朝の教室~彼女との関わらない関係~
初投稿です。語彙力の低さには目を瞑って下さると有難いです。
その日は朝から雨予報だった。
いつもなら7時半くらいに家を出て、教室入る頃にはそれなりに人が集まっている。でも、自転車登校なので経験則から合羽を着て自転車というのは面倒臭いし時間も取られるので雨が降り出す前に家を出た。
時刻は7時前(細かく言うと6時52分)だった。
30分も違うので、いつも行きしにすれ違う近所のお婆さんや他校同校の生徒も見かけない。実に静かな朝だ。空が鉛色でさえなければ清々しかったかもしれない。
10分ほど閑静なサイクリングを楽しむと、枝にも地面にも花のない桜並木の50メートル坂道に差し掛かる。そこを抜けると正門が見える。
指定された場所に自転車を置き、校舎に入る。
案の定、教室のカギは開いてなかった。まぁ、まだ早いし当然か。
職員室へカギを取りに行くと、ヤケに驚いた顔をされた。
「め、珍しいわね鳴海くん。こんな早くに」
「はい。雨予報だったので」
確かに珍しく早く来(過ぎ)たがそこまで驚くものでもないと思う。
そんなこともあって教室に入ると、16年間で経験したことのない光景だった。
誰も居ない静かな教室。
暗い色の蛍光灯。
綺麗に並べられた机。
閉め切られた窓。
「なんか……新鮮だな」
思わずそんな言葉が漏れてしまう。なんとなく、外の曇り空も気にならないくらい落ち着いた。
電気も点けずに自分の席へ向かう。着席して愛読書を開く。
本を読み進めていると、窓が濡れ始めた。雨が降ってきた。
「早く出て良かったー。いつもなら直撃だったな」
その感想を終えたのとそれはほぼ同時だった。
ガラガラと音を立て、教室の引き戸が開き、ひとりの少女が入ってきた。
驚いた。俺が言えた義理でもないがまさかこんな早く来る人がいるとは。
茅薙月詩。
比較的物静かではあるが、社交性もあり校内でも人気は高い。身長は155~160くらい、薄く茶色がかった黒髪をポニーテールに結わえ、なにより剣道部である彼女は竹刀を持った立ち姿は風格があり、正に大和撫子を体現していてよく映える。そして、制服の上からでもある程度わかるほどに隆起した双丘は大きすぎず小さすぎずといった感じだ。言うならC〜Dくらいだろうか? 別に詳しくないから分からないが。
その容姿や佇まいは美少女というより美人と形容した方が相応しいだろう。実際、彼女の道着姿や練習姿に憧れて入部した生徒は男女問わず多かったらしい。ちなみに俺は未所属だ。……どうでもいいか。
茅薙さんの方も一瞬、驚いたように(そんな気がした)俺を見て俺の席とは離れた奥の席に座り、竹刀を机の横にかけて俺と同じく読書を始めた。
それから何分たっただろう。まるでふたりの間に見えない壁が隔絶しているようにお互いがお互いの世界を分かつ。
少しの緊張さえあったが、不思議と居心地は悪くなかった。
そんな時間が続き、次第に他のクラスメイトたちが登校してきた。女子は茅薙さんに、男子は増えてできた女子組や男子組たまに俺に挨拶をする。
なんか長かったような短かったような、そんな時間だった。
「茅薙さん、おはよー」
「うん。おはよう」
「ねぇ、こないだの金曜ロード見た?」
「見たよ。録画もしてる」
「ホント!? 私見逃しちゃったんだー。今度見に行っていい?」
「うん。いいよ」
「やたっ! ありがとー!」
キャッキャとはしゃぐクラスメイトの女子と穏やかに対応する茅薙さん。
意識的ではないがそんな話を聴いたり、たまに登校してきたクラスメイトと言葉を交わしたり、本を読み進めたりして1限目開始のチャイムが鳴るまで過ごした。
気づくと、教室の電気が点いていた。
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次の日から、早く学校に来るのが日課になった。
晴れた日の朝早くは、まだ太陽も照りつけず涼しい風がそよぐので心地がいい。あれから1週間経つ今でも何度も見ている閑静な教室は新鮮とさえ感じる。今では職員室にカギを取りに行っても驚かれなくなった。
そして、茅薙月詩さんの存在も少なからず関係していると思う。
ふたりきりだからと言って会話もせず、それぞれの文字列をひたすら読み進める。
挨拶もしない。何も話さない。関わり合わない。ただそこでお互い本を読むだけ。毎朝それを繰り返す、正に「関わらない関係」だ。到底「関係」とも言えないだろうか。
そして、時間が経てばクラスメイトがやってくる。3人目が来たところで、その日のこの関係、空間は終わる。多分いつの日からか、そんな時間を楽しみにしていたんだと思う。
この日も俺が本を開いた5分後くらいに茅薙さんが入ってきた。
いつもと同じように、こちらをチラと一瞥して自分の席まで歩いていく。その一瞥以外、こちらに視線が1秒でも向けられることはない。
今日も、こうして時間だけが過ぎていく。
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翌日、そんな関係とも言えない関係が少し変わった。
その日も、俺と茅薙さんの登校時間はいつもとほぼだった。
入室し、引き戸を閉めた茅薙さんは、自分の席ではなく俺の方に来た。机の前で停止し言葉を発さない。所々目が泳いでいるようにも見える。……えっと、俺から何か言った方がいいのだろうか……?
