13.知っているから。
今度初めてSCC関西に行くんですけど、今からすんごいドキドキ。
まるで理解出来ない奴。
学校の正門前にタケノコ野郎――藤村久人と二人並びながら、椿はそんなことを考えていた。下らない掛け合いをしながら、なんとか久人の背中の傷を消毒し終えたのはつい先程の話。
では帰ろう、という話になったのだが、「そういえば終電はもうないと言っていなかったか?」と気になって帰宅方法を聞いたら、「その辺で朝まで時間潰して、始発を待つから平気」という答えが返ってきた。
その答えはまたも椿の怒りに火をつけた。
怪我人が何を言っているのだ、と胸倉を掴み、家の者に迎えを寄越すよう連絡をしてこいつを正門前まで引きずってきた訳だ。
家まで送っていく、という椿の言には異論がありそうな顔をしていたが、一睨みして黙らせた。
そうして今に至る。
「……っくし!」
隣で聞こえたくしゃみに椿は久人を見上げる。椿も決して背が低い訳ではないのだが、久人がかなりの長身のためにこうして見上げなければならないのだ。
それが少し悔しい。
久人は、寒さを堪えるように腕をさすっていた。夜だけあって空気は少し冷たく、傷を洗ったり消毒するのに背を濡らしたから、風邪をひきかけているのかもしれない。
椿は羽織っていたトレンチコートを脱ぐと、久人に向かって放り投げる。
久人は突然の椿の行動に眉を寄せて、投げつけられたコートと椿を交互に見た。
「えっと……なに?」
「動き回って暑くなったの。ちょうどいいから、あんたそれ肩に羽織っときなさい」
腕を組んで言い放つと、久人はなんとも言えない顔をした。
「姫っていうより王子かな……」
椿はぴくり、と瞼を震わせる。
「今あんた、何て言ったの?」
「……黙秘権って使える?」
「却下」
「えー……」
ただぼんやりしているのか、嫌味なのか、からかっているのか。全く理解出来ない。こんなに他人に振り回されるのは初めてだ。
苛々としながら腕に置いた指を動かしていると、足元の影から堪えるような笑い声が聞こえる。椿は怒りを込めて、自らの影を踏みにじった。
「それ……癖なのか?」
体格の違いからか、不格好に見える椿のトレンチコートを肩にひっかけながら、久人が顎をしゃくって椿の足を指す。
指摘された足を慌てて止めて、椿は「別に」と顔を逸らした。会話はそこで止まり、二人の間に沈黙が落ちる。
こうした沈黙に慣れていない椿は、居心地の悪さを嫌というほど感じた。逃げ出したいとすら思った。しかし、隣に立つ久人からは、まだ何かを尋ねたそうな気配を感じる。
「……何よ」
ここでまた、「やっぱりいい」など言おうものなら、一発食らわせてやろうと拳をは固めておく。すると、久人は口を開く前に椿から一歩距離を置いた。
「なんで一歩離れるの」
素朴な疑問を久人にぶつけてみる。久人は言葉でなく、椿の握りこぶしに視線を注ぐという返答方法を取った。
「チッ」
察しのいい奴め。舌打ちをして拳を解くと、久人はあからさまに安堵した顔で一歩また元の場所に戻った。
「本当は姫に、聞きたいことがあるんだ」
名前を教えてやったのに、久人は椿を「姫」と呼ぶ。一体なんの嫌がらせだ。椿はやんごとなき血筋に生まれた覚えはない。
「何よ、タケノコ」
ついに来た久人の「問い」に、椿は覚悟して待った。問いの内容など、聞く前からわかっていたが。
「……姫って呼んだの怒ってる?」
「は?」
放たれた問いに、カクンと椿の顎が落ちる。全く予想だにもしなかった変化球を喰らって、その場に固まってしまう。
「あ、あんたの聞きたかったことって……まさかそれなの?」
恐る恐る確認すると、奴は素直に頷く。
「ずっと苛立ってるみたいだし、そんなに嫌なのかと思って」
タケノコ、って面白い言い回しだし、別に構わないんだけど怒ってるから言ったんだよな?と続けられ、椿は怒る気にもなれず、脱力して肩を落とした。
「あんたね……この流れからだとさっきの出来事について聞くべきでしょ」
どうしてそこで椿の機嫌云々の話になるのだ。やっぱりこいつはわからないと渋面を作っていると、奴は空を見上げて言った。
「聞いても、教えてはくれないだろうから」
図星を指された。椿は息を呑んで、高い位置にある久人の横顔を見つめる。
久人は空を見上げたまま、言葉を続ける。
「姫は、簡単に口を割るようなタイプには見えないし、好奇心なんかでアレコレ聞かれるのは迷惑だろう」
それに、と久人は頭をかく。
「人が言いたくない秘密を根掘り葉掘り聞くようなのは、質じゃないんだ。だから、心配しなくていい」
あ、姫は心配とかしないか。タケノコの追及なんて。
思いついたように話す久人をぼうっと眺めながら、椿はまたも開いた口が塞がらないという失態を晒していた。それに気がついて、椿は口を手で押さえる。
「……じゃあ、何も知らなくっても構わないのね?」
本当のことを言ったところで、まず普通の人間は信じない。信じたところで、今度は椿を化け物であるかのように見て、距離を取るだけだ。
だから、椿は本当のことなんて絶対に言わない。
聞かれないで済むならそれに越したことはないのに、どうして自分はこんなふうに何度も確認してしまうのだろう。
自分がわからなくなって、椿は混乱の坩堝に嵌まりかけていた。
「知ってるよ」
その坩堝に投じられた一石は、椿の意識を現に引き戻す。何を、と問おうとする前に、久人は顔をこちらに向けて目だけで笑った。
「俺も含めて、馬鹿をやった奴らを姫は守ってくれた。それは、ちゃんと知ってる」
だから、ありがとう。
夜闇にその言葉は溶けてしまったけれど、椿の耳にはちゃんと届いた。なんだか、また顔が、というか体が熱い気がするのは気のせいだろうか。
「……姫? 顔赤いけど、寒い?」
頭上から落とされる心配を「何でもないわよっ!」と一蹴して、椿は顎をつんと上げる。そして目に入った光景に声を漏らした。
「あ……」
空を駆ける流星。
漆黒の空に、光の粒子を乗せた細筆が走っているようだ。
椿が上げた感嘆に、久人もまた空を見る。
「ここでも、結構綺麗に見えるんだな」
二人はそれ以上の言葉を交わすことなく、迎えの車が来るまで、ただただ星の流れる様を追いかけていた。




