夜遊び①
「――――悪い遊びの時間だぜ」
草木も眠る丑三つ刻。
いきなり部屋の中にエントリーして来た酔っ払い。
威吹の返答は既に定まっていた。
「カエレ」
ゴロンと背を向け目を瞑る。
「おいおいおい、父ちゃん相手に冷てえじゃねえかよぅ」
「うるせえよ、今何時だと思ってんだアンタ」
午前二時、良い子はとっくに寝てる時間だ。
というか威吹はついさっきまで寝てた。
「いや、俺らにとっては今からが本番じゃん」
「…………言われてみればそうだな」
むしろ妖怪が夜にはしゃがなくて何時はしゃぐんだって話だ。
威吹はうんうんと頷き、再び目を閉じた。
「オイ」
「いやだって……今、俺人間だし……」
それにそう、布団から出たくないのだ。
何故だか無性に落ち着く。
何故だか無性にムラムラす――――ハッと威吹は我に返る。
「……」
鬼と天狗の血を抑え、妖狐の血のみを励起させる。
邪魔臭い尻尾がケツから飛び出すが、今はそれどころではない。
じっ、と目を凝らす。惑いの霧の向こうにある真実を見つけるために。
「あん♪」
詩乃が居た。
自身の腕の中に、詩乃(E:えげつない下着)が居た。
「…………おい威吹、お前、よく気付いたな」
酒呑童子が驚きに目を見開いている。
どうやら気付いていなかったらしい。
「いや、気付けたのは俺も殆ど偶然……もしかしたらって思ったんだが……」
恐らくは酒呑童子が部屋にエントリーして来たことで、乱れたのだ。
詩乃の操る幻を構成する何かが。
だからこそ自身の思考に違和感を抱くことが出来たのだ。
「………………何時からだ」
「えっとぉ、入学式があった日の夜からだね」
つまりはもう、一週間はこの状態だったわけだ。
冷静になった頭で振り返ると、堰を切ったように違和感が溢れ出す。
「ねえ、何でこんなことしたか分かる?」
「抵抗を、削ってる……?」
これまで何度か直接、寝床に入って来たことはある。
滑らかで穢したくなるような肌が己の身体に張り付く度、
狂おしいまでに劣情をかきたてられたものだ。
だが、その強過ぎる刺激が逆に正気を保たせてくれた。
このまま進むとやべえぞと瀬戸際で引き止めてくれたのだ。
――――それゆえの絡め手。
無意識下で肌を触れ合わせることで抵抗力を削ぐつもりなのだ。
初期は自身の存在を悟らせぬよう認識を狂わせ、徐々に徐々にハードルを下げていく。
詩乃との添い寝が常態化してしまえば……恐らくはもう手遅れだ。
そこからはもう、転げ落ちるように行き着くところまで行き着いてしまうだろう。
「ンフフフ、正解。賢い子にはご褒美をあげ……!?」
「うおわ!?」
至近距離で見詰め合っていた二人の間に足が振り下ろされる。
咄嗟に回避したが代わりに布団がおじゃんになり床に穴まで開いてしまった。
「人の息子にいかがわしいことしてんじゃねえ……!!」
「いや、私の息子なんですけど?」
睨み合う二人を見て威吹は改めて思った。
何というか、糞面倒な関係性だなと。
「…………あのさ、そういうのは外でやってくんない?」
正直、もう目は冴えてしまった。
しかし、明日――いや、日付が変わってしまったので今日か。今日も学校なのだ。
暇人どもに関わっている暇があれば目だけでも閉じて横になる方がよっぽど建設的である。
威吹がそう抗議すると、
「じゃあ、お母さんの部屋に行こっか。ここはこんなになっちゃったし」
「黙れ子宮脳。それより威吹、そりゃねえだろ。折角父ちゃんが誘いに来たってのによぉ」
「……」
我を通すのならば、だ。
出来るかどうかはともかく力を解放して二人を殴り飛ばすのが正解だろう。
しかし、やる気が出ない。
化け物にとってはやる気が一番大事な燃料なのだ。
それがないとなれば……。
「分かった、分かった。付き合うよ。何処にでも連れてってくれ」
「っとに、素直じゃねえんだから」
「ねえ待って。威吹は何でコイツにだけ甘いの? お母さん泣いちゃうよ?」
「……母さんも、また今度可能な範囲でワガママ聞いてあげるから」
「ホント? 約束だよ?」
はいはいと頷きつつ、酒呑童子を見上げる。
「で、何処に連れてってくれるわけ?」
「ククク……それはまあ、着いてからのお楽しみだ」
開け放たれた窓から飛び出す酒呑童子を追い、威吹も夜の闇へと躍り出る。
空の飛び方も自然と理解していたので落下という間抜けを晒すことはなかった。
(…………初めて空を飛んだけど、あんまり感動はないな)
鳥のように空を。
道具に頼らず自由に空を泳ぐのは割と普遍的な人の夢だと思う。
実際、自分も空を縦横無尽に駆ける妄想を幾度か抱いたことがある。
なのに何の感慨も沸かないのは人ではなくなったからか。
僅かばかりの寂寥を覚える威吹だったが隣に来た詩乃を見て目を丸くする。
「あれ? 母さんも来るの?」
「そりゃね。息子の教育に悪そうなら連れて帰らなきゃだし」
「それ、アンタが言うかね」
