番外編 そんな九尾に絡まれて
「お、これも新刊出てたか。買わないとな」
「これで五冊目……まだ買うの?」
「そりゃね。GWに帰省した時は、色々あって満足に買い物出来なかったし」
ハデス訪問の翌日、威吹は詩乃と二人で街に繰り出し買い物をしていた。
別にデートというわけではない。
威吹は一人で行くつもりだったのだが、詩乃が自分もと着いて来たのだ。
「やっぱ週刊誌は単行本出るの早いな」
三月に現世を発って今は八月。
それだけの時間が空いていれば当然と言えば当然なのだが、
「……何か世の中に置いてかれてる気分」
あ、この漫画も新刊出てると六冊目を手に取る。
「んー、それなら私が手配しよっか? 漫画ぐらいなら手間でもないし」
「いや良い。帰って来た時の楽しみにもなるしね」
好きは好きだが元々、そこまで熱心に集めていたわけでもないのだ。
精々、気が向いた時にふらっと本屋に寄って出てたら買う程度である。
それぐらいなら長期休暇で現世を訪れる際に買うぐらいでも十分だろう。
「あ、そうだ。あれも買っとくか。いやでも普通の本屋にあるかな?」
「? エッチな本?」
「ちげーよ」
性欲がないわけではないが発散は容易だ。
自慰行為をせずとも性欲を別のものに転化させたり消滅させる術は幾らでもある。
というか、本気でその手の欲求を満たしたいなら詩乃に頼むのが一番だろう。
以前ならいざ知らず、今は実力的にも色香でおかしくなるようなこともないし関係性も変わったので心理的な抵抗もない。
と言っても今のところ威吹はそっち方面で詩乃を頼る気はさらさらないのだが。
「ちょっとTRPGのルールブックをね」
「何でまたそんなものを……威吹、そんな趣味あったっけ?」
「いや、少し前に開拓したんだよ」
西に戦争を仕掛ける前日――いや、日付が変わっていたので当日か。
メガフロート上で鬼灯らと遊んでTRPGの楽しさに目覚めたのだ。
「あー……そう言えばあの子、TRPGカフェ開いたって言ってたような……?」
「日参するほどでもないけど、気が向いたら遊びに行くつもりでね。となると最低限の準備はしなきゃじゃん?」
貸し出しサービスもやっているらしいが、金に困っているわけではないのだ。
自前のものを用意しておくのは悪いことではないだろう。
「ふぅん。それなら私も買おっかなぁ」
「ロールプレイガチ勢の母さんが一緒なら盛り上がるだろうねえ」
こないだので知り合った狸連中も呼んで妖狐VS化け狸でロールプレイ合戦するとか面白そうだ。
などと考えつつレジに向かい会計を済ませ、書店を後にする。
「……あっついなあ」
「だねえ。ところで、次はどこに?」
「んー、買い物はもう良いかな。とりあえずファミレスでも入って買った本でも読もうかなって」
「それならその前に私の買い物に付き合ってくれない?」
「ああうん。別に良いけど母さんの買い物って……」
と、その時である。
「――――威吹?」
どこかで聞いたような気がする男の声で名を呼ばれた。
誰だっけと思いつつ振り返る。
「やっぱり威吹、だよな?」
怜悧な印象を受ける眼鏡の中年男性。
その姿を見て、忘却の底に沈みかけていた記憶が蘇る――狗藤風吹、元父親だ。
「あー……うん。久しぶりだね」
無音に昔語りをした際、軽くだがその存在にも触れていたので記憶には新しい。
だが、直ぐにそうとは気付けなかったのは表情のせいだろう。
記憶にある風吹は人前でなければ常に能面のような顔をしていた。
だから目の前に居る生の感情を露にしている風吹と繋がらなかったのだ。
「ああ……その、何だ。元気で、やっているのか?」
意外な言葉に目を丸くする。
建前でならそんな言葉もかけはするだろうが、これは正真正銘の本音だ。
その言葉と表情に込められた感情は――……罪悪感?
