白夜行③
午後一時過ぎ。
威吹は友人二人との待ち合わせ場所である喫茶店を訪れていた。
「お、威吹! こっちこっち!!」
茶髪の軽薄そうな少年が奥のテーブルから手を振っている。
彼は武田潤。昨夜連絡を取った友人の内の一人だ。
威吹は軽い足取りでテーブルまで向かい、声をかけた。
「卒業式以来だね。元気してた?」
「おう。そっちこそ、確か……フランスだっけ? どうなのよ?」
「厳しいよ、うんざりするぐらいね」
威吹は表向き、フランスの洋菓子職人養成学校に留学したことになっている。
何でパティシエなのかと言うと、
神崎曰くOracleが導き出した大妖怪の次に適正がある職業がそれだったからだ。
「スマホなんかの持ち込みも禁止されてるんだもんなあ」
「まあね」
無論、カバーストーリーである。
連絡を取れない理由を学校の厳しさゆえということにしているのだ。
とはいえ、それだけだと不自然さを完全には拭えない。
なのでカバーストーリーにプラスして何か細工をしているのだが、威吹は覚えていない。
何か神秘の技術を用いた情報操作らしいがOracleの説明と同じで専門用語が多過ぎたのだ。
「つか、お前何で帰って来れたの? こっちはGWだけど、あっちは別に違うだろ?」
「学校の改修工事とか、先生方のストとかが重なってね。二週間ぐらい宙ぶらりんになったんだよ」
「へえ……工事はともかく、ストかあ。やっぱ外国は違うねえ」
「俺も驚いたよ。ああそうそう、これ土産ね」
カリソンやゴーフルなどの洋菓子を手渡す。
ちなみにこれらを用意したのは詩乃だ。
現実の人間にお土産を渡すことを考えて事前に買っておいたらしい。
つくづく気が利く女である。
「お、悪いねえ。これ、お菓子?」
「そう。これでもパティシエ見習いが選んだものだからね、期待して良いよ」
「へへ、そりゃ楽しみだ」
実際の味は知らないが、詩乃が選んだものだ。
自分の舌より信頼度が高いので心配はしていなかった。
「ところで、亮は?」
もう約束の時間は過ぎている。
なのにもう一人の友人、山田亮の姿が見えない。
「あ、ああ……アイツは少し、遅れて来るってさ」
亮の名を出した途端、潤の視線が泳いだ。
踏み込むべきかどうか少し迷ったが、次帰って来るのは夏だ。
それまでモヤモヤを抱えるのもアホらしいと威吹は何かあったのかと問う。
「え、あー……いや……」
しどろもどろになる潤。
その瞳にはハッキリと迷いの色が見て取れた。
(亮と不和になったとかそういう感じではなさそうだけど……)
どう聞き出したものか。
「「……」」
二人の間に気まずい空気が流れる。
が、それを打ち壊すように声が響く。
「――――もう! ひどいよ威吹! 置いてくなんて!!」
瞬く間に威吹の表情が苦いものに変わる。
ゆっくりと首を動かし後ろを見ると、
「会計が済むまで待っててって言ったのに……この店、探すのにすっごく苦労したんだよ?」
腰に手を当て頬を膨らませ、いかにも怒ってますと言った風の詩乃。
直感的に理解した、これは仕返しであると。
昨日一緒に風呂に入らなかったこと。
エロい格好して部屋に行ったのに良いリアクションをしなかったこと。
その仕返しのために今、詩乃はここに居るのだ。
「……ぉ、おぉう! おいおいおい、誰だよこの子!? めっちゃ可愛いじゃんかよオイ!!」
「え、あ……いや……」
流石に母さんとは呼べない。
潤は元家族を知っているし、自分がどういう思いを抱いていたかも察しているから。
威吹が何と説明したものかと迷っていると、詩乃が怒り顔を笑顔に変え名乗りを上げる。
「はじめまして、私はシノ・ココノエです。
威吹とは同じクラスで、帰省するって言うから着いて来ちゃいました♪」
勝手に追加されていく設定。
頬を引き攣らせる威吹をよそに詩乃は当然のように、彼の隣に腰を下ろした。
「これはどうもご丁寧に。俺は武田潤って言います」
「威吹から聞いてますよ? 潤さんは明るくて優しくて自分には勿体ないぐらいの親友だって」
「マジ? いやあ、照れるなあ」
詩乃との会話で潤を話題に上げたことなど一度もない。
「ところでシノさん、その……外国の人だよね?」
「はい、イギリス人の母と日本人の父のハーフです。名前はお母さんが和名の方が良いからって」
「へえ」
「……」
呼吸をするように嘘を積み重ねていく化け狐と、
