12日の物語
29歳のホワイトデー ―――3月12日(木)―――
『その時私を選んでくれる?』
「もちろんだよ・・・!」
・・・・・・夢か・・・・・・。
「・・・懐かしすぎるでしょ」
ここ最近結衣ちゃんのことを考えすぎて、付き合っていた大学時代の夢をよく見る。今日の夢はその中でも1番好きな結衣ちゃんのセリフ入りだ。結衣ちゃんに振られてから、もはや何度見たかわからない。この前までは辛かったけど、いまはものすごく幸せ。
「やっぱりプレゼントは・・・」
今日は午後出勤だから・・・やべっ!もう13時じゃん!
「おはようございまっ・・・痛ぇ」
「なにが“おはようございます”だ!遅刻だぞ!」
せっかくセットしてきた髪の毛を完全無視で主任から拳骨を食らう。この歳で(俺、現在29で今年30)拳骨だよ?部活の高校生じゃないんだから。
「すみません、寝坊しました」
こんな時、まじめな顔の一つでもできればいいんだろうけど、あいにく俺は笑ってしまう質だ。
「爽やかに笑ってるんじゃない!」
「すみません」
真面目な顔ができない俺は謝るほどに主任の機嫌を損ねてしまうので、早々にフロントに出ることにした。
「田部井さん、交代します」
「遅いわよ、あんたのせいで1時間残業しちゃったじゃない」
「すみません」
主任には盛大に怒られ、田部井さんには呆れられ、本日の業務スタート。
「こんばん・・・」
午後20時。観光のお客さんのチェックインがひと段落した後は、ビジネス客が多くなる。そんな中、ホテルの入り口からホール、更にはフロント横のラウンジまでの視線を総ざらいしそうなスーツの男がやってきた。
「やあ、この間はどうもありがとう」
すらりとした長身にきりりとした居ずまい。銀縁のメガネは知的な印象にさらに箔を付けている。
「上条さん!」
イタリアにいるはずの上条さんが目の前にいる。
「あ、田部井さん、早番で帰っちゃいましたよ?」
「知ってる。里佳にはあとで会いに行く。今日はちょっと、みんなに相談事があって」
上条さんは目を細めて微笑んだ。
「まあ、予約的には空いてるので」
ところ変わってホテルのラウンジ。主任と上条さんが向かい合って座っている。
「では、お願いします」
「わかりました」
ふたりの間で密約(?)が交わされるのを、俺と三井くんと玲ちゃんは目をぱちぱちしながら眺めていた。
「なんて素敵な計画なの~」
「まあ、そうだけど。上条さんって案外大胆だね」
「自信があるんでしょうね」
玲ちゃんはこれまた人の幸せにまるで自身のことのように幸せオーラを全開していて、俺はちょっと上条さんに触発されそうになって、三井くんはいつも通り冷静に対応した。
「三井くん、俺も」
「それはやめといたほうがいいですよ。早すぎ重すぎ苦しすぎです」
まだ最後まで言っていないのに遮られる。
「・・・でも俺の中では7年以上も・・・!」
「結衣さんの中ではまだ1カ月です」
「・・・でも、俺の中では7年前から・・・!」
「結衣さんの中では1カ月前からです」
「・・・っていうか、最後の“苦しすぎ”って、なに?」
早すぎ重すぎはわからなくもないけど、苦しすぎって何?俺と付き合ってると結衣ちゃん苦しいの?
「あ、それはなんか、語呂的に言ってみただけです」
「・・・・・・」
俺と三井くんがこそこそ話している間に玲ちゃんは主任と上条さんにお代わりの紅茶を注ぎに行った。
「では、私はこれで」
上条さんと主任が席を立って、俺たちは上条さんを見送る。
「わがままを言って申し訳ないですが、どうか、よろしくお願いします」
最後に上条さんは俺たち3人に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。光栄です」
答えたのは俺じゃなくて三井くん。
結衣ちゃん、本当なら俺だって、現実でもう1度あの答えを聞きたいよ。