ますます意味が分からない。
風吹はこんな人間味のある男ではなかっただろうに。
威吹の目は完全に珍獣を見た時のそれだった。
「まあね。そっちは……何て言うか、宗旨替えでもしたのかい?」
「っ」
痛みを堪えるかのような表情をしたかと思うと風吹は俯いてしまった。
まさかまさかの展開だ。
何をどうすればあれがこうなるのか。
「……」
縋るような、悔やむような。
様々な負い目が風吹から感じられる。
風吹が対話を望んでいるのだが、それを言い出す資格はない。
大方、そんなところだろう。
まあ実際、付き合う義理はない。ないのだが、ここまでの変貌を見せられたら好奇心がそそられる。
「時間ある?」
「! あ、ああ……大丈夫だ」
「なら、ファミレスでも入ろっか。ツレが居るけど気にしないで良いから」
「ええ。私のことは空気か何かだとでも思ってくださいな」
「そ、そうか。……いや、分かった。少し待ってくれ」
そう言って携帯を取り出すと風吹は手短に連絡を済ませ電源を切った。
社会人としてどうなのよと思わなくもないが、相応の立場にある人間だ。これぐらいの融通は利くのだろう。
(さてはて、一体何があったんだか。いや……ひょっとしたら……)
考えを巡らせつつ、近場のファミレスに入店し、まずは注文。
そして注文の品が全員に行き渡ったところで認識阻害の結界を張り、切り出す。
「それで風吹さん。奥さんとはその後、どうなんだい? 別れたの?」
威吹としては軽いジャブのつもりだったが、風吹にはかなり効いたらしい。
顔を歪めながら、頷いた。
離婚云々より息子が自分を“風吹さん”、母親を“奥さん”などと言ったのがショックだったのだろう。
「ふむ。煩わしいものから解放されて良かったって顔じゃあなさそうだね」
「……」
「ああ。別に責めてるわけじゃないんだよ? もう終わったことだしね」
今更、過去を穿り返して愚痴愚痴言うつもりはない。
既にどうとも思っていないのだから。
威吹がそう告げると風吹はますます消沈してしまう。
「…………私にこんなことを言う資格はない。それは分かってはいるんだ」
「いや良いよ? 好きに仰ってくださいな。あんたがそんな風になった理由が気になって誘いをかけたわけだし」
その言葉を受け、風吹は搾り出すようにこう告げた。
「…………あの日から。私と威吹が親子でなくなったあの日から、ずっと後悔していた」
「失って初めて分かった――とかではなさそうだ。良いよ、続けて」
昔は顔を見るのすら厭わしかった。
だから気付けなかったのだろう。
狗藤風吹という人間はどうにも、かなり根の深い問題を抱えているようだ。
「私の父親と母親……威吹からすれば祖父母だな。あの人たちのことは覚えているかい?」
「そりゃまあ。こないだも村があった場所に行って来たしね」
「…………あの村で過ごしたひと夏は威吹にとっては良い思い出だったか?」
「そうだね。何もかもが輝いていた、とは言えないけど……掛け替えのない出会いもあったし総合的には良い思い出かな」
「……」
「ああ、俺に気を遣わなくて良いよ? 俺の思い出は全部、あの村で出会った友達とのことだから」
だがまあ、この様子から察するに“無関係”ではないのだろう。
風吹自身がそれを知っているかどうかは怪しいが。
「そう、か。なら……うん。聞いてもらおうかな」
頼んだコーヒーを軽く呷り、風吹は語り始める。
「私はあの村が嫌いだった。何なら、父母も含めて皆、死んでしまえば良いとすら思っていた」
「へえ、それはそれは。理由を聞いても?」
「……信じてもらえるかどうかは分からないが……」
「そういう前置きは要らないよ」
