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第十九話 晴れのち父

「社長。クレーン車をもう一台導入するのって、4日後でしたっけ」

「ああ。このまま順調に進んでればな」

「了解です」


 ボッティはそう言うと、鉄筋を片手で持ち上げ移動させた。

 90キロほどある鉄筋をだ。

 それを軽々と持つ辺り、ボッティの剛力が伺える。


 ボッティがいるのは、建設中のビルの40階だ。

 完成まではまだ時間が掛かる。

 ボッティはそのビルの現場周回に来ていたのだった。


 その時、ボッティの耳が、ピクッと動いた。


「社長」

「待て」


 ボッティは、現場監督の報告を遮った。

 胸騒ぎがする。

 ボッティは窓のはまっていない()()から街を見渡した。


「………すまない。少し現場を離れる」

「あ、はい。分かりました」


 ボッティはそう言うと雑巾を垂れ下がっているワイヤーに巻いた。


「社長?」


 現場監督が不思議そうな顔をする。


「じゃあ、後は頼んだ」


 ボッティは窓に乗り出し、飛び降りた。


「しゃちょおおおおおぉぉぉ!?」


 現場監督の声は直ぐに聞こえなくなった。

 ボッティは高速でワイヤーに伝って降りている。

 雑巾が摩擦で煙を上げ始める。

 ただの胸騒ぎ。

 そうであってほしい。

 しかし、ボッティの全神経が、警告を発していた。

 ボッティをビルの40階から飛び降りさせるほどの、警告を。

 急げと。


 地面が近づいてくると、ボッティはもう一枚の雑巾をワイヤーに巻き、急速に減速した。

 そして、飛び降りた。


 ドンッ


 転がり、衝撃を殺して着地をした。


「あれ、社長」


 従業員の言葉に耳を貸さずに、ボッティは立ち上がると地面を蹴り、一心不乱に走り出した。


 急げ急げ急げ


 ボッティでさえ、なぜ走っているか分からない。

 何か不思議な力に手足を動かされているように、ボッティは走る。


 今俺はどこに向かって走ってるんだ

 いやそんな事はどうでもいい

 ただ急げ

 お前の本能がそう叫んでいる


 気づけば、通り過ぎていく景色から、人の姿は消えていた。

 景色が賑やかなビル街から、静かで茶色く濁った廃墟に変わっている。

 どこからか、嗅ぎ覚えのある匂いが、研ぎ澄まされたボッティの鼻に微かに漂ってきている。


 なんで、この匂いがここでするんだ。


 ボッティの鼻は、瞬時にその匂いの漂ってきた元を探し当てる。

 ボッティは、重厚な扉を蹴り飛ばしていた。

 扉は10キロ以上ある頑丈な物だったが、ボッティはそれをまるで空き缶でも蹴りとばすかのように、容易く蹴った。


「何だ!?」


 ボッティは声がしてきた方に首を向ける。

 男だ。

 誰かに、馬乗りになっている。

 それが誰か、ボッティはすぐに理解した。


 な ぜ 、 お 前 は ラ キ ャ に ま た が っ て い る 。


 ラキャは、シャツとスカートを脱がされ、哀れな姿をさらしていた。

 途端に、ボッティの身体から燃え盛るような憎悪が立ち上る。


「貴様あああああっ! 俺の娘に何してくれてんだあああああっ!」


 その声は、未だかつてボッティが出したどの声よりも大きく、殺意を込めていた。

 その衝撃だけで人の1人や2人は殺せそうな勢いだ。


「俺の娘………? なんでこんな所にラキャの親父がいるんだ?」


 その男、ルーは少し考えた後、ポケットから折りたたみ式ナイフを取り出し、ラキャの首もとに近づけた。


「まあいい。ラキャの親父。この白い毛皮を赤く染めたく無けりゃあ、動くんじゃねえぞ」

「……………糞が………」


 ルーがラキャにナイフを突きつけたまま強引に立たせる。


「ラキャを離せ…………!」

「やだね。離した瞬間ぶっ飛ばされそうだ。見つかっちまったのはしょうがねえが………先にあれをばらまかせて貰うぜ」


 ルーはラキャを引きずるようにして人質に取ったまま、もう一つの出口に向かって歩いていく。


「これでお前は終わりだ。お前が逮捕されれば、俺は無罪放免だからなあ。へっへ。あばよ」

「ラキャ……………」


 どういった理屈で無罪放免になるのかは分からないが、ルーの頭の中には既に彼が勝つストールーが出来上がっているようだ。

 ボッティは動けないまま、ただ出口のドアノブに手をかけたルーを見ていた。

