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あなたの天職は《大妖怪》です  作者: カブキマン
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紅覇の休日①

 GWが終わって一週間と少し経った頃の日曜日。

 紅覇は周囲が落ち着いたので生家のある神保町を訪れていた。


「……この店名はどうにかならないのか」


 堕美庵というアホみたいな看板がかかった古書店、ここが紅覇の実家である。

 暖簾を潜ると、噎せ返るような紙の臭いが鼻腔を満たした。


「久しぶりだな、この臭いも」


 学院入学を機に一人暮らしを始めたので、大体一年と少しか。

 家に帰らずともうるさく言われることはないので足が遠退いていた。

 しかし、やはり生まれ育った家というものは特別なのだろう。

 紅覇の顔には自然と笑みが浮かんでいた。


「……居た」


 カウンターに座り頬杖をつきながら本を捲る気だるげな女性。

 名は雷羽、紅覇の母親だ。

 紅覇は記憶と寸分も違わぬ母の姿に何とも言えない安心感を覚えていた。


「らっしゃっせー」


 視線一つ寄越さず、やる気が微塵も感じられない声。

 相も変わらず客商売を舐め切った態度だと紅覇は苦笑し、口を開く。


「我が子相手にいらっしゃいませはないだろう」

「は?」


 我が子、という言葉に反応し雷羽が視線を上げる。


「いや、うちに息子は居ても娘は……え、でも……んんん!?」

「私だよ、紅覇だよ。姿が変わってるのは――まあ、色々あってね」

「どんな色々を経れば息子が性転換して帰って来るのさ……」

「そこらも含めて話をするつもりだよ。奥に行こう、奥に」

「営業中なんだけど」

「真面目に商売したことなんてないだろ?」


 だから店に入る時、しっかり閉店の札を提げてきた、

 紅覇がそう言うと雷羽は溜め息混じりに立ち上がりのそのそ奥座敷へと向かった。


「で? 一体何があったわけ?」


 冷蔵庫から取り出したラムネ瓶を卓袱台に置き、雷羽はそう切り出した。

 紅覇は未だ自分の好物を常備してくれていることに頬を緩ませながら答える。


「狗藤威吹という名に聞き覚えは?」


 本と酒呑と息子。

 それぐらいにしかさして関心を払わないのが雷羽という女だと紅覇は知っている。

 かなり名が知れている威吹のことを知らない可能性は高いと思っていたのだが、


「そりゃまあ、一応はね」

「……意外だな」


 だが、そういうことなら話は早い。


「春休みにね、私はその狗藤威吹と出会ったんだよ。酒呑様と買い物をしている真っ最中だった」

「うえ」


 雷羽は露骨に顔を顰めた。

 以前ならば分からなかったが、今ならば分かる。


「酒呑様は狗藤威吹を自分の息子だと私に紹介した」

「あちゃー……」

「察しの通り、狂ったよ。嫉妬にね」


 少し汗をかき始めていたラムネを呷る。

 炭酸が全身に行き渡っていくような感覚がとても心地良い。


「…………私さ、正直、反省してたんだよね。

酒呑様の偉大さを語って聞かせたのは間違いだったんじゃないかって」


(母さんは、知っていたんだろうな)


 酒呑に認められたいという願いが、星に手を伸ばすようなものであったことを。

 自分の性格が鬼の正道には向かないことを。

 言えなかったのか、言わなかったのか。

 恐らくは後者だろう。

 母は自分と違い、化け物らしい化け物だから。


「でも、今のアンタは良い顔してる。それって……」

「ああ、威吹様のお陰さ」


 手下を嗾け自尊心を満たそうと思ったら片目を失ったこと。

 徒党を組んで殺そうとしたらプライドを粉砕され、一撃でのされたこと。

 化け物らしくない自分を威吹が好きだと言ってくれたこと。

 恥だと断ぜられ酒呑に殺されかけ、護ってもらったこと。


 紅覇は包み隠さず雷羽に打ち明けた。

 話を聞き終えた雷羽はわなわなと震えながら息子を指差し、こう言った。


「…………な、情けな」

「返す言葉もないよ」


 それが子供にかける言葉か、と言いたいが情けないのは事実だ。

 紅覇としても否定するつもりはない。

 それどころか、今はその情けなさすら自らと威吹を結ぶ糸であると好意的に受け止めている。


「あとチョロい! 威吹様とか呼んでるのあってあれでしょ?