「……分かった。なら単刀直入に言おう――――あの村は“人殺し”の村だったんだ」
やはり因習絡みの話らしい。
「子供の頃の私は感情を表に出すのが苦手な……言葉を飾らずに言うなら無愛想で可愛げのないガキだった。
だから友達も殆ど居なくてね。まあ当然だ。私自身も、私のような子供と友達になりたいとは思わないし。
だが、一人だけ。たった一人だけ友人が居た。空色の髪と空色の瞳をした同い年の男の子だ」
空色の髪と瞳――生贄になる子供に表れる特徴だ。
この段で、威吹は大体の流れを察したが何も言わなかった。
「大切な……本当に大切な友人だった」
「過去形なんだね」
「彼はね、十歳の誕生日に死んでしまったんだ」
「死因は?」
「表向きは事故ということになっているが……違った。彼は、村の連中に殺されたんだ……!!」
嫌悪感を隠すこともなく風吹は吐き捨てた。
「殺された?」
「ああ……! それを知った細かい経緯は省くが……偶然、聞いてしまったんだよ」
少年風吹は知ってしまったのだ。
あの村で脈々と受け継がれ続けて来た血の因習を。
そして見てしまった。
「彼の死を喜ぶ大人たちの顔が……今でも忘れられない……。
父母もそうだ。笑っていたよ。これでまた繁栄は続くと。
吐き気がした。私を愛し育んでくれていたはずの父母の顔が今も脳裏に焼き付いて離れない」
口元を押さえる風吹の顔色は蒼白を通り越して最早土気色。
よほど、トラウマなのだろう。
「警察には言わなかったの?」
「……少し考えれば分かることだ。あれは言っても握り潰されるのがオチだよ」
聡明な子供だったのだろう。
長年、こんなことが続いて来た。いや続けられた意味を常識的な範囲で察してしまった。
だから風吹は口を噤んだのだ。
(まあ、その判断は正しい)
真相は正真正銘のオカルトだ。
あの村の仕組みを考えるに露呈させようとしていれば勘付かれて殺されていたはずだ。
そう考えると風吹は運が良い。
(そしてその運の良さで俺が生まれたと思うと……面白いな)
だがそれはそれとしてだ。
生まれる前からあの村との因縁があったなど思いもしなかったと威吹は苦笑する。
「その日から、こうはなるまいと心に決めて村を出るまで耐え忍んだ。
村を出たら何もかも忘れて、立派な大人になろうと。アイツらのようにはなるまいと誓って……」
ふと、嫌な予感がして威吹は隣に視線をやる。
「――――ンフ♪」
詩乃が実に“イイ”顔をしていた。
「ンフフ……ンフフフフ……!!」
「……何がおかしい」
不快感を露にする風吹。
当たり前だ。自身の傷とも言える話を笑われたのだからそりゃムカつく。
「何がって? こんな滑稽な話を聞かされて笑わない人は居ないと思うよ?」
「……私の話を戯言だと受け止めるのは勝手だが、親子の会話だ。邪魔をしないでくれ」
「親子じゃなくて“元”親子でしょ? それに、荒唐無稽な話だとは言ってないよ? 私は滑稽だって言ったの」
風吹は何を言っているか理解出来ていないようだが、威吹は既に察していた。
詩乃がどうこう以前に風吹の話を聞いている内に、その欺瞞――いや弱さを見抜いたのだ。
「分からない? ああそうだよね。分からないよねえ。
良いよ。教えてあげる、誰にも分かる言葉で。必死に逸らしてる目を真正面に向けてあげる」
どうするべきか。
何が風吹にとって最善なのか。
気付かないなら気付かないままでも良いと思う。
だが、本当の意味で人生をやり直すのならば知るべきだとも思う。
迷う威吹をよそに詩乃は語り始める。
「さて、何だっけ? そうそう、欺瞞塗れの誓いを胸に村を出たんだっけ?
うんうん。分かる分かる。あなたはそこから頑張ったんだよね?