「どうしたの? 茅薙さん」
挨拶もなしに尋ねた。
「えっと……鳴海くん、ここ最近ずっと一番に来てるから。ちょっと前までもっと遅かったのに」
「あ、あぁ」
そのことか。
「私、ずっと最初に来てたからあの日鳴海くんが先に来てて、ちょっとびっくりして、次の日からもずっと……」
なるほど。あの時驚いてたように見えたのもそのせいか。
「あの日はただ朝から雨予報だっただけで、その後は……なんとなく気に入ったからかな、朝の教室」
「そ、そっか……。ごめんなさい、読書の邪魔して」
「い、いやっ、大丈夫だよ」
そこからはなんとなく気まずい雰囲気になり、自ずといつも通りに戻っていった。
正直、今回はこちらが驚いた。なんせほとんど関わりのなかった茅薙さんが特に良くも悪くも目立っていない俺を認識していたのだから。
これまで続いてきた沈黙を破ったのは俺だったが、コンタクトを取ってきたのは茅薙さんの方だったのだ。
その日を境に、俺たちは「おはよう」と、それだけ交わすようになった。
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きっかけは、ある夏の日だった。
「鳴海ー。今度の日曜空いてるかー?」
「日曜……特に予定はないけど」
「じゃあさ、茅薙の試合見に行こうぜ!」
クラスメイトに茅薙さんの剣道の試合観戦に誘われた。
「試合?」
「そう、茅薙のやつ今度の日曜が決勝戦で勝ったら全国進出なんだって。だから、その観戦」
「……うん、いいよ」
特に断る理由もなかったので、その誘いを受けた。
「おうっ、サンキュ! 茅薙の道着姿も拝めるしな!」
……本音はそっちか。……でも、俺も茅薙さんの道着姿って見たことないな。
俺はそのことを茅薙さんに伝えそびれ(挨拶しか言葉を交わさないため)、残りの数日を過ごした。
約束の日曜日。前もって知らされていた集合場所に着くと、男女合わせて5人のクラスメイトが既に来ていた。俺を含めてちょうど半々だ。
「あっ、鳴海くんも来たんだー。やっぱり鳴海くんも茅薙さんの道着姿目当てー?」
「なっ……特にやることもなかったからだよ!」
「なはは。冗談冗談」
まぁ、完全に否定は出来ないけど……女子にからかわれて動揺する俺って……。
「ったく……って、『も』ってことはお前らふたりともそうなのか?」
俺がジト目で訊くと、案の定ふたりとも顔を逸らして掠れた口笛を吹いていた
「ほーぅら、ぜんいんそろったんだしいくぞぉー」
誤魔化すように棒読みで出発を促されたので、仕方なく乗ってやることにした。俺が最後だったのか。
試合会場は幸いなことに、市内の総合体育館にある武道場だった。
中には人も何人かいたが流石は日本武道と言うべきか、静かな空間だった。
俺たちは空いている場所に座り、俺は辺りを見渡す。……そして、見つけた。
剣道の道着を身に纏い、竹刀と面を傍に置き正座をする茅薙月詩さんの姿を。
「あっ、いた。茅薙さん」
女子のひとりが小声で言った。
「ほんとだ。きれぇー」
女子からも人気がある辺り、やっぱり茅薙さんは凄いなぁ。横の男子ふたりに至っては完全に見惚れている。
でも俺は、綺麗ではなく敢えてこの言葉を使う──美しい──と。綺麗よりもこっちの方が合っている気がした。
茅薙さんが立ち上がろうとした時、ふとその視線がこちらに向いた。
すると、彼女の目が微かに開いた。でもすぐに顔を前に戻し準備にかかった。
……目が、合っただろうか。
なんとなく照れくさい感覚に見舞われ、ただひたすらに固まっていると、試合の合図が為された。
取り巻く全ての感覚を無理矢理振り払い、その試合に集中した。
試合は拮抗していた。
茅薙さんも対戦相手も一歩も引かず、静かに白熱していた。
その試合は、剣道の知識などほとんど無いに等しい俺にでも「凄い」ということだけは十分に理解出来た……茅薙さんが僅かに押されているということも。
そして、試合は動いた。
互いに距離を置き、鍔迫り合いが続く最中、それを脱し仕掛けたのは茅薙さんだった。対戦相手の人は均衡を崩し、その隙を逃さず茅薙さんはその面に竹刀を打ち込んだ。
甲高い打撃音と同時に、勝負は決した。
試合後、俺たちは体育館の建物の外で茅薙さんを待っていた。
暫くすると、制服に身を包んだ茅薙さんが鞄と竹刀を背負って出てきた。
「茅薙さんお疲れ様!」
「全国大会進出おめでとう!」
「スゴかったよ! カッコよかったよ!」
女子3人がキャッキャとはしゃぎながら駆け寄っていった。
「うん。皆も来てくれてありがとう」
茅薙さんは心から嬉しそうに穏やかに笑う。