好きだって言われてコロっとイっちゃったからっしょ? うわ、私の息子チョロ過ぎ」


「何とでも言え。威吹様を主と仰ぐことに私は一片の負い目もないからな」


 紅覇はフン、と鼻を鳴らし胸を張る。

 男だった時は様になっていたのだろうが今だと可愛いだけである。


「まあでも、アンタが良い顔してる理由は分かったよ。

得難い誰かと縁を結べたことは、アンタにとっては一生の財産になるだろうさ」


 大事にしな、そう微笑む雷羽は紛れもない母の顔をしていた。

 父には恵まれなかったが母には恵まれた。

 そう感じられるのも、威吹のお陰だろう。

 紅覇はますます威吹への忠誠心を高めた。


「それで、だ。何で女になった? まさか狗藤威吹に惚れて……」

「違う。いや、我が君が望むのであれば喜んで身体は捧げるがな」

「うわぁ……」


 引いている雷羽を無視し、紅覇は経緯を説明し始める。


「今言ったように我が君のお陰で心境に変化が訪れてな。

人間の強み、恐ろしさ……そういうものを学ぶべく連休を利用して現世へ向かったんだ」


「お土産は?」

「ほら」


 脇に置いていた紙袋を差し出す。

 中身は現世で買い込んだ多様な書籍である。

 京都土産や東京土産よりこちらの方が嬉しいだろうと、暇を見て買っておいたのだ。


「その際、偶然我が君も現世へ行くということであちらでは随分とお世話になった」


 何て心が優しく寛大な御方なのだろうか。

 やはり威吹は素晴らしい。命を捧げるに足る真の主だ。


「いや、そう言うの良いから本筋」


「……フン。まあ、それでだ。あちらで不敬にも我が君に襲撃をかけた者が居てな。

怪異殺しと言う我が君と同じく理外の存在になることを約束された人間の少女。

そ奴の複製と矛を交えることになったのだが……真っ当なやり方では勝てそうもなくてな」


「………………まさか、乗っ取ったのか?」


 信じられないと言った様子の雷羽。

 だがそれもむべなるかな。

 以前の紅覇を知る者であれば、まず信じられないはずだ。


「ああ、借体形成の術でな」


 元々、好んで覚えた術ではない。

 妖術そのものへの理解を深めるためにと会得しただけ。

 それが巡り巡って役に立つとは、正に万事塞翁が馬。

 紅覇はしみじみと頷く。


「信じられない……紅覇、本当に変わったわね……」

「フフフ、褒め言葉だな」

「あー、はいはい。まあ女の身体になった理由は理解したわ」


 でも、と雷羽は顔を顰める。


「その“右眼”は大丈夫なわけ?」

「…………まあ、察しの通りまだ完全に御せているわけではない」


 威吹より下賜された右眼。光栄だと思うし、歓喜と恍惚以外の感情は沸いて来ない。

 が、それはそれとしてだ。

 扱い切れていないというのも事実だった。


「肉体への拒絶反応などはないが、如何せん我が君は私とは格が違うからな」


 妖怪の魂と眼球を宿したのだ。

 零號の肉体も人外のそれへと変質している。

 なので妖気も使えるには使えるのだが、その制御が覚束ない。

 ぶっぱなす分には問題はないどころか、

 以前よりも出力は上がっているのだが繊細な術などは使えない。

 いや、使えはするが暴走気味になってしまう。


「周囲への説明も面倒だから学校には変化の術を使い化けて行こうと思っていたんだが……」


「まあ、無理よね。そんな状態じゃ。

人化の術ぐらいは簡単でしょうけど人化だけだと性別までは変えられないし」


 変化の術というのは、これで中々奥が深い。

 変化に属する人化の術は社会の移り変わりと共に最適・簡略化され、

 誰でも恒常的に使っていられるようになったが通常の変化は違う。

 化かしが本領である狐狸の類か、

 繊細且つ綿密な制御を可能とする器用な者でなければ常に使い続けるというのは難しい。

 以前の紅覇であれば学校に行っている間ぐらいは変化出来たが今は逆立ちしても不可能だ。


「まあそれはともかくだ。我が君の妖気が私を害しているわけではないから心配するな」

「ふぅん……それなら良いんだけど」

「とは言え、何時までもこのままにはしておけん」


 少しずつ少しずつ、右眼をものにしているのだが……一人ではどうしたって限界がある。

 実際に身体に覚えさせるには荒っぽい修行が必要だろうと紅覇は判断した。


「ゆえ、私は母さんに会いに来たのだ」

「え……近況報告とか久しぶりに顔が見たかったとかそういうあれじゃなかったの?」

「そういう理由もあるが本命は違う」


 紅覇の強さが中の上なら雷羽は上の下。

 大妖怪でこそないものの、その実力は中々のものだ。

 雷羽に付き合ってもらえれば有意義な修行になる。

 そう思って紅覇は実家を訪ねたのだ。


「何だかなあ……久しぶりに訪ねて来た息子の目的がそれって……」

「立ってるものは親でも使えと言う言葉を知らんのか? まったく、人間は上手いことを言うものだ」

「はいはい。良いわ、付き合ってあげる」


