12.姫とたけのこの話。
長かった。
じりじりして、いても立ってもいられなくて、窓際の机に座って、脱いだシャ
ツからガラス片を抜いていたが、当然のように気もそぞろで、シャツは脱いだの
にまだ背中にガラスが刺さっているような、チリチリする感覚があった。
だから水道で無理矢理流したが、それでもまだまだチリチリしていたのに。
教室の入り口に、彼女の後ろ姿を見た途端、その不快感は消えた。
彼女に背中を消毒してもらいながら、久人は訥々と考える。
冷たい薬液浸しの綿球がいくつも背中を転がる感触がして、その度に伝わる彼
女の苛立ちから、いかに彼女がそんなことをし慣れていないかが判った。
元々それほど大した怪我ではない。破片もそれほど大きなものではなかったか
ら、シャツでおおよそは防げたはずだ。
それでも彼女が久人を心配してくれているのは間違いなく、そしてここで「も
ういい」なんて言ったらおそらく、彼女のプライドだか何だかに傷をつけること
になるだろうから、黙って思考を続ける。
(……あ、)
くるくると頭の中で事象を再現していて、ようやく気付いた。
く、と久人が喉で笑うと、すぐさま「な、なによ?」と探るような声音が後ろ
から掛けられる。ピンセットの先に力が加わる。
「昨日の今日で、そんなに伸びた?」
そういえば昨日は猫背気味に歩いていたのだったか? もしそうだとしたら、
実に愉快だ。
自分の中で思い返しながら、久人は肩越しに「え? え?」と戸惑う椿の顔を
見た。
「ひさと」
「な、なによ?」
「名前だよ、たけのこの。藤村久人」
「ッ?!」
久人が言ってやると、椿の顔が赤くなった。
「む、蒸し返すなんてヤな奴ね!」
「え? いや、上手いこと言ったなと思ったんだけど」
「いいのよそんな弁解は!」
「えー……」
彼女を理解するためには、ひと付き合いの下手な久人にはスキルがまだまだ足
りないようだ。
さっきから怒らせてばかりいる気がする。
「えーと、じゃあ、ごめん」
どうしたらいいか判らないときは、とりあえず謝る。少なくとも久人には、椿
を怒らせたという負い目はある。
椿は顔を背けたまま、荒々しい手つきで救急箱を片付け始めた。その頑なな姿
勢に、久人は懲りもせずに話し掛けた。
「姫は?」
「ッだからその変な──」
「うん。だから、姫の苗字は?」
正直、久人としては『姫』でもう違和感はないのだが、椿が嫌がるならやめて
おく。
椿はしばらくなにかを迷うような素振りを見せて、それから小さく呟いた。
「……あたしの名前を知らない奴がいるなんて、驚きだわ」
「そう? じゃあ覚えるよ」
「……。御明、よ。御明椿」
「判った、」
みあかし。珍しい名前だ。
そして、呼びづらい。
「姫って呼ぶ」
「なんでよ?!」
ああ、また怒らせた。