立派な大人になろうと必死に勉強して良い大学に行って良い会社に入って。
仕事にも真面目に取り組んで、周囲とも誠実に関わり続けて素敵な伴侶も見つけた」
順風満帆な人生だ。
理想的な再起を果たせたと言えるかもしれない。
だが、それは誤りだ。好事魔多し。
それが充実した時間であればあるほど、落とし穴が待っている。
そしてその落とし穴は最初の間違いに気付かない限り、絶対に回避出来ない。
「でも子供が、威吹が生まれる段になって不安を抱いた。
心の奥深くに蓋をして封じ込めていた忌々しい記憶が蘇ったの。
ああはなるまい。そう決めていたけど、自分の行動を振り返ると優しく立派だと思っていた父の影がチラつく」
基本的に風吹の父母は善良な人間だったのだ。
何も知らなければ今でも尊敬していたであろうほどに。
そこについては、元祖父母の善性については威吹も認めている。
因習関連を除けば、本当に善人だった。
でなければ初めて会う孫のために心を砕くものかよ。
「不安だよね? 怖いよね? 正しい道を歩いているはずなのにって。
ひょっとしたらって思っちゃったんだよね?
両親とは違う道に進んだはずなのに結果として、同じ道に進んでるんだもん」
良き夫、良き父であろうとすればするほどに近付いてしまう。
違うと否定することは容易い。
だが、心のどこかでこのままでは自分もああなってしまうのでは?
そう思ってしまうことも仕方のないことだ。
「だから道を外れた。良き夫、良き父であることから逃げた」
威吹は思う。
元母はどんな気持ちだったのだろうと。
(愛した男の突然の心変わり。戸惑っただろうねえ)
自分のせいなのかとも思っただろう。
そして、何とか元の形にと頑張った。
(記憶にゃないけど、赤ん坊の頃はあの人もちゃんと母親であろうと努力してたのかも)
そうなるはずだった未来を取り戻すため。
妻の務めを、母の務めを頑張っていたのかもしれない。
でも、幸福な未来は遠ざかるばかり。
(となれば、俺への態度にも納得がいくってもんだ)
風吹の心変わりは子供が、威吹が生まれる少し前。
威吹のせいだと思ってしまうのも無理はない。
どうしてお前がと、徹底的に嫌えれば或いは幸せになれたのかもしれない。
それでも完全に情を切り離すことは出来なかったのだ。
愛した男との間に生まれた一粒種。お腹を痛めて生んだ我が子をどうして切り捨てられよう。
だけど真っ直ぐ愛せない。だからきっと、仮面を被ったのだ。
そう考えると欲しがった物は大体、買い与えてくれたことも納得である。
そして風吹と離婚しなかったことも。
捨てられなかったのだ。ひょっとしたらという淡い希望も我が子同様、完全に切り捨てられなかった。
結果、あんな家庭が出来上がってしまったのだ。
「何かさ。その時点でもう、って感じだけど……ンフフフ、まだ底があるんだから笑うしかないよね」
「何だと……?」
風吹としては詩乃が今しがた語ったことを威吹に伝えるつもりだったのだろう。
それが全てであると。
そこからどうしようと思っていたのかは不明だが、まあそこは良い。
問題は詩乃が言うところの“底”だ。
「――――何で威吹をあの村に行かせたの?」
「ぇ」
「何で吐き気がするほど軽蔑してる両親に威吹を預けたの?」
「そ、それは……私にとって……奴らは忌々しい存在でも……」
「威吹にとっては違うって? 自分たちの下で暮らすよりも幸せになれるって?」
まあ、そういう面もあったのだろう。
威吹を、我が子を幸せにすることはもう無理だと。
ならば、一点を除き良き親であった父母に任せるのも一つの道なのかもと。
そう考えたのもきっと、嘘ではない。
が、それ以外にも無意識の思惑があったのもまた真実だ。
「威吹を遠ざけたかったんでしょ? だって威吹は他の誰でもない“自分の罪”の象徴だから」
年々心が死に向かっていく幼い威吹。
気付かなかったはずがない。
そして威吹がそうなったのは村人や両親のせいではなく、風吹自身の行いの結果だ。
「ち、違う! 私は……!!」
「威吹の幸せを優先して? 嘘吐き」
言い訳ばかりだと詩乃は風吹をせせら笑う。
「今日、威吹に声をかけてここであんな話をしたのもそう。
突き付けられた罪から目を逸らすために威吹の同情を引きたかったんでしょ?
