魔狼
23世紀─────────
日本には〈霊龍教〉と呼ばれる宗教が蔓延っていた。霊龍こそ、世界の創造主と仄めかす信者達。それは、人々を洗脳し、取り込んでいた。〈霊龍教〉は、表向き組織。裏を返せば、〈ウロボロス〉と称される闇組織だ。一見、平和で何の問題もない平穏な表社会。だが、裏では〈ウロボロス〉が政治家などの権力者を信者にし、巧みに操っていた。国民の間でも、〈霊龍教〉に惑わされる者が増えて行く。彼らは、じわじわと社会を腐らせていた。
その元凶を取り払おうと日本政府が創設した特殊部隊〈魔狼〉。その隊員を育成する為に設立した学院【神威学院】。学院に通う生徒達は中学生という表の顔と暗殺者という裏の顔を持ち合わせている。政府からの命令に忠実に従う特殊暗殺部隊。
今夜も魔狼達が夜を駆ける───────────
心地よい微睡みの中、誰かに呼ばれたような気がした。少年は重い瞼を持ち上げる。気怠げに、辺りを、否、下を見回すが人の姿は無い。空耳か。少年は、そう結論付けた。
ふわり、ふわり、と桃色の花びらが宙を舞う。少年が、身体を預けるそれは太い樹木の幹。
“櫻神大神木”と呼ばれる大きな神木の一本の幹で少年はうたた寝をしていた。
圧倒的な大きさの神木に少年はどうやって登ったのか。落ちれば、無事では済まない高さだ。だが、少年は意に介した様子も無く、退屈そうに眼前を舞う櫻の花びらを一枚掴む。
「紅牙〜、居るの〜?」
今度は、はっきりと聞こえた。少年は下に眼を向けた。
栗色の長髪の少女は、名を呼びながら辺りを捜している。少年の悪戯心が疼いた。
にんまりと笑い、少年は起き上がると幹に腰掛けた状態で少女を呼んだ。
「紗乃」
少女は、驚いたように視線を巡らせる。
「上だよ、上。」
少女の黒色の瞳が樹上の紅牙を捉えた。少女の眼が丸くなる。
「紅牙、またそんなところに登って・・・・・サボりなんでしょ?」
溜息と共に少女、紗乃は尋ねる。
「当たり〜」
紅牙の呑気な声に紗乃はやれやれ、と首を振った。
紅牙はひらりと跳び降り、地面に降り立った。常人には不可能な芸当である。だが、紗乃も別段驚いた様子もない。これが、紅牙や紗乃にとっては普通だからだ。
「紅牙、神様の木で居眠りとか、バチあたっても知らないよ?」
「あはは、ヘーキヘーキ。神サマだってそんな事で目くじら立てる程、暇じゃないだろうし。神主にバレなきゃ問題ないって。・・・・・・ま、バレたところで脅して口止めするだけなんだけど。」
そう言って、楽しそうに笑う紅牙。
「─────────で、紗乃がオレを捜しに来たって事は、アトさんから呼び出し?」
「そうよ。ってか、指揮官をアトさんって・・・・・・」
「だって、名前長いじゃん?あの人。」
「指揮官に殺されても知らないからね?」
「そんなあっさり殺られると思う?」
頭の後ろで手を組み、紅牙は挑発的に尋ねる。紗乃は、小さく肩を竦めた。此処で、不毛な言い争いをする気はない。二人は連れ立って歩き出した。
「指揮官からの呼び出しって事は、任務かな?」
「久し振りじゃん。最近、退屈してたからいい暇潰しになるよ。」
「来たか。遅いぞ、お前達。」
部屋に入ると、威圧的な視線と共に厳しい声が飛んでくる。
指揮官室の奥に置かれた重厚な机には、軍服を羽織った美女が革張りの椅子に腰掛け、腕を組んでいる。
能面のような無表情からは、感情が読み取れない。この美女こそ、〈魔狼〉の指揮官であり、【神威学院】の理事長でもある。
「すみません。紅牙を捜すのに手間取ってしまって・・・・・」
