表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/49

人も建物も見かけにはよらない。

「こちらが夢無さんのお宅になります」


 年季の入った声で扉を開けてくれたのは、天獄荘の管理人フミさんだった。

 さっき巫に聞いた話したが、このフミさん御歳98歳なのだという。


「ありがとうございます」


 俺は、フミさんから202号室の鍵を受け取り、部屋に入った。

 巫がそれに続く。

 俺と巫は玄関で靴を脱ぐと、部屋に上がった。


「確かに、予想以上に綺麗だな」


 これから俺の家になる天獄荘202号室は縦に並んだ部屋の一番東側にあった。

 天獄荘は東西に横長に建てられていて、北側に玄関が、南側に小さなテラスがあった。


「だから言ったでしょ。内装は良いのよ。

 それに、この部屋は特に綺麗なの。なんせ三ヶ月前まで前の住人が住んでたんだから」


 巫は玄関から続く一本の廊下を歩きながら言った。

 巫の左手にガスコンロやシンクなどが備え付けられており、右手に扉が一つあった。

 そして、正面にも一つ引き戸が見えている。


「2Kで、お風呂とトイレは別。

 正面の引き戸の奥に和室が二つあって、この扉の奥にトイレとお風呂があるの。

 どう?これならあなたでも迷わないでしょ」

「俺を迷子の常習犯みたいに言うな。

 家の中で迷うなんて今朝が初めてだよ。

 巫の家ならまだしもこんな小さな家で迷子になるほど俺は器用じゃねえよ」


 小さい、と言ったが、この部屋は俺が一人で住むには勿体ないほど広かった。

 これだけの部屋に住めるなら、あと三人位なら生活できそうだな、と考えている自分を見つけ、俺は悲しくなった。

 もういない家族のことを考えでも時間の無駄だ。俺は、自分にそう言い聞かせ、その想像を頭の中から追い出した。


「そんな事より、この部屋監視カメラなんて付いてないだろうな。

 いくら観察されるからって、さすがにそれはプライバシーの侵害だぞ」

「あら失礼ね。私がそんな事すると思う?」


 そう思うから聞いたんですが。


「さっきも言ったでしょ。あなたは何もしなくて良いし、何もされない。私も何もしないし、何も望まない。

 観察という言葉を使ったけれど、それは別に青虫なんかを観察するという感じではないの。

 私が知りたいのはあなたがどんな結末にたどり着くかということなの。

 あなたの人生にはあの時終止符が打たれるはずだった。それが、なぜか今もこうして生きている。

 あなたにとって今この時間は何なのかしら?

 無くなったはずの、自分の手で閉ざしたはずの未来を歩いているのはどういう気分なのかしら?

 私はその答えを知りたいの」


 「知りたいの」と巫がもう一度言った。

 その声には、単なる好奇心とかおもしろ半分と言った様子はなく、むしろ冗談の入り込む隙間がないほど真剣な声だった。


「俺を観察すれば、その答えが分かるのか?」

「それは分からないわ。一匹のモルモットで実験が成功する事が無いように、この観察もあなた一人では答えを見つけられないかも知れないわ。

 だけど私は、あなたに賭けてみたいと思っているの」


 巫はそう言うと体を翻し、俺の脇をするりと抜けて玄関に戻り靴を履いた。


「今日の所は帰ることにするわ。私が関わりすぎて観察に影響が出るの避けたいし。

 取りあえず一週間分程度の食料は冷蔵庫に入っているから、それで年を越してちゃうだい。

 何かあったら大家のフミさんに聞くこと。彼女はここの一階に住んでいるから。

 それから、これが一番大事なことなんだけど。

 このことは誰にも言ってはダメよ。

 友人にも教師にも、とにかくあなたの周りで生きている人にこのことを話してはだめ。

 これはお願いじゃないわ。もちろん、命令でもない。これは、私の観察に参加することに対する義務よ。

 義務が守れないようなことになれば、どうなるか分かっているわよね?

 そういうことだから、うっかり口を滑らせたりしないことね。私も、無用な煩いを増やしたくないの。

 それじゃあ、私は帰るわね」


 巫はそれだけ言うと、足早に部屋を後にした。

 錆びた階段を降りる巫の足音がして、それから車が出る音がした。

 俺は誰もいなくなった我が家を見て、ふうと息を吐いた。

 一人になったことで、これまでの出来事が全て夢か幻のように感じられた。

 本当の俺は、修学旅行から帰る飛行機の中でうたた寝していて、これは全て俺の頭の中だけで起きている妄想なのではないかと疑った。

 全ては空想で、全ては虚偽の産物。もしそうならどんなに嬉しかったことだろう。

 だけど、このリアルな感覚が、ここが現実の世界なのだと言うことを教えてくれる。頼んでもいないのに、教えてくれる。

 特に、凍り付くように冷えた足の感覚が強く訴えかけてくる。

 俺は取り敢えず、この氷のように冷たい板張りの廊下から、奥の和室へと移った。



♦♦♦♦♦



 その夜、俺は台所の戸棚に入っていたカップ麺で空腹を満たし布団に入った。

 冷蔵庫には、もっと気の利いた食材がいくつもあったのだが、俺にそれらを調理する腕はなかった。

 俺の我が家である天獄荘202号室には二つの和室がある。和室は両方とも六畳の広さがあった。

 片方の部屋には、こたつ布団を被った卓袱台ちゃぶだいのような脚の低いテーブルと座布団、それからタンスが一つ置いてあった。

 もう一つの部屋、つまり今俺が寝ている部屋には勉強机がぽつんと置いてあり、その奥には押入があった。

 押入には布団が一式入っており、俺は今その布団にくるまっている。

 長らく使われていなかったせいか、布団は少しカビ臭かった。

 それでも、俺にはその暖かさが心地よかった。

 俺はこれから、これまでの人生の何倍も辛い人生を歩まなければならなくなるだろう。何十倍もの悲しい経験をして、何百倍も泣きたくなるだろう。

 その事を考えると気分が塞いだが、暖かい布団にくるまれているだけで、その不安が和らぐような気がした。

 俺は、気付かないうちにゆゆっくりと眠りに落ちていった。



♦♦♦♦♦



 その夜、俺は金縛りにあった。












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