それに比例してドンドンとテンションが下がっていく威吹。
しかしそんな威吹のことなどお構いなしに二人の会話は盛り上がり続ける。
「ところでシノさん、わざわざ日本まで一緒に来るってことは……」
「やだ、そんなんじゃないです。友達です友達――今は”まだ”♥」
「キャー! おいおいおい、隅に置けねえなあ威吹さんよぉ!」
肯定しても否定しても面倒なことになる。
ならばここで選ぶのは沈黙、それ一択だ。
「しっかし……威吹、お前ホント、アレだよなあ……」
「アレって何だよ」
「どんだけ金髪碧眼が大好きなのって話。性癖が初恋に引き摺られ過ぎだろ」
「え、初恋? どういうことですか?」
「へへ、聞きたい?」
「聞きたいです!!」
よくもまあ……と呆れてしまう。
詩乃はまず間違いなく自分の初恋を知っている。
(知らなけりゃ、こんな”容姿”になるはずがないだろうに)
深く焼き付いた初恋の少女の構成要素をベースに、
成長するにつれて増えた好みなども加算しつつ最適化。
そうして出来上がったのが今の詩乃である。
直接聞いたことはないけれど、見ればそれぐらいは分かる。
他ならぬ自分の性癖なのだから。
「よっしゃ。えーっと、あれは……何歳の時だっけ? 五歳か六歳?」
「さあね」
「恥ずかしがるなって。別に良いじゃん、見た目から入る恋もありだと思うよ俺は」
ま、それはともかくだ! と笑い潤は身を乗り出す。
「威吹な、ガキの頃。深夜に目が覚めて眠れないもんだから何となくテレビをつけたんだよ」
「ふむふむ」
「したら昔の……二、三十年前の洋画がやってたらしいの。
その洋画ってのが不思議の国のアリスでな。
少年威吹はそれにグッと惹き込まれちまったわけよ
まあ惹き込まれたつってもストーリーじゃなくて主役の女の子――アリスにだけどな」
頭に大きなリボンをつけ、青いエプロンドレスを身に纏った金髪碧眼の可愛らしい女の子。
非日常的な愛らしさを持つ子役の少女に、幼い威吹は呼吸も忘れるほどに見入ってしまった。
何てことのない仕草にすらトキメキを感じ、
映画が終わってからも脳裏に焼き付いた少女の姿が消えず結局、朝まで起きていた。
(しばらくは、ホント何も手につかなかったなあ)
何をしていても視界の隅から少女の姿が離れない。
クスリと微笑む彼女に、本気で恋をしていた。
しみじみと当時を思い出し、少しだけセンチメンタルな気分になる威吹であった。
「まあ、夢中になったつっても遠い世界の人間だからさ。
初恋も小学校三年ぐらいで終わったのよ。や、それでも十分長いけどさ。
そっからは全然、色恋沙汰とかに興味を示さないのコイツ。
二回ぐらい告白されて、それも結構可愛い子なのに普通に振っちゃうし」
でも、と潤は笑う。
「まさか故郷に連れて来ちゃうぐらい親しい女友達が出来るたぁビックリだよ。
しかもその女の子は金髪碧眼の可愛い系……これもう、言い逃れ不可避だろ」
「へえ」
意味深な視線を向ける詩乃、白々しいにもほどがあった。
「ああでも、勘違いしないでね。コイツ、別に見た目だけで人選ぶほど馬鹿じゃないからさ」
「大丈夫です、それはよーく知ってますから」
「よーく知ってる……か。っとにもう、すっかり差ぁつけられちったなあ!!」
知らないというのは本当に幸せだ。
潤の目には中身も外見も完璧な少女を捕まえたように見えるのだろうが、
(そいつ、中身は猛毒なんだよなあ)
しかも、どう頭を捻っても薬にはならないタイプの猛毒である。
まあそれはそれで面白いのだが。
「……というか、そう言う潤はどうなのよ? 確か、彼女と遠距離になったんだろ?」
「え? あ、あー……うー……」
話題を変えようと振ってみたが、どうやら地雷だったらしい。
潤を数秒ほど視線を彷徨わせ、倒れ込むように机に突っ伏した。
「…………多分、もうちょっとで別れると思う」
「喧嘩でもしたの?」
「いや、そういうんじゃなくて……まー、やっぱ物理的な距離がなあ。
今はまだ表面的には何の問題もないけど、これから徐々に冷え込んでいきそうな感じ」
はあ、と大きな溜め息を吐き潤は続けた。
「関係の修復……や、まだ壊れてはないんだけど壊れるのは多分避けられんないのよね。
問題は壊れた後。関係を修復すれば以前よりも強い絆でー、とかになるんだろうけど」
「けど?」
「どうもそういうビジョンが見えない。壊れたらそこで終わりって感じがヒシヒシと」