 よっこらせっと、雷羽が立ち上がったその時だ。


「あれ? 威吹! これ、ここ! 臨時休業だって!!」

「マジか……んー、何か良さげな雰囲気感じたんだがなあ」


 紅覇の行動は迅速だった。

 母になど目もくれず奥座敷を飛び出し、即座に店の戸を開き放った。


「申し訳ありません我が君。少々、込み入った話をしておりまして。ささ、中へどうぞ」

「うわ、すげえ早口」

「あ、紅覇先輩! 何の脈絡もなく女の子になって学院中をカオスに叩き込んだ紅覇先輩だ!!」


 二人を連れて奥座敷へと戻る。

 紅覇は即座に冷蔵庫から二本、ラムネを取り出し威吹と無音へ手渡した。

 どうしてここに居るのか。

 そんな疑問よりも歓待を優先する様は忠臣そのものである。


「え、つか何? 何で紅覇がここに居るわけ?」

「この店は私の実家でして。久しぶりに母に顔を見せに来ていたのですよ」


 威吹の視線が雷羽に向けられる。

 雷羽は値踏みするような視線を威吹に返し、


「……ああ、こりゃ駄目だわ。紅覇じゃどう足掻いても無理だったね」

「当たり前だ。と言うかだ。如何に母と言えど我が君に不躾な視線を向けるのは許さんぞ」

「やだ、この子ホントにチョロい――ってのはともかく」


 コホン、と咳払いを改めて雷羽は名乗りを上げた。


「私は雷羽。紅覇の母親をさせてもらってるわ。あなたが噂の狗藤威吹ね」

「噂がどんなものかは知らんけど……まあ、威吹です。どうも」


「流石に酒呑様が我が子と認めるだけはあるわ。あなた、色々規格外ね。

私程度じゃ推し量れはしないけど、漠然とヤバイのは分かるわ。

あなたなら酒呑様の夢をきっと叶えてあげられる――お父様の御役に立つのよ?」


 雷羽の言葉を受け威吹は、


「ハッ」


 鼻で笑い飛ばした。

 しかし、雷羽は気分を害した様子もなく苦笑を浮かべている。


「まあ未来の大妖怪だものね。例に漏れず我が強いのは分かってたわ」

「母さん」

「はいはい、分かってるわよ。ごめんなさいね、いきなり上から物を言って」

「どうか御許しを」

「いや……別に気にしてないし」

「何と寛大な」


 ふるふると身体を震わせる紅覇に三人は引いていた。


「ところで、我が君は何故ここに?」


 無音と一緒に居るのは別に良い。

 数少ない友人だから、一緒に遊んでいるとかそういうのだろう。

 だが神保町を訪れた理由が分からない。

 自宅からは遠いし特別読書好きというわけでもない。

 じゃあ何か興味を惹かれるものがここに? とも思ったが心当たりはない。


「え? ああ……暇だから帝都のあちこちを二人でブラついてたんだよ。

神保町に寄ったのは、ほらここって現実と同じ古書の街だけど現実じゃ扱ってないものがあるだろ?」


「ええまあ、魔道書の類などもよく流れて来ますね」


 堕美庵にもよくその手の本は流れて来る。

 紅覇も術の類を勉強する際、よく利用していたものだ。


「そういうオカルトな書物を探してたんだよ」

「ほう、具体的には? 当店にあるものでしたら今直ぐ、なければ取り寄せて献上致しますが」

「いや、金は払うよ。探してるのは……こう、読むと頭が良くなる系のやつ?」


 威吹の視線が無音に向けられる。

 無音はアホ面で雷羽が差し出したジャーキーを齧っていた。


「ああ、そういう……」


「人間の時と同程度とまでは言わないよ。それでも多少はマシにならないかなって。

なーんかこの店が妙に引っ掛かったから入ろうとしたんだけど……どうよ?」


 さて、そのような書物はあっただろうか?

 紅覇が記憶を辿っていると、雷羽が口を開いた。


「あるわよ」

「マジで? お幾ら? あんまり高いようならちょっと強盗(バイト)して来なきゃなんだけど」

「お願いを聞いてくれるならタダで譲ってあげても良いわ」

「母さん、そんなことを言わず……」

「紅覇、そういうのは良いから。無料で譲られる方が俺も負い目を感じるし。それでお願いって?」


 とりあえず失礼なことを抜かすようなら母をシバこう。

 そう決意する紅覇であったが、


「この子の修行に付き合ってあげてくれない?」

「しゅぎょう?」

「そ。あなたから貰った目。中々に難物みたいだね」

「母さん!!」


 威吹が手ずから授けてくれた右眼を難物呼ばわりするのは頂けない。

 使いこなせないのは自らの不足であり威吹に何ら責はないのだ。

 そう抗議する紅覇を無視し雷羽は続ける。


「才覚あれども常識の範疇にある紅覇じゃ持て余してるみたいなのよ。

だから、ねえ。責任を取るって意味でも力を貸してくれない?」


「良いよ」


 快諾だった。


「我が君!? 折角の休日を私なぞのために……」

「可愛い子分のために折る骨を厭う親分なんて居やしないよ」


 それに、と威吹は笑う。


「生まれ変わった紅覇がどの程度のものかも気になるしね」

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