威吹への仕打ちには深いワケがあったんだってさ。
楽になりたかったんだよね? 許して欲しかったんだよね? 自分が真っ当な人間だって証明したかったんだよね?」
黒ひげ危機一髪かよってレベルで詩乃は風吹の心に言葉の刃を突き立てていく。
風吹は冷房の効いた店内だと言うのに脂汗を顔中に浮かべながら違う違うと否定の言葉を連ねるが、
「ホント、あなたは目を逸らしてばっかりだ」
詩乃は止まらない。
「――――威吹は目を逸らさなかったのに」
威吹はその辺で勘弁しといてやれと詩乃に念を飛ばすが既読スルー。
どうあっても止めるつもりはないらしい。
「な、にを……」
「威吹もね。あなたと同じような経験をしたんだよ? あの村で」
「――――」
風吹の目が大きく見開かれる。
「空色の髪に空色の瞳。死に至る孤独から救い出してくれた唯一のヒト。
彼女もまた生贄に捧げられる運命を背負った憐れな子供だった」
風吹が威吹を見る。
威吹はパフェを食べながら、肯定するように瞳を閉じた。
「でも、威吹とあなたは違う。
彼はあなたが大きな荷物なんか背負えない。辛いことから直ぐ目を逸らす卑怯な人間だと知っていた。
心からの願いを託せない人間だと分かっていた。
でも、彼女は違った。威吹ならばと心底から信じて心からの願いを託した」
くだらない因習になんて殺されたくない。
醜悪な村人のために死ぬなんて絶対嫌だ。
この命に意味があったのだと証明したい。
だから、あなたの手で。
胸を引き裂かれるような痛みに耐えながら威吹は願いを受け入れた。
歌うように詩乃は言葉を連ねていく。
「そして“一生忘れない”という誓いと共にその胸に刃を突き立てた。
そしてその通りに威吹は一分一秒たりとも彼女を忘れず想いながら生きて来た。そしてこれからも生きていく」
目を逸らさず真っ直ぐ見つめ続けた。
まあ、間違いではないけどと威吹は渋い顔をする。
忘れなかったのは事実だ。目を逸らしたつもりもない。
しかし、だ。
志乃の死によって得た答えを、辿り着いた自分の形を正しくは捉えられていなかった。
それなのに、この言い回しはどうなのだろう?
いやまあ事実云々より風吹を嬲ることを優先しているのだろうが。
「あなたのように“何もかも忘れてしまおう”なんて一度たりとも考えなかった」
「ぁ……ぁ、あぅ……」
そう、そこだ。そこにこそ風吹の嘘であり弱さがある。
大切な友だったと謳いながら、その存在ごと忌まわしいものを封じ込めた。
風吹はそこにこそ目を向けるべきだった。
「間違いがあると言うなら、そこだよ」
風吹は最初の時点で躓いていたのだ。
何も真正面から受け止め、背負って行けということではない。
こんなもの受け止められない。背負えない。辛くて辛くて直視なんか出来ない。自分はその程度の人間なのだ。
一度そう認めて心を折るプロセスを経ていたのなら風吹の人生は変わっていただろう。
だがそうはならなかった。
目を逸らし気付かない振りをして封じ込めてしまった。
だから上手くいかなかった。
威吹が生まれる段で抱いた不安は、全てそれに起因している。
無意識の負い目が風吹自身を追い詰めてしまったのだ。
(でも、それを咎だと責めるのは……ねえ?)
