「この加齢臭漂う羽根は……僧正坊様!」②
千代田区霞が関二丁目1番1号。
現実世界における警視庁と同じ場所に天狗ポリスの拠点――通称”鳥の巣”が存在する
あんまりにもあんまりな名称なそのビルの最上階、長官室に僧正坊は居た。
「――――機は熟した、そうは思わんかね?」
「ちょっと何言ってるか分かんないですね」
呆れたようにバリキャリ(死語)風の女天狗が鼻を鳴らす。
眼鏡の奥に見えるどろりと濁った瞳が死んだ魚のようでとっても素敵だ。
「いや、そろそろブッキーに会いに行こうかなーって」
「ブッキー? ああ、御孫様ですか。というかブッキーって……気持ち悪ッ」
「何? 梓くん、君、儂に怨みでもあんの?」
「単純に気持ち悪いと思ったからそう口にしただけですが何か?」
僧正坊はちょっと心が折れそうになるも、話を続ける。
「先月、儂はつい堪え切れずブッキーに会いに行こうとした」
「しましたね。気付いてもらおうと天狗っぽいコスプレまでして」
恥ずかしッ、とまたしても素直な気持ちを告げられる。
軽く目頭が熱くなってきたものの、僧正坊は話を止めない。
「が、ビッチの姦計によりそれは成らず」
「ああ、表の世界の月面に叩き込まれたそうですね」
「うむ、アイツちょっと殺意高過ぎへんか?」
「言うて死なないでしょう、長官も酔っ払いも」
つくづく理不尽だと梓は吐き捨てた。
「ま、それはさておき。ビッチの妨害で孫との初邂逅は成らなんだ。
しかし、結果的にはそれで良かったんじゃねえかと思うのよ」
「ふーん」
気のない返事にも僧正坊は挫けない。だって大妖怪だから、八天狗だから。
「考えてもみい。九尾も酒呑もぶっちゃけ屑じゃん?」
「屑という形容すら生易しいド外道だと思いますが……それで?」
「いやだからさ。もう一ヶ月経ったわけじゃん?
ブッキーも彼奴らの糞さは身に染みて理解して辟易しとると思うのよ。
でよ? そんなとこによ? ロマンスグレーな紳士の儂が登場――好感度爆上げじゃろがい」
「卑しい御方だ……ぺっ」
「唾吐いた!?」
「というか、あのヤベーの二匹はまだ分かりますが、長官は御孫様のどこを気に入られたので?」
コテンと首を傾げる梓を僧正坊は笑い飛ばした。
「”良い風”だからに決まっておろうが」
「……出ましたよ。超越者特有の感覚に起因する意味の分からない評価」
「し、失礼なやっちゃのう」
「牛若丸殿の時も似たようなこと言ってましたよね、僧正坊様。面白い風だとか何とか」
「実際その通りじゃん? びゅーん! と時代を駆け抜けて行きおったわ、あの童!!」
昔を思い出し、ほんのり胸が温かくなる僧正坊なのであった。
ちなみに悲劇的な最期も含めての評価なので、頼朝などへの恨みはまるでない。
「ま、そういうわけでそろそろ接触するべきだと思うんじゃが、どうよ?」
「好きになさってください。私は長官が御孫様に好かれようと嫌われようとどうでも良いので」
「セメントやのう。ま、それはともかく」
ドロン、と僧正坊の全身が煙に包まれる。
「会いに行く時の服はこんな感じでどうよ? 紳士感出てない?」
羽織袴に山高帽、インバネスコート。
首にはマフラーを巻き、手ににはステッキという大正浪漫溢れる紳士スタイルを見せ付ける。
「一言も喋らないなら紳士感バリバリかと」
「ねえ、孫に会いに行くのに一言も喋らないジジイって居る?」
「いやでも、他二匹をディスる資格がない程度には僧正坊様もチャランポランですし」
「いやいやいやいや! 流石にあれらと一緒には――――んん?」
最初に僧正坊が、それに少し遅れて梓も気付く。
「気圧が……」
「しかも、かなりの規模……というかこれ……」
窓際に向かい窓を開き、空を見上げる。
「「……」」
帝都上空。
より正確には新宿の上空に直系十キロメートルはありそうな巨大積乱雲が形成されていた。
「竜●巣かな?」
「確かにラピ●タがありそうな雰囲気ですけど……ってそういう冗談は置いといて」
梓の視線を受け、僧正坊がうむと頷く。
あれを生み出したのはまず間違いなく威吹だ。
会ったのは一度だけだが、その際、裡に潜む妖気を感じたことがあるので間違いない。
「見たところ力が内側に向いているので地上に被害はなさそうですが……」
一応、天狗ポリスは警察機構なのだ。
あんなものを放置しておくわけにはいかない。
