その六.牛頭を狩り、馬頭を斬る
同時に自分めがけて何かが迫るのを視界の端に捉え、吹雪はとっさに後退にかかる。
「っと――!」
しかし、一歩遅かった。
飛来したコンクリ塊によって、吹雪の手から絶句兼若が弾き飛ばされた。
くるくると回りながら絶句兼若は飛び、壁面に突き立った。
「く、う」
腕に走る痺れに、吹雪は眉を寄せる。
それを無視して、なんとか絶句兼若を回収しにかかろうとする。が、近づこうとしたその足下に再びコンクリ塊が叩き付けられた。
元入り口だった大穴から、牛頭に似た体格の化物が現れる。
しかしその頭部は牛ではなく馬に似ている。ぶるぶると震える鼻から熱い蒸気を漏らし、その化物――馬頭は甲高い声でいなないた。
――ぎぃいいいいい!
「二体目……がっ」
馬頭に気を取られすぎた。
一気に距離を詰めた牛頭が吹雪の首を掴み、ぎりぎりと締め上げる。
牛頭は草食動物とは異なる鋭い歯をむき出し、明らかに笑った。やかましく響き渡る馬頭のいななきも、まるで嘲笑っているよう。
どうやらこの化物達は吹雪をさんざん蹂躙してから殺すことにしたらしい。
首の骨がみしみしと音を立てて軋む。
「が、あ」
人間よりもずっと体温の高い手に気道を締め上げられ、吹雪は喘いだ。
にじんだ視界の端に、絶句兼若の方向に近づく馬頭の姿が映る。馬頭はどこか不思議そうに鼻面を揺らしつつ、絶句兼若の柄へと手を伸ばした。
「――!」
瞬間――吹雪はカッと目を見開いた。
音が消える。
世界から色が消える。
自分以外の全てが遠のいていく。
刹那が無限に引き延ばされていくような奇妙な感覚。
牛頭はいびつな表情で笑ったまま、吹雪を見つめ停止している。吹雪は緩やかに、自分の首を掴む牛頭の手にそっと自分の手を添えた。
果物が潰れるような感触。
その瞬間、再び吹雪の世界に音と色が戻ってきた。牛頭が耳障りな悲鳴を上げ、吹雪を放り出して後退する。
「はぁっ、はっ……!」
転がるようにして地面に着地し、吹雪は瞬時に息を整える。
馬頭がびくりと体を震わせ、いななきとともに牛頭を見た。うずくまる牛頭は裏返った叫びとともに相棒に自分の両手を晒す。
その両手は無惨に潰れ、骨があちこちから飛びだしていた。
吹雪はフッと息を吐いた。
「――涅槃寂静」
再び世界から音と色が無くなる。
呆気にとられた様子で牛頭を見ている馬頭へと一気に接近。絶句兼若を壁から引き抜き、それを下段に構える。
吹雪はスッと息を吸いつつ、絶句兼若を掬い上げるようにして振るった。
時が元の速度を取り戻す。
馬頭の目が吹雪の姿を捉え――直後、その首は血飛沫とともに宙を舞っていた。
「……まったく私としたことが」
吹雪はぼやきつつ、絶句兼若を中段に構える。
地響きを立て、頭部を失った馬頭の胴体が倒れる。
それをみた牛頭は悲鳴のような声を上げ、よろめくようにして後退した。
吹雪はざり、と一歩前にでる。
――ヴォオオオオン!