「この女狐ほどガキの教育に悪い女はいねえよな」
「それな」
夜の匂いを鼻いっぱいに感じながら空と大地の狭間を泳ぐ、
と言えば中々に風情があるように思うがどうにもこうにも暗い。
空は分厚い雲に覆われ月光も星明りも微かに漏れ出すだけだし、
地上もモデルとした時代が時代だからか街灯や営みの光も皆無。
ハッキリ言ってしまえば陰気臭い。
(ああでも……)
化け物が闊歩する空としてはこれが一番なのかもしれない。
目を閉じ、思い浮かべる百鬼夜行。
おどろおどろしい夜には化け物の姿がよく栄える。
そう考えるとこの陰気な夜空も悪くはなかった。
「ンフフフ、現実世界の夜空とはまた違った風情があるでしょ?」
考えていることが顔に出ていたのか、と少し恥ずかしくなりつつも頷く。
「ただまあ、俺らから言わせれば都市部の夜は中途半端というか……温いんだよ」
「それはしょうがないでしょ。帝都は特に人間が多いわけだし」
「多いからこそドギツイ陰気が漂う夜を見せてやるべきだと思うがな」
「それやると結構な数、逃げ出しちゃうんじゃない?」
「その程度で怖気づくなら逃げ出した方が幸せだろ」
自分そっちのけで議論を始めた大妖怪二匹を見てふと思った。
この二人は人間に対してどういうスタンスを取っているのか。
過去の所業を鑑みればロクでもないように思えるが、今の会話からは好意が滲んでいる。
やはり長く生きていれば感じ方も変わるのだろうか?
気になった威吹がそこら辺について言及してみると、
「人間? 好きだぜ、普通に。
や、昔は弱いし脆いし意味も意義も見出せなかったんだがな。
うん、これでもかってぐらい、見下してたな。良い声で鳴く玩具程度にしか思ってなかった」
けど、と酒呑童子は続ける。
「そりゃ勘違いだ、うん。見方を間違ってたんだな、これが」
「見方?」
「木を見て森を見ず。人間を正しく認識しようと思ったら個じゃなく全で見るべきだったのさ。
森が見えた時、俺は感動したね。人間ってのは何て純粋で真面目でイカレタ生き物なんだってよ」
純粋? 真面目? イカレタ?
酒呑童子の口から出た人間を評する言葉に目を丸くする。
「人間が人間を殺すならよ、殴るだけでも事足りる。
何ならそこらの石ころを拾って投げ付けるだけでも殺すことは可能だ。
それぐらい弱くて脆い生き物なんだ。なのに、なのにだぜ? 人間は先を求めた。
ちょっと頑丈な木の棒一本でも十分なのに、それ以上を求めたんだ」
少しでも安全に殺すために何が必要なのか。
少しでも確実に殺すために何が必要なのか。
少しでも早く殺すために何が必要なのか。
少しでも多く殺すために何が必要なのか。
真面目に殺しというものに向き合い、突き詰めていった。
「純粋だねえ、真面目だねえ。
それが極まって自らの惑星を焼く炎さえ生み出すんだからホント、イカレてるよ」
悪口のように聞こえるかもしれない。
だがこれは賛辞だ。酒呑童子の表情を見てもそれは明らかだろう。
「俺と人間、どっちが危険かって言われたらよ。
個で見れば俺の方が危険かもしれねえが、人間という種族と比べたら何てこたぁねえ。
俺ァ奪うし殺すし犯しはするが”それだけ”だ。人間の危うさに比べたら小物も良いとこだぜ」
「小物……ってのはへりくだり過ぎな気もするが」
「そうでもないさ。少なくとも、俺はそれだけ人間を買ってる」
嘘偽りのない真っ直ぐな言葉。
酒呑童子は本当に人間を好意的に捉えているのだろう。
まあ、その理由については何とも言えないが。
「後はまあ、武器以外でも人間が生み出すもんはすげえと思うぜ。
特に酒造な。蘇った時、驚いたわ。え、何これ? こんな洗練されてんの? ってな」
「成るほど、よく分かったよ」
頷き、今度は詩乃を見る。
詩乃はニコリと笑ってハッキリと言い切った。
「好きだよ、人間は」
「……玩具的な意味で?」
酒呑童子はさておき、詩乃は九尾の狐だ。
蟇盆や炮烙などの過去の所業を鑑みるに純粋な好意は期待出来ない。
威吹の内心を悟ったのだろう、詩乃はぷくぅと頬を膨らませ抗議した。
「失敬な。ちょっと好意の示し方が不器用なだけだよ。
ほら、あれだよあれ。好きな子には意地悪しちゃう小学生男子のもどかしさ的な?」
「小学生に謝れ」
子供特有の甘酸っぱい情動と、ドス黒くて反吐が出る屑のそれを一緒にしてはいけない。
「まあでも真面目な話、私は終始一貫して人間好きだよ」
「どういうところが?」
「んー、そうだねえ」
唇に指を当て首を傾げる詩乃。
やがて、探している言葉が見つかったらしく、理由を口にする。
「人間ってさ、私たちとは比べ物にならないくらい”色鮮やか”なんだよね」
「色鮮やか?」
「可能性に満ち溢れていると言い換えても良いかな」
酒呑童子と同じだ。
化け物が口にするには似合わない陽性の表現にまたしても威吹は目を丸くする。
「芸術――特に絵画なんか分かり易いかな?
