ウィンザー公爵からの贈り物(三十と一夜の短篇第18回)
1936年12月11日の夜、イギリス国民は驚きをもって、或いはある種の予測を抱きながら、ラジオを放送に耳を傾けた。1936年1月20日、父王ジョージ5世の跡を襲って即位した長男エドワード8世の退位を告げる演説だった。戴冠式さえ挙行していない、一年に満たない在位期間だった。
王太子時代からの愛人との正式な結婚ができない為に、エドワード8世は弟に王位を譲った。この時エドワードは42歳、プレイボーイと呼ばれ、様々な女性と浮名を流した結果で、決して情熱先行ではなかったであろうと信じたい。王室の縁者、政府と話し合い、悩んだ末の結論を、演説でははっきりと述べている。
「愛する女性の支えなしには国王の責務を全うできない」
イギリス国王の王冠を捨てさせた女性は当時40歳、二度の離婚歴のあるアメリカ合衆国出身のウォリス・シンプソン。残っている写真や映像を見る限り、見ようによっては愛敬があると言えるかも知れないが、美しいとは言い難い。彼の女とは別の、エドワードの愛人と呼ばれた女性たちの方がより美しい。
1 ファーネス子爵夫人の後悔
プリンス・チャーミング、魅惑の王子と呼ばれたエドワードとウォリスが出会ったのは、エドワードの愛人の一人ファーネス子爵夫人セルマの紹介によるものだった。ファーネス子爵夫人はアメリカ出身で、イギリスのファーネス子爵と結婚し、一子儲けた後に夫婦仲が冷め、美貌の彼の女はエドワードの愛人となった。ファーネス子爵夫人は同じアメリカ出身のシンプソン夫妻と知り合い、親しくなり、王太子への紹介を引き受けた。
ファーネス子爵夫人が夫妻を紹介すると、エドワードは挨拶の後に言った。
「お国と違ってセントラルヒーティングがありませんから、イギリスの冬はアメリカの方にはお寒いでしょう」
ミセス・シンプソンはこう言い返した。
「殿下には失望しましたわ。アメリカ人はイギリスの方にいつもそう言われますの。殿下はもっと独創的なことを仰言るかと思っておりました」
この言葉はエドワードに強い印象を与えた。
しかし、レイディ・ファーネスは一切不安を感じていなかったようだ。この2、3年後、アメリカに住む姉妹の所へ旅行に行くのに、自分より8歳上で容姿の劣るウォリスに「わたしがいない間に殿下が悪さしないように、気を付けていてね」と頼んだ。そして、アメリカから戻ってきた時に、自分がなんと愚かな真似をしたのかと悟った。
――確かにウォリスは博識で、話術も巧み、服やアクセサリーのセンスもいいわ。でも小柄で外見がいいとは言えない。殿下はウォリスのどこがお気に召したのだろう。
子爵夫人はシンプソン夫妻のなれそめを聞いたことがあったのを思い出した。最初の夫と離婚したばかりのウォリスと、アーネスト・シンプソンが出会った時、アーネスト・シンプソンは既婚者だった。しかし、友人の紹介で知り合ってすぐにウォリスに心惹かれ、プレゼントを贈り、付き合いを欠かさなかった。同時に妻と別れると決め、離婚成立とともにウォリスに結婚を申し込んだという。
――ウォリスには女には読み切れないような、殿方にしか感じ取れないような魅力があるのかしら。
ファーネス子爵夫人はエドワードと別れた後も恋愛遍歴を重ねたが、終生、あの時アメリカへの旅行に行かなければ、そしてウォリスに余計なことを頼みさえしなければ、自分の人生がどうなっていただろうか、その疑問を捨てきれなかった。
2 カルティエのデザイナー、ジャンヌ・トゥーサン
20世紀に入ってから、フランスの宝飾店カルティエに一人の女性が勤め出した。小柄で、まるで小鳥のようと評する者もいたが、彼の女は自尊心が高く、鋭い眼差しを持っていた。パリで豹の毛皮のコートを最初にまとった女性で、ジャンヌ・トゥーサンといった。カルティエのパリ本店のあるじ、ルイ・カルティエはすぐにジャンヌ・トゥーサンが気に入った。