牛頭は甲高い絶叫を上げ、大穴と化した戸口めがけて駆けだした。その手が大穴をすり抜け、牛頭の状態が洋食屋跡地から出る。
閃光が走った。
追撃しようとした吹雪の目の前で牛頭の胴体が両断され、その下半身から黒い血が噴き出す。
「なんだ小娘、苦戦しているのか」
地面へと倒れる牛頭の胴体を尻目に、時久が洋食屋跡地へと入ってきた。
吹雪は眉を寄せ、視線をそらす。
「……まさか」
「なら良い」
時久は鬼鉄から血を振り落とし、入り口の方を顎でしゃくった。
「次だ。行くぞ」
「……えぇ、わかりました」
吹雪は懐紙で血を拭い、絶句兼若を鞘に納める。
エレベーターホールで時久と話してからどうも調子が悪い。敵に首を締め上げられるなど、普段の自分ならありえない事だ。
そして、あんな雑魚相手にあの技を使ってしまった。
吹雪は首を振り、こめかみを押さえる。
「……まぁ、いつでもあれを使えるというのがわかったというだけでも上々でしょうか」
「何か言ったか」
「いえ、何も」
「ふん……」
階段を下り、吹雪と時久は再び一階のホールへと戻った。
シャンデリアの残骸に隠れていた小さな扉を、時久が無造作に蹴り開ける。その先にはそれまでとはまったく異なる、無機質な鉄の階段があった。
時久が先に進み、吹雪はその少し後から続いた。
しばらく二人は無言で階段を降りていたが、やがて時久が口を開いた。
「……色々見ていて気づいたがな」
「な、なんでしょう?」
いきなり声を掛けられた事に驚きつつ、吹雪は聞き返す。
時久はちらっと吹雪に視線を向けた。
「呼吸だな? 貴様のそのおかしな剣法の鍵は」
「……ふむ」
吹雪はすっと目を細めた。
時久は前を進みながら、淡々と言葉を続ける。
「最初に斬り合った時からうっすらそんな気はしていた。鍛錬の時も呼吸に相当気を配っていたからな。確信に変わったのはついさっきだ」
「見ていただけで気づいたのですか……」
時久の言うとおり、天外化生流では呼吸が特に重要視されている。
呼吸を通じて身体機能の制御と向上を行い、精神の統一をはかる。独特の呼吸法によって常人ではなしえない動きを可能にするのだ。
吹雪と兄は刀の持ち方よりも先に、数十種類の呼吸法を父から叩き込まれた。
その仕組みに、見ていただけで気づくとは。
「……怖い人ですね」
何故だかうっすら寒気を覚え、吹雪は肩を軽くさすった。
その時。脳裏にふっとある光景が蘇った。
『てめェは怖ェ』
大岩の上にあぐらをかき、憎々しげに吹雪を睨む兄の姿。
それはたしか去年の夏。自宅近くにある渓流での事だった。女のような容貌を歪め、兄は吐き捨てるように言った。
『このおれが血のにじむような努力の果てに掴ンだ奥義も、てめェは見ただけで出来るようになッちまう。おぞましいとしか言いようがねェだろ』
「……あれも、私と同じ感覚を」
「おい、小娘」
時久の声に、吹雪は我に返った。
気づけば階段はもう終わり、目の前には金属の扉が存在している。扉の上部には、『機械室』と書かれた小さな札が掲げられていた。
聞こえる音は、相変わらずどこかで鳴き立てている野良犬の声くらい。
そして――吹雪は思わず、肩をさすった。
「この寒気……それなりに大物がいそうですね」
「だろうな。――いいか、聞け。ここからは俺が主体となって動く。貴様は後方に回れ」
「私が後方に?」
「そんな不服そうな顔をするな」
時久はめざとい。ほんのわずかに吹雪が表情が曇らせたのを見逃さなかったようだ。
吹雪は表情を消し、軽く頭を下げた。
「失礼しました」
「別に構わん。……貴様の動き方は、今日一日で大体把握した。故に次は、貴様が俺の動きを把握する番だ」
「……貴方に合わせられるように?」
「決まっているだろう。これから俺と貴様は組んで行動することになるのだぞ」
「なるほど……承知しました」
吹雪はうなずくと絶句兼若の柄に手を掛けたまま、時久からさらに数歩離れた。
時久は傷痕を歪めて笑い、鬼鉄を肩に担ぎ上げる。
「よろしい。しっかりと俺の太刀筋を見ろ――いくぞ」