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古ぼけた部屋

「は?なんだよ!それってどういう意味だよ。

 宮野さんの話だろ?何でリッシーが出てくるんだよ」


 僕が話し終えると、混乱した叶さんの声が脳に響きました。


「それは、もう分かってるんじゃないですか」

「そんな事言ったって、信じられるわけ無いじゃないか!

 それじゃあ、リッシーは宮野さんの……」

「僕も、そんな偶然が起こるはずがないと思っていました。

 でも、今日部屋に来た夫婦の顔に見覚えがあったんです。

 幽霊の記憶なんて不確かなものですが、全くの見当はずれでもないと思います。

 いえ、かなりの確率で正しいと、僕は信じています」


 あえて毅然とした態度で言うと、叶さんは暫く沈黙しました。


「━━どうしてトビーは俺にこんな話をしたんだ?」


 沈黙の後のその声には、動揺の色がありませんでした。そこにあったのは、ただの純粋な疑問です。


「僕は幽霊です。幽霊が他の幽霊の前世に関わることは禁止されています。

 幽霊が成仏出来なかったほどの後悔を、幽霊が中途半端に晴らしてしまうことがあるからです。

 だから、僕にはリッシーを救ってあげることが出来ません。でも、叶さんは幽霊が見えるだけのただの人間です。

 人間の叶さんには、リッシーを救うことが出来ると思ったのです。それに、リッシーを救うことは、千尋さんを救うことにも繋がりますし……」


 これは、身勝手なお願いだと思います。

 僕は、自分が出来ないことを、責任を負えないことを叶さんに押しつけようとしているだけです。

 幽霊として存在し続けた70年。僕はただの一度も何かを成し遂げたことがありません。

 何もない空っぽの時間を過ごしてきました。

 でも、今僕には出来ることがあります。

 自分の知っている天獄荘での出来事を叶さんに伝えるという本当に微々たることですが、僕にしかできない事です。

 この事を叶さんに話したことで、僕がどうなるか、リッシーが千尋さんが、叶さんがどうなってしまうのかは分かりません。

 それでも僕は言わずにはいられませんでした。


「この話はもうお終いです」


 叶さんが何か言う前に、僕は話を切り上げました。

 僕と叶さんの間には部屋に帰るまで重たい沈黙が居座っていました。



♦♦♦♦♦



 トビーの抜けた体は、徐々に暖かさを取り戻していた。

 俺は布団の中の体を動かし寝返りをうった。

 全く閉じようとしない、冴えた目で薄暗い部屋を見渡した。

 年季が入りくすんだ壁紙、変色した畳、少しの風でがたがたと揺れる窓、日焼けして色の抜けたカーテン、変なシミの付いた襖、ネズミの運動場と化した天井……

 どれもこれも、俺が生まれる遙か前から存在していて、今俺を冬の寒さから守っている。

 この部屋が、雨風から守ってきた人の数は一体どれほどなのだろうか。

 少なくとも、70年前からここに佇む天獄荘には数十組の住人がいたそうだ。

 だが、それらの住人の大半はここで自ら命を絶つか、それに準ずるなにか大きな出来事がありこの部屋から消えていった。

 消えずに残ったのは、トビー、ビッツ、キリー、そしてリッシーの四人の幽霊だけだ。

 それぞれに、前世の後悔や未練を抱えている。

 自らがなにに後悔し、どこに未練を残しているのかも忘れてしまっている彼らは、どうすることも出来ずにこの部屋に存在し続けているのだ。

 目的のわからない長旅を……いや、彼らは歩く道すらも分かっていないのではないだろうか。

 ただ闇雲に動き回ることも出来ず、時刻表のないバス停でバスが来るのを待っているかのような時間を延々と続けているのではないだろうか。


 想像してぞっとした。


 彼らはああやって時には明るい笑顔さえ見せるが、それはその奥にある壮絶な闇を押しのけて現れていたのもだったのだ。

 もし俺だったら……

 そんな想像をして、俺は一人布団の中で震えた。



♦♦♦♦♦



 翌朝、俺の眠りを遮ったのはケータイの着信音だった。

 俺はけたたましく鳴り響く乱暴な音よりも、自分が眠っていたことに驚きながらケータイを手に取った。

 通話ボタンを押すと、ケータイを耳に押し当てる前に着信音よりも乱暴な声が俺の鼓膜を震えさせた。


「いつまで寝てるのよ!あなたの頭には脳みそが入っていないんだから、いくら寝たところでそれは無駄よ。

 あなたみたいなバカな能なしは、寝る間を惜しんで脳味噌を増やす方法でも考えてなさい」


 巫美里の声は、寝起きの頭には少々響く。

 そうでなくとも気分はどん底だというのに、このままだと頭痛まで起こしてしまいそうだ。

 うっすらと開いた目で窓の外を見るとまだ真っ暗である。

 驚いて時計をみると、アナログ時計の長針と短針は驚くべき時間を示していた。


「俺がアホだといいたいのはよく分かった。

 だから、説教はそれくらいにしてくれ。

 お前は俺に説教するために朝五時から電話してきたわけじゃないだろうな」


 正確には四時五十二分なのだが、細かいことはどうでも良い。

 それよりも、こんな朝っぱらから巫が俺に電話をしてくることに何かいやな予感がした。

 空っぽのはずの胃が、不気味にうねる。


「あなたにそんな事を指摘されるなんて、痛恨の極みだわ。

 でも、残念なことに今はそんなことを嘆いている暇はないのよ。

 今こっちで大変なことが起きたの」


 おどけた風に言うと、巫は言葉を切った。

 薄い鉄の電子機器、ケータイの奥で空気が変わる感じがした。


「宮野千尋が病室から脱走したわ」


 頭の奥で、なにかが崩れる音がした。気がした。











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