紗乃の謝罪を聞き、指揮官は嘆息した。
「紅牙。そのサボり癖をなんとかしろ───────と、説教して時間を無駄にする気はない。お前達に任務だ。」
「私と紅牙だけ、ですか?」
アトランテは、重々しく首肯する。
「他の者は別任務で出払っている。第1部隊で、早急に任務をこなせるのはお前達2人だけだ。」
「相変わらずの人手不足だね〜」
紅牙の言葉に、紗乃は顔を曇らせた。無表情のアトランテも少しだけ渋い表情になる。
この学院に在籍する生徒は100人程度。〈魔狼〉に所属する隊員は34人と生徒数より少ない。また、〈魔狼〉は3つの部隊に分けられている。
潜入捜査や情報収集に長けた第3部隊。作戦考案と事後処理を担う第2部隊。そして、標的暗殺の第1部隊。第3部隊の人数は12人。第2部隊は15人。第1部隊は7人と、第1部隊は人手不足だ。人数を増やして欲しいが、危険が伴ううえに、相当な身体能力を必要とするため、人数増加は期待出来ないだろう。
「安心しろ。今回の標的は楽だぞ。」
「な〜んだ。楽って事はつまんない標的って事か。オレ、行かなくてもいい?」
紅牙は面倒臭そうだ。紅牙の戦闘狂は相変わらずだと紗乃は呆れる。
「私は、2人と言った筈だが?命令違反するならばこの国が滅ぶぞ。」
アトランテは、鋭い視線を紅牙に向け、言い放つ。
「ちょっと待って下さい。何で、命令違反=国滅亡なんですか!?」
「私の命令は絶対という事だ。」
紗乃のツッコミをスルーし、アトランテは言う。
「無視しないで下さい!!」
「ともかく、今夜の標的を殺るのはお前達2人だ。計画の詳細は第2部隊から聞け、私の用件は以上だ。」
有無を言わせぬアトランテの口調に、この人もブレないなと紗乃は苦笑した。
夜空に浮かぶ三日月が、心なしか頼りない月光を下界に投げ掛けている。
豪奢な邸宅の庭の茂み。其処に怪しげな影が2つ。真っ黒いマントを来た少年と少女。
「今夜は、暗殺日和だね〜。」
「うん、それにこの家、ガチガチにガードマンが固めてるけど、窓とか開けっ放しだね・・・・・」
紗乃と紅牙の標的は、有名な都知事だ。国民からの支持を受け、圧倒的な勢力を持っている。
「都知事が〈ウロボロス〉と繋がってるとはねぇ。マスコミが大喜びで飛びつくだろうな〜。」
くくく、と紅牙は心底面白そうに笑った。
「仕方ないよ。日本政府の3分の1が〈ウロボロス〉と何らかの癒着があるみたいだし。政府も、早く〈ウロボロス〉を潰したくて仕方ないんだろうね。」
「オレは、政治とかキョーミないけどね。とりあえず、強いヤツぶっ殺したくて、この部隊にいるだけだから。」
それから、懐から双眼鏡を取り出し、覗く。紅牙が持つ双眼鏡は特殊なレンズが使用されており、建物の内部も双眼鏡を使えば丸見えなのだ。
「・・・・・・建物周辺にガードマン20人。内部に、8人。標的はリビング。リビングの窓は開けっ放し。」
小型無線機を通じて、アトランテへ敵の人数や状況を詳細に伝える。
『よし、2人で外部周辺の敵を始末。紗乃は、隙を見て内部に侵入し標的暗殺。暗殺終了後、待機中の第2部隊に連絡』
「「了解」」
2人はフードを目深に被る。これが、〈魔狼〉の任務時の服だ。敵に、顔を視認されない為の対策である。
「こんな、黒いマント着なくてもいいと思うんだけど。動きがちょっと鈍るんだよね、この服。」
『任務の時ぐらい黙れ、紅牙。』
小型無線機から、容赦ない声が言う。
「はいはい。」
「行くよ、紅牙。」
2人の狼は同時に地を蹴った。