幾ら何でも酷だろう。
そも、発端に風吹自身の責はないのだから。
悪いのはあの村の因習と、それを知ってしまった不運だ。
「ンフフフ♪ ねえ、どんな気持ち?
都合の悪いことから目を逸らして自分を正当化しようとしたのに全部暴かれちゃったわけだけど。
ねえ、どんな気持ち? 知りたいな。教えてよ。ねえねえ、ねえってば。
まただんまり? でも、あなたが本当に威吹に申し訳ないと思ってるならちゃんと言葉にしなきゃダメだよぅ♥」
あなたは両親や村人とは違う真っ当な大人なんでしょ?
そう囁く詩乃の顔は毒婦の名に相応しい醜悪極まるものだった。
「こらこら、可哀想な中年をイジメるのは止めなさい」
「でも浦島さん」
「誰が浦島太郎だ。それはともかく、もう満足したでしょ?」
「いや? まだまだ足りないかなって」
「ファミレスで廃人を生産するのは止めなさい」
「えー」
何が酷いって、詩乃は威吹を想ってのこんなことをしているわけではないのだ。
イジメ易そうなのがポンと目の前にお出しされたからイジメてみた。
その程度の軽い気持ちで人をここまで追い詰めているのだから本当に酷い。
まじりっけなし、果汁100%の純粋な悪意である。
「はぁ……まあ、あれだ。元父さん、俺は別にあなた方を恨んじゃいないよ。
もう終わったことだし、俺も今は普通に楽しくやってるからね。
だからそっちも無駄に引き摺る必要はない。全部終わったことだと割り切って人生をやり直しなよ」
幸か不幸か。
強制的にとは言え目を逸らしていたものを見つめることが出来たのだ。
ならば、やり直せる。ここからまた始められる。
「威吹……」
「それでも負い目があるってんなら……そうだね。ここの払いを頼むよ」
最後の一口を食べ終え、席を立つ。
「これで本当に最後だ」
一度だけ風吹を見つめ、
「――――さようなら。どうかお元気で」
振り返ることなくファミレスを後にした。
「っとに……あの人も一応母さんの子孫なんだから手心加えてあげようとかそういうのはないわけ?」
じりじりと照り付ける日差しに顔を顰めながら隣に立つ詩乃に語り掛ける。
以前は気付かなかったが今なら分かる。
妖狐と天狗の血に関しては父方由来だ。
「いや私の家族は威吹だけだし」
「んもう、ホントロクデナシ」
「酷いなぁ」
「母さんにゃ負けるよ。それより、何か買い物あるんじゃなかった?」
「うん。付き合ってくれる?」
「良いよ。さっさと済ませてもっかい別のファミレス行こう。あっこじゃ読書出来なかったしね」
「了解。じゃ、こっちこっち」
笑顔の詩乃に手を引かれて向かった先は――――
「……」
「どうしたの? 入ろうよ」
キョトンと首を傾げる詩乃に威吹は言う。
「母親がティーン向けランジェリーショップで下着選ぶとこを見せられる息子の気持ちを考えたことないの?」
「ンフフフ、威吹の好きなの選んでくれて良いからね?」
「そういうこっちゃねえよ」
そんな、ある夏の日の一ページ。
よければブクマ、評価ポイント等、よろしくお願いします。
威吹自身が知らなかった元家族の裏側はこんな感じです。
本編でやろうかとも思いましたが、どのタイミングでやるかの問題と
威吹視点の認識でも支障はまったくないので番外編にしました。
威吹に家族を再構築する気があるなら話は別ですが、本人も言ってるように終わったことですからね。
ちなみに威吹はこの日の深夜、元母親を探し出し
こっそり認識を弄って元母親が憂いなく人生をやり直せるようフォローを入れました。
元母親に関しては完全な被害者ですからね。
そしてその結果、詩乃が拗ねました。