弱い者
「どう考えても、無理だな」
誰も使わなくなって久しいのか、ボロボロになっていた山小屋の中で地図を広げながら勇者はそう言った。
「この四人だけで魔素の濃い深部に向かうのは自殺行為だ。捨て身で進んでなまじ生き残れたとしても、後遺症でとんでもない事になる。けど、どの国からも人員の補充は期待出来ない」
「じゃあどうする?このまま時間を無駄にし続けるわけにはいかないんだぞ」
戦士が勇者を睨みつける様に言う。
彼も勇者の言う事が正しいとは分かってる筈だけど、彼は国に仕える戦士。
私達の誰よりも使命への責任感を持っているから、勇者の後ろ向きにも思える言葉に批判的なんだろう。
「どうするって言われてもお手上げだよ。言った通り、バックアップ無しの捨て身で進めば魔王を斃せたとしても、俺達は無事では済まない。生憎、俺は魔王を討伐した後の人生も全て投げ捨ててまで使命を果たそうとは思わない」
「お前っ!」
「お止めなさい戦士。勇者の言う事はもっともです」
「お前まで何を言う僧侶!?俺達の使命は――!」
「魔王を斃す事、それは間違いではありません。そして勇者は神に選ばれた魔王を討滅せしめられる唯一の希望。ですが、使命を果たし生き残れた後の人生をも捨てろと言うのは傲慢と言うものです」
一番年長の僧侶は落ち着いた声音で戦士を宥めようとするが、納得できないようで更に声を荒げる。
「それで世界を救う事ができるのだ!そもそも命を失う可能性は元々承知の上の旅、それを今更魔素の濃度程度で止めれるか!それで俺達四人が命を落とそうとも、世界が救えるのなら秤にかける必要も無い!」
パチパチパチ
私では到底頷けない理念を持って言う戦士の言葉に、勇者が軽く拍手を送る。
煽ってるのだろうか?
「自分の命も勘定に乗せてそれを言えるっていうのは素直に凄いと思うよ。うん。けどさ、なんでそれで世界を救えるって断言できる?」
「なんだと?」
「これまでの事を振り返ってみなよ。上位の魔物はどいつもこいつも一筋縄ではいかない連中ばっかだった。そんな奴等が一、二体程度しかまとめて出なかったのは、連中の命綱になる魔素が薄いから。けどこれから突っ込みたい深部は魔素たっぷりな連中の本拠地。これまでみたいに栄養失調でフラフラじゃない、元気溌剌なフルパワーのがわんさかいるだろう場所だ。どう考えても攻略に数ヶ月、いや数年は要してもおかしくない。そうなると俺達が魔王の所に辿り着く前に、魔素中毒で動けなくなる方が先だろうね」
勇者の言葉に戦士が怒りでか顔を真っ赤に染め上げるけど、怒鳴りつける事はなく唸っている。
戦士としては魔王を斃す引き換えになら命を捧げてもいいけど、その前に死ぬと言われたら流石にどうにも言えないみたいだ。
「……魔法使い、どうにかできないか」
え?