ジャンヌ・トゥーサンは時代の嗜好を捉えて、それを宝飾品のデザインで表現する能力に長けていた。やがてはルイ・カルティエから宝石部門の最高責任者に命じられるほどの信頼を受けた。
第二次大戦時、トゥーサンは「籠の鳥」のデザインのブローチを作った。明らかにパリを占領していたドイツ軍への当てつけだった。ドイツのゲシュタポから尋問を受けると、トゥーサンは平然として答えた。
「私は小鳥が好きなんです。それにこれは数あるデザインの中の一つですわ」
戦争が終わって、パリが解放されると、トゥーサンは「解き放たれた鳥」のデザインのブローチを作った。ラピスラズリ、ダイヤモンド、赤い珊瑚、金の鳥籠から羽ばたこうとしている小鳥の姿をフランスの三色旗の色で表現していた。
ジャンヌ・トゥーサンの友人の一人であったココ・シャネルは彼の女を「パンテール(豹)」と呼んだ。
ジャンヌ・トゥーサンの顧客の一人にウィンザー公爵夫人ウォリスがいた。ウィンザー公爵夫人は多くの宝飾品をカルティエから購入している。
代表される品は、152.35カラットのカボションカットのサファイアに前肢を乗せた豹。その豹は言うまでもなく、ダイヤモンドとサファイアでできている。大粒のサファイアはウィンザー公爵夫人の瞳の色と同じで、トゥーサンはこれを「ウォリス・ブルー」と名付けた。
「これこそ貴女に相応しい」
豹を身に纏い、豹のような心を持った女性たちは、飼い馴らされない、自然のままの自由な自分を見せるのに、躊躇はなかった。
3 パンテールのブローチのお喋り
愛し合う二人は結婚して、末永く仕合せに暮らしましたとさ、とおとぎ話では本を閉じて終わりとなる。私の持ち主となった女性は、相手の男性と結婚後も長く生きた。果たして、末永く仕合せだったのか、私には全く判らない。
エドワード8世が即位して、すぐにウォリスはアーネスト・シンプソンとの離婚を成立させた。嫡子を儲ける若さを失っていたウォリスはロイヤル・ミストレスの地位に留まれればよいと考えていたようだが、男性の方がそうではなかった。あくまでも自分の側に寄り添うただ一人の女性と公式に認めさせたがった。
イギリス国王を退いたエドワード8世はウィンザー公爵の称号を与えられた。まるで追われる者のように、イギリスを去った。
翌年の6月に、ウィンザー公爵は愛する女性とフランスで結婚式を挙げた。イギリスの王室からは誰も祝福の参列客はなかった。
実家から絶縁状態、特にウィンザー公爵の母のメアリー王太后と、兄の跡を継いだジョージ6世の妻エリザベスはウォリスを嫌っていた。母と小姑を敵に回しては、なす術が無いのは普通の男も元国王も同じであり、ジョージ6世もいきなりの重責に、兄や兄嫁となった女性を庇おうとはしなかった。しかし、公爵位を持っているとはいいことで、庶民から見れば駆け落ち同然の結婚をしたものの、ウィンザー公爵夫妻はあくせく働く必要はなく、実に優雅な生活を続けた。
ウィンザー公爵――私の持ち主ウォリスに倣ってデイヴィッドと呼ぼうか――、デイヴィッドは邸宅を構え、パリやバハマで暮らした。
デイヴィッドは王太子や国王の頃から、王室由来の宝飾品や、またカルティエなどの店で作らせた宝飾品をウォリスに贈っていた。ウィンザー公爵になってからは王室の物は無理になったが、それでも宝石を贈り続けた。
私がジャンヌ・トゥーサンからウォリスに手渡された時、ウォリスは眩暈を感じたと言った。それは気後れからではない。自分こそがこのブローチを身に着けるのに相応しい女だと、快感に打ち震えたからだ。