しかし、通常天狗どもにあれをどうにかするのは難しい。
あの積乱雲は天狗の力を用いて形成されたものだが、格が違い過ぎる。
僧正坊や八天狗であればチョチョイのジョイとやってのけるだろうが……。
「穴開けるだけならともかく安全に解体するなら幹部クラスでも最低十人は動員しないと」
「つまり、儂に動けと言いたいわけですね、分かります」
「ならさっさと行ってくださいよ」
「儂、長官なんだけどなあ……ま、ええわええわ。どの道、会いに行くつもりだったしぃ?」
やんちゃなことをしている孫を叱り付け、
その後で優しさを見せることで好感度を上げよう。
僧正坊はキリリと表情を引き締め窓から飛び出した。
「……また卑しいことを考えてますね」
「あれ? 梓くんも来るの?」
「そりゃまあ、逮捕はしませんが事情だけは聞いて調書まとめておきたいんで――護れよ」
「上司に向かって何たる不遜……まあ、良いけど」
梓の速度に合わせたとは言え積乱雲まで辿り着くのにかかった時間は三分ほど。
眼前に聳える気圧の要塞を前にし、僧正坊はふむと顎をしゃくりあげる。
「目と鼻の先までやって来たのに外界にはまるで影響なしかあ……やるやん」
「これ、もう御孫様は羽団扇を形成出来ているのでは?」
「こんだけ緻密な制御出来てるし、そりゃなあ」
天狗が描かれた絵巻物を見れば羽を束ねて作った団扇を手にしていることが多い。
伝承によると多種多様な神通力を自由自在に操れる器物で、
自らや眷属に羽を献上させて作ると言われているが……製造法については少し、違う。
羽団扇はその天狗が持つ神通力の結晶。
自らの力を体外に排出し、形成すことで羽団扇となるのだ。
これが出来るようになれば天狗としては一人前。
わざわざ器物にする意味はあるのか? と思うかもしれないが当然、ある。
羽団扇の状態で力を振るう方がより繊細に力を操ることが出来るのだ。
「というか長官、さっさとこれ消してくださいよ」
「んー……」
「長官?」
「いや、消せって言うなら消しても良いけどさあ」
自分ならばチョチョイのジョイで安全に積乱雲を霧散させられる。
僧正坊もそれは分かっているのだが、
「何か中に色々囚われとるようなんじゃが?」
「はい?」
「天狗……つっても、うちに所属してる奴じゃないな。野良のヤンキー天狗や以津真天。
伽楼羅、グリフォン、ハーピー、鴆、ヒポグリフ、ペリュトン……色々おるみたいよ?」
微かに漏れ出す妖気からでも結構な数の空をフィールドとする化け物の存在を感じる。
この積乱雲を解除すればそれらが一斉に解き放たれるのだが、梓的にはOKなのか?
僧正坊の問いに梓はそう言えばと難しい顔をする。
「ちょっと前に帝都の空でアホどもが暴れまわってると報告を聞いたような……」
「ああ、じゃあそれを閉じ込めてんのかね? いやでも何で?」
威吹の実力を考えれば余裕で全員皆殺しに出来たはずだ。
何故、こんなまどろっこしい真似をしているのかと首を傾げる僧正坊。
「や、中に入れば良いだけの話よな。行こうか、梓くん」
「あ、ちょっと待ってください!」
小さなトンネルを開き平然と中に入っていく僧正坊を追い、梓も積乱雲の内部へ。
「おや?」
内部に侵入した僧正坊は、予想と違う光景に少し驚く。
中は地獄のような乱気流が渦巻いていると思っていたのだが……温い。
というか、絶妙に手心を感じる。
「……私は割りとキツイんですが」
「ああうん、梓くんは幹部つっても事務方だしね」
と、その時である。
気流に乗って複数の光る何かが二人の下に飛来した。
「ほいよっと」
僧正坊はステッキを振るい、それらを弾き飛ばし。
顔に向かって来た一つを指で挟み込み確保。
「尖った鉄……ですか?」
「ふむ」
フッ、と僧正坊が尖った鉄に息を吹きかけるとそれは一瞬で金糸――いや、金毛に変わった。
どうやら引き抜いた尻尾の毛を変化させていたらしい。
よくよく観察すれば乱気流の中には他にも同じようなものが紛れている。
「んー……あー……ひょっとして……」
「長官?」
「何か、大体読めて来た気がするわ」
「と言いますと?」
「いや多分だけどさ、この中に居る雑魚どもはブッキーを怒らせたんだと思うのよ」
直接、喧嘩を売ったとは考え難い。
流石に力の差ぐらいは分かるはずだ。
恐らくは意図せず抗争に巻き込んでしまったとかそんな感じだろう。