戦士が突然、こっちに話題を振ってきた。
いや、パーティでの話し合いなんだから突然じゃあないけど、そんな無茶振りな話題の振り方はダメでしょ。
存外にどうにかしろって言ってるみたいだけど、どうにか出来たら苦労はしないって話だし。
「私から言えるのは、私の魔法でどうにかするのは無理と言う事。魔法大国とは違って、私達の国は然程魔法に力を入れてなかったから研究も大分遅れてるの。私の知識や魔法もこの旅に出てから得たのが大半な訳だけど、それらにも魔素をどうにか出来る方法は無いわ」
私にはどうしようもないってのをハッキリと告げる。
戦士がそれを聞いて舌打ちするけど、出来ないものは出来ないのだ。
「こちらもどうにもなりませんね。浄化の奇跡で魔素を問題無く下げれるのならとっくに教会総出でやってますから。人間の生活圏で発生する程度なら兎も角、魔王の支配下となった土地、しかもその深部となると浄化の奇跡では到底追いつきません」
僧侶は戦士に聞かれる前に無理だとを知らせる。
これはもう、勇者の言う通り手詰まりだ。
「ハッキリしたな。これ以上は俺達四人だけでは無理で打開するには国の協力が不可欠。でも、どこの国も露骨に動きたがらない。じゃあ、どうするかな訳だけど、俺はこれを正直に国々に書状で送るつもりだ」
「書状で、ですか?」
「教会の総本山にもな。期限を設けて、それまでに各国の協力が得られない場合は魔王討伐は不可能と判断を下し、勇者としての役割もそこで終えたものとするってね」
「なんだとっ!?」
戦士がまた声を荒げるけど、勇者は気にせずに進める。
「勿論そうならないのが一番なわけだけど、そうとでも書かないと各国は動かないだろうしね。どの国も魔王の脅威が去った後の事ばかり考えて国力温存したがってるから。下手したら俺達を捉えて力づくで従わせようとするのもいるかもしれないけど、俺は無抵抗で捕まる気はない。で、ここからが重要な訳だけど」
一旦言葉を切った勇者は表情を改めて、私達三人に声をかける。
「ここまでは三人とも各々の理由で着いてきてくれたけど、ここからは本当にどうなるのか分からない。少なくとも、俺達が想定してる最悪以上の事がポンポン起きてもおかしくない所だ。だから、三人には改めて魔王討伐の旅に着いて来るのかきちんと考えて欲しい。上に報告して指示を受けるのも、家族や友人に相談するのも、はたまた一人で考えてもいい。後悔が無いように。期限は書状の返答期限と同じで、場所は此処だ」
「もし、誰も揃わなかったら、お前はどうするつもりだ?」
「各国がきちんとバックアップしてくれるなら俺一人で深部に行くだけだよ。元々それが俺の役割な訳だし。だから俺を魔王討伐に向かわせたいなら、きちんと各国の王と猊下を説得してね」
「そっちは丸投げですか」
「一人でもやってやるって言ってるんだから、それぐらいの雑事は伝手のある戦士と僧侶に任せていいでしょ」
あれ?私は?
「魔法使いはいいのか?」
「魔法使い単体だと王族への取り次ぎ自体が面倒になるから。だからまぁ、魔法使いの方は休暇って事で、研究なり勉強なり好きにして貰うよ。その分は国や教会から給料をもらってる人達に頑張って欲しい」
「気楽に言ってくれる」
「でもそれぐらいはするべきでしょう。私達は抜ける選択肢も用意して貰った訳ですから。書状の方が用意出来次第――」
「あ、書状の方は書けてるから。ほら」
勇者の鞄から出される13の手紙。
準備が良いっていうか、何と言うか……
「はぁ。では責任を持って各国に送りましょう」
「あ、やってくれるの?」
「やらせるつもりだったのでしょう?」
「うん」
勇者が素直に頷くのに、僧侶は諦めた様に軽く頭を振って手紙を受け取る。
「勇者、各国が支援を出すのなら使命を果たすんだな?」
「約束するよ。ただ、力づくで来たら相応の対応をするけどね」
「分かった」
そういうと戦士は僧侶から書状を一つ取り、転移の札を躊躇いなく使用してこの場から消えた。
「彼のせっかち癖は治りませんねぇ。では私もいきます。お二人とも暫しお別れですがお元気で」
僧侶も転移の札を使って消え、残されたのは勇者と私だけだ。
「じゃあ、わたしも―――」
「あ、魔法使いは待って。少し話があるんだ」
「私に?」
二人っきりで話す事……
まさか愛の告白!?――――な訳がないか。
戦士や僧侶に秘密に、何かさせる事があるっていう可能性の方が高そう。
「なに?」
「うん、魔法使いと繋がりのある魔族と交渉がしたいんだ」
「―――――――ッ!?」
予想外の言葉に息を飲む。
いつ、気が付かれた……!?
「ああ、そんな警戒しなくていいよ。魔法使いが人間と魔族のハーフってのは、前々から気が付いてたから」
「な、なんで……」
「勇者の加護ってさ、単純に身体能力を上げたり魔力を増やしたりするだけじゃなくて、魔族かどうかを見分ける瞳もあるんだ。この目でみれば、魔族やそのハーフをすぐに見分ける事ができる。驚きだよね、人間の上層部や貴族に魔族が結構いるんだから」
アハハと笑う勇者だけど、私は全然笑えない。
勇者は初めから私が魔族の血を引いてて、しかも定期的に通行人とかに扮した魔族と会ってる事に気づいてた。
それなのに、黙って今迄泳がしてたのはなんで?