俺たち男子3人はあの中に入っていけるはずもなく、少し離れたところで見守っていた。流石のふたりもその辺は分かっているようだった。
すると、茅薙さんがこちらに歩いてきた。
「鳴海くんたちも、応援来てくれてありがとう」
「うん。おめでとう、茅薙さん」
「あぁ、カッコよかったぜ、最後の一発とか!」
「正に剣士って感じだったよなー!」
「ふふっ。言い過ぎだよ」
俺たちは7人揃って笑い合った。「おめでとう」「ありがとう」、何度も何度もその言葉が繰り返された。
その時一度だけ、茅薙さんとバッチリ目が合ったが、その時だけはすんなりと心からの笑顔を見せることが出来た。その反応に対する茅薙さんの笑顔に少しドキッとしたのもまた事実だ。
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翌朝も変わらず7時前に家を出た。今ではこんな朝早くでも蝉が合唱しているので結構騒がしい。
いつも通りのルートで通学路、坂道、校内と進んでいく。下足場でふと気づいた。
「人が来てる」
可能性としては茅薙さんが一番高いが、特に早く来る理由も見当たらない。もしくは別の誰かだろうか。
誰が何番でどこの下駄箱かなど全く把握してないのでわからなかった。……まぁ、行けばわかるか。
窓が締め切られ蝉時雨も幾分かマシな廊下や階段を歩いていく。職員室に行かなくてもい分、楽だ。
そして、教室の前に立つと恐らく開いているであろう引き戸をスライドした。
案の定、ガラガラと音を立てて開いた。
そして、そこにはいつもと何ら変わらない、静かな空間が広がっていた。──ただひとつ、読書をする茅薙さんがいることを除いて。
「お、おはよう茅薙さん。今日は早いんだね」
「うん。偶然早く目が覚めたから」
「そっか……」
妙な緊張感が込み上げてきて会話が続かない。
いや、今更何を話すのだろう。今までずっと「おはよう」だけを交わして終わりだったじゃないか。……ただなんとなく、話していたいって気持ちになった。
俺が鞄を置いて着席しようと椅子を引いた時、ガタンとそれよりも大きな音がした。
音の主は茅薙さんが勢いよく立ち上がった故のものだった。
俺は突然のことに圧倒され着席を止めた。
「……嘘」
「……えっ?」
「嘘なの。偶然目が覚めたんじゃなくて、鳴海くんに話したいことがあって早く起きて早く来たのっ」
茅薙さんの視線は真っ直ぐ俺を見据えていた。
「は、話したいことって……?」
「私」
茅薙さんは俯いた。彼女の目が見えないほどに。
「私……ずっと前から、初めて鳴海くんとふたりきりになったあの日よりもずっと前から……鳴海くんのことが好きでしたっ!」
瞬間、自分以外の時間が止まったように感じた。
……気のせいだろうか。いや、はっきりと聞こえた。俺の名前と、「好き」という言葉が。
「あの日、いつものように来たら先に誰か来てて、それが鳴海くんだって分かるとびっくりしたけどそれ以上に胸がドキドキして、ふたりきりの時もずっと落ち着かなくて、昨日も鳴海くんが見てくれてるって思ったら勇気が湧いてきて、嬉しくてっ……」
そうか。そういうことか。これまで感じてきた緊張感や照れくささ、もどかしさや気恥ずかしさ、昨日茅薙さんの笑顔にドキッとしたこと……それ全部の正体は──
「うん。ありがとう。俺も…………茅薙さんが好きだ」
──「茅薙さんが好き」──それが、これまで茅薙さんに対して抱いていた感情の正体。
「……えっ?」
床に向けられた茅薙さんの顔がゆっくりと上がった。その目には、涙が一粒浮かんでいた。
「俺と……付き合ってください!」
俺は思いを告げた。言った。叫んだ。心からの、ついさっきやっと分かった本当の思いを。
茅薙さんは滲ませた涙を零し、それを指で拭いながら笑った。
「もぅっ、告白したのは私の方だよ……?」
「そ、そうだね」
茅薙さんは普段見せない表情で可愛らしく笑い、俺の右手をそっと両手で包み、そして……
「はい、よろしくお願いしますっ」
今までで一番、とても晴れやかな満面の笑みで俺の逆告白を受け取ってくれた。
「じゃあ、今度は恋人として言うね。……茅薙さん、全国大会進出おめでとう。これからも頑張ってね」
「……うんっ」
この瞬間、俺と茅薙さんの関係は互いに関わらないクラスメイトから、恋人同士になった。
Fin
ありがとうございました。
自分では軽いクーデレを意識しました。
最初は「雨」をテーマに書こうと思いましたが、今回は見送りました。また機会があれば書こうと思っているのでその時は読んでやって頂けると幸いです。
誤字脱字がありましたら遠慮なくご指摘下さい。