「殺すほどではないがムカついたんだろうなあ。
それで積乱雲の檻を作り出してその中に雑魚どもをボッシュート」
気流に乗って今度は人間の頭ほどの石が飛来した。
受け止めるとそれはまたしても一本の金毛に戻った。
「この石とか尖った鉄もなあ。殺すにしては物足りないし……イジメるためのものじゃねえかな」
雑魚でも一発、二発当たったところで死にはしない。
直ちに死ぬような怪我は負わない、でも痛い。
だが、一度に大量に受けてしまえばヤバイ。
「儂は平気だけど雑魚だとこの気流の中を飛ぶのも一苦労だろ」
乱気流に飲まれたら雑魚はヤバイ。
だからこそ、必死で飛び続けなければいけない。
そんな中、石やら尖った鉄やらが飛来するのは結構な恐怖ではなかろうか。
「仕返しの規模が大き過ぎて草も生えないんですが」
「いやでもほら、配慮はしてるみたいだし」
力が外に漏れ出していないのは無関係の人や化け物を巻き込まないためだろう。
内部の力が外に漏れ出ることがないのなら、
空にちょっとデカイ雲がある程度で迷惑がかかることはない……多分。
「そう言いましても、天狗ポリスとしては放置出来ませんよ」
何とかしろやおめー、という目を向けてくる部下。
昔はこんなじゃなかったのになあと思いつつ僧正坊はうん、と頷く。
「儂も人格者ムーブするという予定に変更はないし、ちゃんとどうにかするよ」
「徹頭徹尾私情じゃないですか」
「ええやん、可愛い孫にデレデレして何が悪いねん」
さっさと行くぞと梓を促し、僧正坊は乱気流の中を進む。
途中、嵐に翻弄される雑魚どもとすれ違ったが当然の如くスルー。
中には、
「そ、僧正坊様! お、御助け! 御助けくださいましぃいいいいいいいい!!!」
などと言ってくるチンピラ天狗が居たものの、
「梓さんや、昼飯はまだかのう」
「嫌ですよお爺さん。百年前に食べたばかりじゃないですか」
ボケ老人ムーブで華麗にスルーした。
配下ならともかく、野良天狗の面倒まで見てやる義理はないからだ。
そうして威吹が居るであろう中心部に向けて進んでいると、突如声が響き渡った。
《《フハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!》》
「長官、この声は……」
「ブッキーじゃん。めっちゃ楽しそう」
僧正坊が言うように哄笑を上げる威吹は酷く楽しげだ。
《《どうしたどうしたぁ!? アンタら皆、マゾばっかか!?
俺のところまで辿り着けば、この風は消してやるって言ってるのにさあ!!
何でどいつもこいつもキャッキャと羽虫の如く飛び回ってるわけぇ!?
テーマパーク? テーマパークか何かと勘違いしてるのお客様ァ!!》》
「ん? あれ? 長官、これひょっとして御孫様……」
梓が首を傾げる。
中央に近付いている自分たちの存在に威吹が気付いていないのを理解したからだろう。
「うむ、隠形を施しとるよ。だって、いきなり現れた方が実力者っぽいもん」
「セッコイ演出……」
「どうして梓くんは酷いことを言うの?」
敬老精神が足りなさ過ぎる。
老人を敬うという当たり前の良識を一体どこに置いてきてしまったのか。
「いや、妖怪ですし私」
「ええやん、妖怪でも敬老精神発露してええやん」
「戯言はさておき」
「戯言て……」
「これ、中央まで近付けば消えるとのことですが……無理じゃないですか?」
中央に近付けば近付くほど風は強く複雑になるし雨や雷までも追加される。
内部に居る化け物でこれを突破出来るのは僧正坊だけでは?
梓の疑問は尤もだが、彼女は一つだけ見落としていることがある。
「いけるよ」
「いや、無理でしょう」
「いけるって」
そう、
「――――ちゃんと協力すればな」
「…………化け物に協調性を求めますか」
そんな無茶なと呆れる梓に僧正坊も同意を示す。
緻密な連携をすれば十分、勝ちの目は見えるが手を組むという時点でハードルが高過ぎる。
同じ種族ならばまだしも、違う種族なら更にハードルは上がる。
「これ、ようは俺の気が済むまで甚振られろってことですよね?」
「うんまあ、そうね」
「困りましたね……本格的に関わるのが嫌になってきましたよ」
「まあそう言わずとも、ほれ、そろそろ」
分厚い風の壁を薙ぎ払うと、そこには身の丈ほどもある大団扇を手にした威吹の姿が。
いよいよ、祖父と孫の対面である。