人に紛れてる魔族を警戒させたくなかったのか、それとも別の目的が……?
逃げたくても、転移の札を使うよりも勇者の剣が私を斬り伏せる方が圧倒的に早いし、抵抗するのもそう。
私は完全に勇者の手に平に置かれてしまってる
「魔法使いを放置してたのは、まぁ好みの女の子ってのもあったけど一番は魔族側への連絡手段を手元に置いときたかったから。こういう時のためにね」
「こういう時?」
「そう、俺が人間を見限った時」
勇者の言葉にバクバク言う心臓が更に加速する。
勇者の発言は、人側から見たら到底見逃せない事を言ってる。
「戦士に、各国が協力したら深部に行って魔王を斃すって……」
「言ってたね。でも各国が協力する事はないよ。魔族が上層部に喰いこんでるってのもあるけど、一番は人間ってのはそんなに賢くないんだよね。命令を聞いて当然と思ってる相手がこんな条件を突きつけてきたらさ、怒って反発するんだ。少なくとも、冷静に受け止めて対応策を練れる国は今は少ない。十二ヵ国中、三、四あれば多い方だろうね」
いつもの変わらない声音、でもどこか暗い感じのするいつもとは違う声音で喋り続ける。
「自分たちは安全圏で好き勝手言って、後々の勢力争いの準備ばっかしてる。普通の連中も同じ、勇者というだけで何でもかんでも押し付ける。もう、疲れたんだ」
「魔族と話して、どうするつもり?」
「亡命したい。無理なら、身を隠す所を提供して欲しい」
「人間を裏切るの?」
私の疑問を受けた勇者は悲しそうな顔をする。
「俺はもう人間の為には戦えない。怖いんだよ、人が」
「人が?」
世界中の誰よりも強い人間である勇者が、人間が怖い?
予想もしてなかった言葉に、恐怖も一瞬忘れて目を丸くする。
「おかしいかな?でも本当の事だよ。俺は人が、人間が怖い。ただ勇者って称号を持ってるだけで、それを理由に俺に何を要求しても許されると誰もが思ってる。大国の軍勢を一凪する多頭の邪竜、鎚の一振りで大地を割る巨人、全てを腐食させる死霊の王、魂すら凍てつかせる妖精の女王の呪い。魔族以外でも、自分達が困ってるなら助けて当然と無理難題を押し付けてくる」
それも私も知ってる。
戦士と僧侶は使命感と信仰からかやる気一杯でやってたけど、私としては内心死ねよとまで思ってたぐらい、民衆やお偉方の無茶振りは凄まじいもの。
けど、その無茶振りもこの勇者は軽々と越えてきた。
超えてきた、様に見えていた。
「もう戦いたくない。魔族が俺の事を信用できないっていうのなら、人間との戦いが終わるまで牢屋にでも放り込んでくれていいよ」
「魔王軍に捕虜というのはないよ。もし牢屋に入れられたら、今迄の勇者の戦果からして家畜小屋の豚が王侯貴族の様な生活をしてると思えるような未来が待ってるとしても?」
「それはそれで別の事に踏ん切りがつくかもだし、構わないよ。今はさ、ただ“勇者”の称号を捨てたいんだ」
勇者の眼に、嘘は無いと思う。
これが本当なら、勇者を引き込む役に立った私も魔族の中で順列がちょっとでも上がるかもしれない。
半人半魔な、半端な私でも堂々と彼等の中に入れるもしれない。
なら――――
「わかった。魔族側の連絡員に話をしてみる」
「ありがとう。あ、とうぜんだけど人間側に告げ口はダメだよ」
「言われなくても、出来やしない。自分から魔族のスパイですー、なんて言えるわけ無いでしょ」
「あはは。そうだね。じゃ、お願いするね」
何時もの様な笑顔と明るい声。
けど、今だと偽物の様な感じのするそれらに、私は頷いた。
私の未来の為に――――