言うつもりなのか。
「お前さっき何て言った? 弟? 弟って言ったよな?
我が君が? 何だそれは……どうしてか、不思議と胸が……」
くっそくだらなかった。
「遠い未来、俺と共に妖怪王の座を賭けて争う誓いを忘れたのか!?」
「いや、そんな誓いを立てた覚えはない」
紅覇はバッサリと斬り捨てると蒼覇はまたしても地団駄を踏み始めた。
「ねえ威吹、妖怪王って何? そんなのあるわけ?」
「さあ? 俺も存じ上げませんねえ」
「ああ、あれは蒼覇が勝手に言ってるだけですから」
酒呑童子、僧正坊、九尾の狐、土蜘蛛、山本五郎左衛門、神野悪五郎、大嶽丸等々。
名だたる大妖怪は数居れど西洋の悪魔などと違い日本の人外には明確な王が存在しない。
だからこそ過去を超え新時代を切り開く者として前人未到の王を目指すべきだ。
蒼覇はそのように考えているとのことだが、
「前人未到っつーか……誰もやりたがらないだけだと思うよ」
天狗ポリスが良い例だ。
八天狗が集まって結成されたのに今はどうだ?
面倒臭くなった七天狗は僧正坊に押し付けて足抜けしてしまったではないか。
「悪魔には王も含めて階級とか色々あるじゃん?
宰相だの中将だの侯爵だの色々さ。ああ言うの向いてないと思うんだよね」
妖怪、大妖怪。
ふわーっとした括り以上になるともう、駄目。
最初は面白そうだと乗り気になる者も居るかもしれない。
王らしいこともやってくれるかもしれない。
が、ずっとは続かない。途中で飽きて投げ出すのが目に見えている。
三匹しか大妖怪を知らない者が大妖怪を語るのも何だが、
威吹は自分の見立てが間違っているとは思えなかった。
「それよりさあ」
「どうした無音」
聞き返すと無音はうんざりとした口調でこう言った。
「これ、おれたち関係ないよね? 帰っちゃ駄目?」
「紅覇が可哀想だし、もうちょっと付き合ってあげよう」
キャラ紹介その③
・伊吹紅覇
母の影響で幼少期から強く酒呑童子を慕い
彼に我が子として認めてもらうため心血を注いでいた
伊吹という姓も少しでも父との繋がりを感じるため自分でつけたものである
父に認めてもらいたい。しかし、その努力の方向性はとんだ見当違い
いやそもそも努力をすること自体間違っていたのだが本人に自覚はなかった
何の成果も上がらぬまま月日だけが流れていく
大丈夫、少しずつでもゆっくり進んでいる
そう自分に言い聞かせ焦燥を抑えていたが――威吹と出会ってしまう
酒呑に何の曇りもなく我が子と認められる威吹を目にし、遂に鬱屈と焦燥が爆発
迷走の果てに威吹との戦いに臨むが散々虚仮下ろされた挙句ワンパンKO
今までの全てが無駄だったと言わんばかりの口撃も相まって心身はズタボロ
それでも威吹が口にした“割りと好き”という素直な気持ちが救いとなり
最終的には落ち着き、自らに課した呪縛から解放される
吹っ切れた後は威吹に忠誠を誓いその下僕として日々を謳歌している
ちなみに性別が変わったことについては気にも留めていない
紅覇にとっては自分を信じてくれている威吹の前で零號に無様に敗北することが
何よりもの恐怖だったので勝てたのなら女になったことなど些事でしかないのだ




