似ていて違う。
突然はじまります。
反射する色とりどりのガラス片。その真ん中で椅子にもたれ掛かった彼は、僕を目にして微笑んだ。
「まっていたんだよ」
両手をこちらへと広げる彼の姿を見て、僕は反射的にその腕のなかに体をすべらせていた。キラキラと反射するガラスまみれの彼の上に座り、彼の体へと背中を預ける。
「これでもう終わりだ」
僕を抱き締め、そう語る彼に僕はこう返す。
「まだ終わらせないさ」
彼は指名手配中の凶悪犯だけれど、彼の人生を終わらせるのは彼自身でも、警察官でも、裁判官でもない。この僕だ。
彼とはずっと犬猿の仲だった。一生相容れることのない存在だと僕も彼も認識していた。だけどいつの頃からだろうか、僕と彼は紙一重の存在ではないかと思い始めたのだ。
さて、なんていうありきたりな台詞からはじまる推理なんていらない。そう思案しはじめた導入も、確信を得た決定的な証拠も、現状を示す結果も、知っているのは僕だけでいい。僕と紙一重の彼にすら、この事は教えていないのだから。いや、紙一重だからこそ教える必要もないのだろうか。
「ここで終わってしまったら、僕は路頭に迷ってしまう」
この言葉は本当。
彼は最高の好敵手なんだ。僕の鏡のような、僕自信とちょうどぴったり一致したライバルなんだ。寝ているときも起きているときも、自分と彼とを重ねては突き放しての繰り返し。そんな彼を一夜のうちになくしてしまったのなら、これから先生きていく意味がなくなってしまう。それぐらいに彼は僕の人生のなかで魅力的なのだ。
「君は俺と違って、地位も権力も持ち合わせている。それに凶悪犯を殺して昇進するならまだしも、なぜ路頭に迷ってしまうんだい?」
心底不思議な顔をしてそんなことを言っても無駄だ。どうせ彼が僕の事を僕よりも理解しきっていることは明白なのだから。
「凶悪犯って自覚はあったんだ。でも、君がどんな立場だったとしても僕は今より人生を堪能できるとはおもえない」
彼が何も言わないのをいいことに、僕は言葉を続ける。
「今より生きているって思えることは、君がいなくなった世界にはないんだよ。今ここで君を殺したのならば、僕は廃人のようになにも写さない瞳でふらふらとこの世をさ迷い続けることになる」
そしてここからが本題。大切なことを話すのに彼に背中を預けてはいられないから、僕は立ちそして振り返る。
「そんな人生を歩むのなら、僕は君より先に死ぬさ」
彼が一番困ること。それは自分と同じ思考をもち、なおかつ自分自身を望むかたちで殺してくれる存在がいなくなること。だから、この言葉は僕にとっての切り札。こんなことを言われたら彼だって黙ってはいられないだろう。
「それは困るなぁ」
困ったような笑い顔。
これは冗談だとでも思っているに違いない。死ぬ覚悟なんてとうの昔にできているのに。
「僕は本気だ。信じていないのならそれでもいいが、僕はいつでも自分を殺せる」
自殺できるんだと胸を張るようなことでもないのに堂々と叫んで、これじゃ僕と彼どちらが犯罪者かわからないな。ああ恥ずかしい。この羞恥心ごと、やっぱり僕は死んでしまおうかな。
「そんなことを言わないで、早く俺を殺してよ。そしたら、君がどうなったって構わないからさ」
本当に君はわがままな奴だ。だから指名手配中の凶悪犯になりえるんだろうけれど。
自分の願望のためにはどんな犠牲もいとわない。
そんな精神をもっているから、常識以前に人として必要なものが欠けているんだ。
「僕だって別にお前を殺さなくっていいさ。ここで死んだらどうせ二階級特進だ。階級なんてものに興味はないけど、このぐらい頑張ってれば家族に迷惑かけることもないだろう」
だから、お前の望む結末を演じてやらなくてもいいんだよ。
このぐらい、言わなくってもわかるだろう。彼のために僕は生きているわけではないし、自分の知らない犠牲者が出たところでなにも思うことはない。こういうところがわがままっていわれるのだろうか。もしそうなら、やっぱり僕と彼は似ている。
「死ぬなら勝手に自分で死ねよ」
吐き捨てるようにいったこの言葉に、彼が口元を歪めたのがわかる。
「じゃあ、見ててね」
弧を描いた口がまるで悪魔のように囁く。
やっぱり君はわがままだ。自分の願望を変えてまてまで、自身の願いを貫き通すのだから。
裂けた体から赤黒い液体が吹き出す。人が死ぬ様子を見るのは初めてだと言えばうそになる。けれど、こういったものはそう簡単に慣れるものでもないのだ。独特な鉄の香りと、目の前の赤く染まった塊に吐き気をもよおすのは当 だ たり前の事。死にたいと思う彼の意思とは逆に、生きるため必死に動き続ける臓器たちはごっぽごっぽと耳障りな音をたてる。その前で僕は、ただなにもせず呆然と立ち尽くすことしかできなかった。応急処置を施せば彼は生きるかもしれないのに。
いつの間に彼がガラスを手にしていたのか、何を思って今ここでこの世を去ったのか。僕にはそのどちらも認識することができなかった。
ただわかるのは、彼が僕の目の前で死んだということだけ。
ニヤリと歪んだ唇は彼を理解したつもりでいた僕に、なにも理解できていなかったんよと嘲笑っているように見えた。