恋する乙女・アブノーマル編
ごく普通の大学生である私、十分天雨は、恋をしていた。
「あ~むちゃん。お待たせっ」
食堂でカルボナーラを食べていたら、いきなり隣に座ってきた彼。声をかけるのと同時にぽんっ、と髪の毛を触ってきた。
「うひゃあっ?!」
なぜか突然悲鳴の様な声を挙げる彼。その原因は私だった。瞬間的にフォークをペンの握り方から、全部の指で握り目の前に突き立てていたからだった。
「あっ……ご、ごめんね、いきなり馴れ馴れしく髪の毛を触られたから、ついやっちゃった。もうちょっとで眼球いっちゃうところだったね」
「そ、そ、そうだね、あむちゃんって時々こういうオチャメなことしてくるよねぇ、あはっ」
もし、周りに人がいなければ確実にやっていただろう。彼は……こいつは典型的な勘違い男だ。たかが数回ノートを貸して、たった1度飲み会に同席しただけで親しくなったつもりらしい。
身の丈に合わない金髪に、親の仕送りで買ったに決まってるシルバーのピアスやらネックレス、指輪なんかが鬱陶しくて仕方ない。
「ごめん、席変えるね。君のせいで好きなカルボナーラが不味くなるの嫌だから」
嫌いな人でも上っ面だけは仲良くする、女子の習性。それなのにこんな直球で嫌悪感を示している。これが何を意味するのか、こいつはまるで理解できてないらしい。
私の態度をツンデレだとか呼んでそういうのが好きらしいのだが、本当に1度くらい病院に送ってやらないと分からないのかもしれない。
でも、やれるはずがない。たとえ嫌いな男であろうと、平然と傷つける様な女など、あの人が受け入れてくれないだろうから。
さっさとカルボナーラを胃袋に納め、午後の授業に出ようとしたら、またあの男が近付いてきた。しかも笑顔で。ああ、本当にどうしようもない。
私はにこっ、と笑いかけた。そして持っていたフォークを相手の顔面に狙いを定めて、ダーツの要領で投げた。見事に切っ先が頬を掠めて、すぐ後ろの柱に突き刺さった。これで狙い通り。
「追いかけてきたら、次は当てるよ」
あいつは垂れる血を指で拭い、苦笑いしていた。言っておくけれどこれは脅しであり、警告でもある。あれ? 同じ意味だっけ? まあいいわ。
授業も終わり、バイト中ずっとあの人の事を考えながらケアレスミスを繰り返し、それでも気にしないで家に帰った。
だって仕方ない。今日はあの人の番組の配信日なんだから、少しのミスくらい許してほしい。例え客の前でコーヒーをぶちまけようが、落としたナイフをそのまま使わせようが、些細なことなんだ。
「さてと……」
PCを起動させる時間がいつも以上に遅く感じる。私、恋してる。こんな時でも実感できてしまう、早くあの人に会いたい。
ようやく目覚めたPCのデスクトップから、動画サイトの「ブゥチューヴ」のアイコンをクリックした。どくんっ、と胸が高鳴る。更新されてるのを確認して、その人の番組をクリックする。
見慣れた短いオープニングの後、ついに出てきた。生え際がかなり後退して、貧相な体で、黄色くスケスケの全身タイツを身に付けた「あの人」。乳首と股間に黒いテープが貼ってある。良かった、いつもの姿だと安心した。
それなりのいい年齢で、私の倍以上。初めて見た時の正直な感想は、生理的に無理、の一言だった。暇だったので動画サイトを漁っていた時に偶然見つけたのである。
『モニターの前のお前ら! 今週も俺様が伝説を残してやるからなぁ! 目ん玉ひんむいてよぉーっく見とけよぉ!』
私は、彼の事を全く知らなかった。後で調べてみたら所謂アナーキーとかいう芸風らしいけど、横文字は苦手なんでよく分からない。更に調べて体を張った危険な芸だとようやく理解できたけれど。
喋りのあと画面にテロップが出てきた。
今週のミッションは「ドーベルマン達に追いかけられながらおにぎりを完食する」らしい。
コンビニのおにぎりを手渡したスタッフに対して『こんなちっこいのじゃダメに決まってんだろ! デカいのもってこい、そういうのを視聴者は見たがってんだよ!』と主張する彼。
ぞわり、と胸の辺りがくすぐったくなる。その通りだ。すぐに成功したら面白くない。彼に手渡されたのは、特製のバスケットボール大のおにぎり。どうやって作ったのか気になるけど、もうやるしかないでしょう。
『おらぁ!! かかってきやがれドーベルマンども!!』
ミッションスタートと同時に2匹のドーベルマンが放たれた。さっそく、彼の腕に装着した保護具に容赦なく噛みついてくる。
一方、おにぎりにかぶりつこうにも大きすぎてまともに歯を差し込むのすらままならない彼。加えて、右と左の腕には餓えた獣が噛みついている。彼は毎週、こんな無茶な挑戦をしているのだ。
ロケット花火を白羽取りする。目隠しをして女王様に叩かれた鞭の太さを何センチか当てる。着ぐるみを着て50メートル泳ぎきる。
最初は気色の悪い外見に鳥肌が立ったけど、番組の内容は私の惹き付けていった。見ているうちに真剣に笑わせようとしている彼に……ほ、惚れてしまった、のかも……しれない。
『ダメー! そこはダメ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!』
おにぎりを奪い取ろうとして痺れを切らしたのか、片方のドーベルマンが彼のお尻に噛み付いた。動物が人間に遠慮するなんていう話は聴いたことがない。
あまりの痛みにのたうちまわり、逃げ惑いながらもおにぎりをパクパク食べる彼。バスケットボール程あったそれは少しずつではあるが、だんだん減っていった。
私は大笑いしながらも、真剣に応援していた。頑張って、やりきって。お願い。彼は女性に平気でセクハラをするため、ブログやツイッターに罵倒コメントの投稿が後を絶たない。
『…………ギブ……』
今回はすぐにギブアップしてしまった。この人は粘り強く、失敗してももう一度やらせてくれとスタッフに土下座する事もある。だけど、本当にダメな時はあっさり放棄してしまう。ちょうど、今回の様に。
しょうがないだろう。ドーベルマンにほぼ装備なしの状態でお尻を噛まれたら、痛いなんてものじゃすまないだろう。
私は、芸人という枠を超えてここまで本気で誰かを笑わせようとする人は見たことがない。いや、笑わせるというか、何かを成そうとする人間なんて周りには一人もいない。
……私も含めて、そうなのだ。実は、まだ1度も応援コメントを投稿した事がない。彼の芸風だと、そういうのは営業妨害になってしまいそうなので、ちゅうちょしていた。
でも、いつか必ずこの想いを届けたい。誰かを笑わせるためなら死ねるであろう、この人に。
~完~