片や魂の根源に訴え掛ける泣きたくなるような美が凝縮された一枚。
片や吐き気を催すほどに醜を煮詰めた地獄のような一枚。
どちらか片方だけならばまだ理解は出来る。
けれど、美と善を描いたその筆で醜と悪を描いて見せるのが人間」
複雑極まる怪奇な心模様。
それが生み出す様々な可能性にこそ人の美しさがある。
そう断言した詩乃に威吹は問う。
「人の心を操るなんてお手のものだろ? 掌中に収まるものをそこまで評価するのか?」
「確かに私にはその手の心得があるよ。
舌先三寸で人生を掻き乱して思うがままに踊らせた経験だって百や二百じゃない。
でも、忘れてない? 大陸でも天竺でも日ノ本でも私は人間に敗れてるんだよ?
増長慢心は化け物の常なれど、それを加味しても尚、私を追い詰めた人間を称賛すべきだね」
天にも斉しい大聖者と自らを称し、
それに相応しいだけの力を備えた魔猿ですら釈迦の掌を脱することは出来なかった。
「何千何万何億と繰り返しても結果は変わらないだろうね。でも人間は違う。
魔猿とは比べることさえおこがましい塵芥なれど、
那由他の果てに釈迦の掌に風穴を穿つ可能性を持つのもまた人間」
面白いよね、と詩乃が笑う。
「……」
「んお、どうしたよ威吹」
「いや、酒呑もそうだが結構な歳なのに二人とも柔軟な考え方してるなって」
「化け物の場合は長生きするほど、だと思うよ?」
「終わりがないからな。硬直化し難いんだ。まあその分、変化も緩やかだがな」
と、そこで急に酒呑童子がピタリと止まる。
目的地に着いたのかと思ったらそうではないらしい。
「どうしたよ?」
「ああいや、ほら」
顎である方角を差される。
はてと首を傾げつつその先を追ってみると……。
「鬼の集団?」
片腕のない白髪の鬼を中心に十数匹の鬼が集まってどこかを目指しているようだ。
まあ、それ自体は構わない。
酒呑童子が言っていたように化け物にとっては夜が本番なのだから。
問題は、
「…………何でアイツら野球のユニ着てんの?」
よくよく見ればバットやグローブ、ボールも持っている。
頬を引き攣らせる威吹に酒呑童子は呆れ顔でこう告げた。
「野球するために決まってんじゃん」
「いや、それは分かるけど……」
「妖怪だって草野球ぐらいはするぜ。偏見はよしてくんな」
するかもしれないけど……こう、イメージ的に……。
威吹は何とも言えない表情をしている。
「鬼みたいだけど酒呑の知り合い?」
「知り合いっつーか子分だな子分。ほれ、先頭に居るのが茨木童子だ。チームではキャプテンやってる」
「茨木キャプテンやってんの!?」
「ちなみに俺はエースで四番」
「アンタもやってんのかよ」
「つか、しくったな。そうか、今日だったのか」
はて、と首を傾げていると酒呑童子はポリポリと頬をかきながら説明してくれた。
「今日は大江山タイガースのライバルチームである八州連合邪美兎との伝統の一戦なんだわ」
「え、伝統とか言われるぐらい長くやってんの? つーか虎かよ、そこは鬼じゃないのか」
「虎は虎で俺らに縁深いから良いんだよ。
それよりも、参ったな……四天王も殺されちまってまだ復活してねえし茨木一人じゃ無理だろ」
威吹はちらりと詩乃を見た。
殺人犯は笑顔で手を振っていた。
「あー……酒呑、忙しいんならまた今度でも良いよ」
「いや、俺から連れ出した以上、そうはいかねえ」
善意三割、打算七割の提案は即行で却下された。
「ま、邪美兎に関しては後日、殴り込みかければ良いだろ」
「野球しろよ!!」
「いや、妖怪草野球は暴力も込みなんだって」
シーズンが終わった時、生き残りが一番多いチームが優勝である。