「むう」
友人としてここで一つ、気の利いたアドバイスをしてやれれば良いのだが……。
生憎と威吹には恋愛経験がなく、どこを探しても言葉が見つからない。
どうしたものかと唸っていると――気づく。
そうだ! ここには百戦錬磨のビッチが居るではないか! と。
隣に期待を込めた視線を向ける威吹だが、
「ンフフフ」
詩乃にその気はまるでないようだ。
使えねえ奴だと思っていると、
「ごめん、待たせちゃって」
「お」
待ち人来る。
第二の親友、山田亮だ。
弾む気持ちをそのままに振り返り、
「……――」
威吹は言葉を失った。それと同時に理解する。
潤が言葉を濁していたのはそういうことだったのかと。
(……明らかに、やつれてる)
元々、線の細い男だったがそれでも健康ではあった。
だが今は違う。
頬がこけているし、肌の色艶もよろしくない。明らかに衰弱している。
なのに、目だけは以前にも増して活力に満ちているのだから不気味なこと極まりない。
「久しぶりってほどでもないけど……ああそうだ、亮、これお土産」
何でもない風を装いつつ、観察を続ける。
「僕にかい? いやあ、悪いねえ。これ、お菓子?」
「うん。潤にはもう渡したけど、パティシエ志望の俺が選んだものだからね。期待して良いよ」
「へえ……ってあれ? その子は……」
「ああ、俺の友達。それよりほら、亮も座れよ。つか潤、いい加減何か頼もう」
「お、おう! そうだな。シノさんはどうする?」
「んーっとねえ」
単なる体調不良や病ではない。
何かもっと別の――ハッキリ言うと、神秘の臭いがする。
威吹は普段は意図して閉じているチャンネルを開き、改めて亮を観た。
(…………魂)
健常な人間の魂は蒼く澄んだソフトボール大の光の玉のように見える。
だが、亮のそれは違う。
汚泥のような濁りもそうだが、あちこちが虫に食われたかのようにボロボロになっている。
(なのに、亮の目と同じで輝きは増している……)
病を得た人間や死期の近い人間であっても、普通こうはならない。
多少、色がくすみ光が頼りないものになるが、それだけだ。
魂に妙な干渉を受けているのは間違いない。
そして、そんな真似が出来るのは神秘の側に属する者だけだろう。
(でも、悪意の臭いはない)
スン、と軽く鼻を鳴らす。
チャンネルを開くことで変わったのは視覚だけではない。
それ以外の五感も人間には感じ取れぬものを感じ取れるようになっていた。
嗅覚は取り分け、感情の判別に役が立つ。
それで亮に染み付く神秘の残り香を探ってみたのだが、悪意のようなものは一切感じない。
(それどころか……)
思考の海に没頭しかけた威吹だが、
「さて、注文も済んだしそろそろ追求させてもらおうか」
真剣な表情の亮がそれを阻んだ。
「……威吹、君、そちらのお嬢さんとは一体どういう関係なんだい!?」
「まあ、そう来ると思ってたよ」
亮は草食男子みたいな風体の割に性欲が強い。
色恋沙汰にも興味津々で深夜に駄弁っていると十分に一回は彼女が欲しいと漏らすぐらいだ。
まあ、それでも行動に移す度胸はないので実質草食男子みたいなものだが。
「友達だよ、彼女とは」
「今はまだ、ね」
「余計なことを言うなよ……」
クスクスと笑う詩乃に何度目か分からない溜め息を吐く。
彼女持ちの潤はそうでもないが、亮の前でこんなことをすればどうなるのか。
一瞬の後に来るであろうリアクションに身構える威吹だが……。
「くっそぅ……この恋愛富裕層め……!」
あれ、と首を傾げる。
リアクションが思っていたものよりも小さい。具体的には想定の十分の一以下だ。
それに悔しがってはいるが、本気で悔しがっているようには見えない。
「意外だね。事実がどうあれ、亮なら泣き喚くぐらいはすると思ったんだけど」
「しないよ!」
「いいやするね。何? 高校入学を機に路線変更でもしたの?」
「ん? んー……秘密。まあ強いて言うなら、僕の女運もそう捨てたものではないってことかな」
亮はそう言って笑った。
詳しく語るつもりはないらしく、追求はのらりくらりとかわされてしまう。
そこで威吹は自分より優れた目を持つ詩乃に意見を聞くことを思いつく。
小声で話しかけようとするが、それよりも早くに彼女はこう呟いた。
「ンフフフ……面白いことになってるみたいだね」
「……なるほど、趣味のよろしくない背景があるわけだ」