星空の出会い
開けた高台に木造建ての家があった。
二階建てになっているが、屋根の部分が平らになっていて、そこに屋上デッキがあるようだった。
ここまで案内してくれた光が、明滅しながら家の外階段をふわわ~と登っていく。どうやら屋上に来いということらしい。
ギシギシと音を立てて階段を登りきると、そこには満天の星空が待っていた。暗い森を足元に見ながら、星たちは悠々と漆黒の空にひしめいている。
空気の濃い森の中を歩いてきた私は、澄み渡った高台の風に吹かれて、ぶるりと震えた。
「いらっしゃい。久しぶりだね、マナ。」
深く静かな声で、誰かか私に声をかけてきた。
マナ? 私はそんな名前だっただろうか?
声の方に目を向けると、一人の青年がゆったりと椅子に座っていた。傍らのテーブルには丸い氷の入ったお酒のグラスが置かれていた。
この琥珀色の液体は、ウィスキーかしら? いいえ、たぶんブランデーね。
どこか慣れ親しんだ芳香がグラスから漂ってくる。
その人に勧められるまま隣の席に腰を下ろすと、案内を終えた光が青年の飲んでいたものと同じグラスを私に出してくれた。グラスの中の氷は綺麗に丸く整えられている。その周りにブランデーが気持ちよさそうにまとわりついていた。光はそのまま青年の傍らで静かに休んでいる。なんとも不思議なおもてなしだ。
私は思い切って青年に話しかけることした。
「こんばんは。この氷って、お月さまみたいね。」
「フッ、君は変わらないね。ブランデーグラスには『丸いお月さまの氷』を入れるのが君のお気に入りだっただろ?」
「そうだったかしら……」
「そうだよ。さぁ、天の川銀河の第三惑星、地球の月が登ってくるよ。」
地球の四分の一の大きさだと言われている月。地球からは38万5000㎞も離れているはずなのに、今夜はなんだか大きく見える。
暗い森の続く地平線からゆっくりと登ってきた満月は、密集した樹々を冴え冴えと青白く照らしている。先程までまばゆく煌めいていた星たちも、月の登場で存在感が薄くなってしまったようだ。月は圧倒的な静けさで夜の空を我がものにしていった。
「綺麗……」
「ああ、この眺めも今夜で見納めだな。」
青年の声が少し感傷に揺れる。
「どうして?」
「明日にはアンドロメダ銀河に向かわなくちゃならない。」
それを聞いて、私はやっとこの青年のことを思い出した。
この人の名前はタグ。四十年前に死に別れた私の最初の夫。
星が好きで、宇宙に憧れてスペースパイロットになったタグは、火星航路の乗組員になった。
アンドロメダへの移住船に一緒に乗ろうと言われていたのに、最初の航海から帰ってこなかった。
「クスッ、アンドロメダ銀河は秒速122㎞の速さで私たちがいる天の川銀河に向かって近づいてきているんでしょ? 40億年後には銀河同士が衝突するんだから、そんなに急いで行かなくてもいいんじゃない?」
私のいつもの自説に、タグはニヤリと笑った。
「思い出したんだね、マナ。君のその話をもう一度聞きたいと思ってたんだよ。これで思い残すことがなくなったな。」
「……タグ、ここはもしかしてあの世なの?」
ずっと気になっていたことを、とうとう口にしてしまった。
けれどタグはそうだとも違うとも言わない。ただ、黙って空の月を見ていた。
二人のグラスの氷がカランと乾いた音を立てた。私は手のひらでガラスについた水滴をいじる。
その冷たさが、真実を私に教えてくれた。
この世もあの世もないのかもしれない。
Life is but the dream.
人生は夢のようなもの
魂が本当だと思っていることが、現実なのかもしれないわね。
私はその夜、タグと語りあかした。
二人で食べた、サラおばさんのスパゲティ
ミートソースの中に、さらにミートボールが入っていたのが、あなたのお気に入りだったわね
あれは宇宙で何度食べたいと思ったことか……
カナダで観た、どこまでも続く森林列車
178両も繋がってたでしょ! よくも数えたもんだわ
機関車が間に挟まってるんだもんな。長くもなるよ。
タグの同僚のドッジスは、六人の子どもに恵まれて89歳まで生きたわよ
私を心配して、たまにチョコレートを持って来てくれたわ
あいつらしいな。世話になった。
マナのお母さんは? 僕を許してくれたかな?
最後まで結婚を反対してたもんな。こうなることがわかってたのかもしれない。
あなたに言わなかっただけ。母さん、本当はあなたを気に入ってたのよ。
タグ、ああタグ……
マナ……愛してるよ いつまでも
ブランデーのおかわりがなくなる頃には、うっすらと東の空が明るくなり始めていた。
タグの身体が透けてきて揺らめき始めた時には、二人とも顔を合わせて笑っていた。
いってらっしゃい、タグ。
アンドロメダ星雲に乗って、またここに帰ってくればいいわ。
ああ、秒速122㎞の速さでね。