実際ウォリスはイギリス王室から無視され続けていたほかは、何も恐れてはいなかった。
――あれだけの騒ぎを起こした女性だからどんな美人かと思ったら……。
そんな陰口にウォリスは気付いていた。
気付いていたからこそ、宝飾品に見合う服や靴、帽子を揃え、装いを凝らし、典雅に振る舞った。
ダンディーで通るデイヴィッドといつでも一緒だった。
愛し合う二人が末永く仕合せに暮らしている、その期待を壊さないように、幻の王妃は堂々として、立派だった。
35年に及ぶ長い結婚生活を経て、デイヴィッドは亡くなった。
デイヴィッドは、妻に王室由来の宝石を贈っていたこともあって、自分という後ろ盾を失った後、王室からその返還を求められたらと慮っていたらしく、遺言状に、「自分が買って贈った以外の品でも、妻の所有となる」と書いていた。
だが、もっと驚く文言が遺言状に書かれていた。
「妻へ贈った宝飾品の全ては、妻以外の女性の身を絶対に飾ってはならない」
理想的な夫婦として振る舞う長い年月、デイヴィッドは何を思ったのか。
夫婦のことは夫婦同士でしか判らないとでもしておこうか。
どちらにしたってウォリスは生きているうちは、私たちを手放さなかった。老いて外出もままならない体になっても、ずっと私たちを手に取り、身に着け、鏡を見たりしながら、生きていた。
私よりも小粒ながら、インドの太守からイギリス王室に寄贈された世界最大のエメラルドを半分にカットして作られた結婚指輪。30カラットを超えるダイヤモンド。大粒の天然真珠のネックレス。フラミンゴをかたどったルビーのブローチなど、カルティエ製のアクセサリーの数々。
美しい輝きは、過去の輝かしさをよみがえらせ、決してウォリスを孤独にしなかった。
ウォリスはデイヴィッドに遅れること14年、1986年に亡くなった。多くの宝飾品は彼の女の遺言により、パストゥール研究所に寄贈された。王室や、王室の特定の誰かには一つも贈られなかった。
妻以外の女性を飾ってはならないとされた私たちだったが、パストゥール研究所は宝飾品を持っていても、細菌学の研究に役に立たないと競売に掛けられた。ウォリスが亡くなってしまっては、誰の身を飾るも何もないだろう。
私はカルティエに買い戻された。こうして、私はショーケース中で、イギリスの王室やヨーロッパの動向を見聞きしながら、たまにこうやって思い出話を呟くのだ。
――より多く愛した者が、愛さなかった者よりも仕合せ。
デイヴィッドに深く愛されたウォリス。多くの贈り物を重圧と感じず、むしろ見事にそれを活かしてきた。自分への非難や好奇心を跳ね返す、自尊心と強い上昇志向を持っていた女性。
世紀のロマンスの結果としての半生を送らなければならなかったのは、豹のような女性を檻に閉じ込めるようなものだった。それは、デイヴィッドが懸命になって組み立てた愛情という名の檻。
飛び立とうとすればいつでも飛び立てたが、ウォリスはあえて檻を破ろうとはしなかった。ジャンヌ・トゥーサンが作った「解き放たれた鳥」ではなく、檻の中の豹。
今後私はウォリス以上の女性を飾る機会はないだろう。それだけは残念だ。
参考
『愛人百科』 ドーン・B・ソーヴァ 著 香川由利子 訳
『英国王室史話』 森護 大修館書店
『「Story of …」 カルティエ クリエイション~めぐり逢う美の記憶』 日本経済新聞社
『なぜ、一流品なのか 読むオシャレ・24章』 草柳大蔵 大和書房
『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章』 塩野七生 文藝春秋社
『BS歴史館 シリーズ英国王室②エドワード八世 王冠を捨てた恋』 NHK