 ボッティの歯が、割れる音がした。


 ルーが扉を開けようとしたとき、腕の中のラキャが動いた。

 勢いよく上に。


「ごっ!?」


 鼻頭に頭突きを喰らった衝撃で、ルーがラキャを手離した。

 その隙をボッティは見逃さなかった。


 ボッティが弾丸のようにルーに飛びかかった。

 意図的か否かラキャが倒れ込み、ボッティの拳の直線上にルーだけが残された。


「くっ……………」


 鼻を抑えながらルーがナイフを構える。

 切っ先はボッティに向いている。

 しかし、ボッティは止まらなかった。


 ボッティの拳がルーの顔面に突き刺さった。

 容赦の一切無い全体重をかけた正拳突き。

 ルーが回転を加えながら吹き飛ぶ。

 幸か不幸か、ルーは吹き飛んだ先に積まれていたダンボールの山に突っ込み、動かなくなった。

 ボッティは右の二の腕を見た。

 ナイフが深々と刺さっている。ボッティはそれを苦もなく引っこ抜くと、ラキャに駆け寄った。


「ラキャ、大丈夫か! ラキャ!」


 ボッティは倒れているラキャを優しく抱き上げ、名前を呼んだ。

 ラキャのまぶたが、少し動いた。


「ん……………お父さ…………げほっげほ!」


 ラキャが目を覚まし、咳き込んだ。


「お父さん……………おとう……さん…………うううう、うううううっ、ぐすっ、ひぐっ」


 ラキャはボッティの姿を認識すると、声を上げて泣き出した。

 ボッティという絶対的な安息を得た安堵から、気持ちが抑えられなくなってしまったようだ。

 ボッティは作業着を脱ぎ、あられもない姿のラキャに着させた。


「痛むか?」

「ぐすっ、うん………」


 ボッティがラキャの腹を触診しながら聞いた。


「…………痣は、出来ているが………大事では無さそうだ。取りあえず、警察と救急に連絡しよう」


 ボッティがポケットから携帯を取り出した。

 それを見て、ラキャが止めた。


「待って、お父さん。警察に連絡しちゃダメ……………!」

「どうしてだ」

「ダメ………それだけは、ダメなの…………!」


 ラキャの表情は、青ざめ、まるで失ってはいけない物を失いそうな、そんな絶望な表情になっていた。

 ラキャの瞳が、ボッティに何かを訴えている。


「ラキャ。どうしたんだ……………?」


 ラキャが黙ったまま床に落ちている一冊の本のようなものを指差した。

 ボッティが立ち上がり、それを拾う。


「これは……………」


 パラパラとページをめくっていると、ボッティはある一ページにたどり着いた。


「俺の名前か」

「それで…………あいつが、私を脅して………呼び出したの。抵抗したら……………バラすぞって………」

「……………なるほどな」


 ボッティは携帯を取り出した。


「待って! あ、痛……………」

「まだ腹が痛むだろ。あまり大声を出すな」

「待って…………お父さん」


 ラキャがふらつきながら立ち上がり、ボッティに歩み寄った。

 しかし、途中で体制を崩し、ボッティに支えられる。


「いま警察を呼んだら、それが警察に知られちゃう…………処分して…………!」

「…………………ラキャ」


 ボッティは手元の冊子を見た。


「それを警察に見つかったら、お父さん、逮捕されちゃうから。処分して。お願い……………!」


 そうだ。

 人身を金で取引するのは、法律で禁じられている。

 それを破れば、かなり重い罪が課せられ、社会的地位も失うだろう。


「そうだな…………………残念ながら、この名簿は……」


 ボッティは、諦めたようにため息を付いた。


「…………警察に、提出する」

「……………なんで……?」


 ボッティはラキャの目を見た。

 まだ乾ききっていない涙の跡が、白い毛の上に光っている。


「この名簿には、俺以外の名前も沢山載っている。この名簿は、いわば犯罪者名簿だ」

「違う、お父さんは………!」

「……………ラキャ。これを提出しない訳には行かないんだ。分かってくれ」

「違う、ダメ、お父さんは、お父さんは……………!」


 ラキャの瞳から、再び涙が溢れ出る。


「ひぐ、お父さんは、あああ、うわあああ!」


 ボッティは悲しく泣きじゃくるラキャを抱きしめた。


「……………いつまでも、愛しているよ。ラキャ」


 時の止まった工場に、ラキャの泣き声だけが響いていた。







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